なぜ名編集者のもとへ? 『愚者たちの箱舟』綾崎隼の決断「本格ミステリを書いていきたい」
デビュー15周年を迎えた小説家・綾崎隼が、ミステリ『赤と灰色のサクリファイス』『青と無色のサクリファイス』を合本・全面改稿した『愚者たちの箱舟』を上梓した。新潟県の「翡翠島」を舞台に、10年の時を超えて未解決事件の続きが始まる本作。東京創元社の名編集者とともに『本格の作法』を徹底的に突き詰める武者修行を経て、いかにして本作が極上の本格ミステリへと深化を遂げたのか。創作の裏舞台から作家としての成長、ミステリへの情熱までをじっくり聞いた。
ミステリファンへ届けるために、一から学んだ本格の作法
――新潟県の北部にある「翡翠島」を舞台に、ある男が帰還したのをきっかけに、十年のときを超えて未解決事件の“続き”がはじまる『愚者たちの箱舟』。2014年に刊行された『赤と灰色のサクリファイス』『青と無色のサクリファイス』を全面改稿して本作を刊行されようと思ったのはなぜなのでしょう。
綾崎隼(以下、綾崎):当時、僕はメディアワークス文庫を中心に活動していたのですが、『サクリファイス』と同時期に刊行した『未来線上のアリア』というSF作品が、SF好きの方に認知すらされていないなという気がしていて。その話をしたら、同期の野﨑まどさんに「SFファンは、早川書房などの由緒あるレーベル作品を好むから、一般レーベルだと気づかれにくいし、読まれにくいかもしれない」というようなことを言われたんです。同じように、本格ミステリに挑戦するぞという意識で刊行した『サクリファイス』も、ミステリファンにはあまり届いていない感触がありました。
――幼なじみ三人の関係性に焦点をあてた、青春小説でもありますしね。
綾崎:そうなんです。僕の小説を好きな人は手にとってくれたし、売れたという手ごたえもあったのですが、生粋のミステリ好きの方が読んだらどんな感想を抱くのだろう、どうすればそういう人たちに届くのだろう、という想いが当時からありました。そんなタイミングで、東京創元社の桂島さんから声をかけていただいて。
――まさに、ミステリ界では名の知れた編集者であり、厳しい読み手という印象のある方ですね。
綾崎:これはチャンスだ、と思って。当時は分冊して連続刊行することで、読者に「真犯人が分かりますか?」と問うイベント的な試みをしていたんです。それはそれでとても楽しかったのですが、今一度、合本して一冊の本格ミステリとして刊行しなおすことはできないでしょうかと相談してみました。桂島さんは、『サクリファイス』を刊行時に読んでくださっていて「おもしろかったし、加筆修正なしでそのまま一冊にまとめて出して良いですよ」と言ってくれたんですが、こちらから「いや、絶好の機会なのでミステリの何たるかを一から教えてください」とお願いしました。感覚としては武者修行、弟子入りです。
――どんなところを、加筆修正されたのでしょう。
綾崎:主に物語の見え方、つまり演出部分です。例を一つ挙げると、事件はアンドレアス・テイラーという若き建築家が、翡翠島のあちこちに残した十一の建造物をめぐって起きます。それぞれに共通したモチーフを入れることで、ミステリとしての雰囲気作りができますよと教えていただき、なるほどと思って加筆しました。新しいモチーフを絡めたことで、物語の密度も、謎解きの密度もあがったと思います。
読者に嘘をつかない、ミステリとしての「フェアさ」の追求
――そもそも、戦時中に島の人たちに救われた若きアメリカの建築家と、彼が遺した複数の建物という時点で、かなり本格ミステリの雰囲気はただよっていたのでは?
綾崎:島と館というのは、まあ、鉄板ですよね(笑)。本当は個性的な各建物の内部で事件を起こせたらよかったんでしょうけど、ハウダニット、物理トリックを考えるのが苦手なので、別の方向から勝負することにしました。アイデアを思いついたのは、メディアワークス文庫の同期たちと一週間の沖縄旅行に行ったときです。家族連れの人もいて、途中までは十人くらいでわいわいしていたんですが、後半は独身男子4人であちこちを巡って。そのときに「やっぱり島っていいなあ、島を舞台に書きたいなあ」と考え始め、旅行が終わるころにはあらかたの骨子が完成していました。
――楽しげな雰囲気のなか、こんな凄惨な物語が組みあがっていたんですか(笑)。
綾崎:そうなんです(笑)。その骨子は、本作でもほとんど変わっていません。『愚者たちの箱舟』はフルリメイク作品で、半分くらいの文章を書き換えていますが、主立った変更点は、先ほど言った演出の見せ方や作法、ミステリとしてフェアであるかどうかをふまえての修正でした。分かりやすいもので言うと、事件のカギになっていた架空の毒物を、現実に存在する毒物「ドクウツギ」に変えたというのもその一つです。ノックスの十戒じゃないですけど、架空の毒を使うのはやめましょうという、ミステリ作家なら当たり前かもしれない基本的な作法から、改めて教えて頂きました。ただ、やはり、最大の改稿点、リメイクに際して最も注意を払った部分は、きちんと真相を推理出来る小説にしようということだったように思います。
――読者が、ちりばめられたヒントによって解決にたどり着けるかどうか、ということですね。アンフェアなミステリも、それはそれでおもしろいものがたくさんありますが……。
綾崎:どちらにせよ、意識的に描くことが大事なんだと思います。とくに本作のトリックは……詳しく言うとネタバレになってしまうので伏せますが、フェアであることが重要だと思っていたので、読者に嘘をつかない書き方を心がけています。それも一つひとつ桂島さんに教えていただいて。打ち合わせを重ねるたびに「なるほど、こういう書き方をすれば、一人称でも地の文で嘘をつかなくて済むのか」という学びと発見がありました。
――すっかり騙されてしまいましたが、心地よい悔しさがありました。
綾崎:よかったです。打ち合わせ中にミステリにまつわる雑談をすることも多くて、ある時、有栖川有栖先生が「探偵がどこで真相に気がついたかを明確にすることが大事だ」とおっしゃっているという話を聞きました。『サクリファイス』のときから、それができていたこと、なおかつ非常に重要なシーンとして演出できていたことを、桂島さんが褒めてくださったんです。メディアワークス文庫で書いていた時に、当時の担当だった三木一馬さんからも似たようなことを教えられたことがあって。ミステリーではなく恋愛小説の話になるのですが「読者に伝わるようにはっきり描く必要はないけど、主人公が恋に落ちた瞬間がいつなのかは決めておいたほうがいい」というアドバイスでした。その言葉は、今でもずっと念頭に置いています。ジャンルは違えど、大事なことが通じているのがおもしろいなと思いました。そんなこんなで全編にわたって大幅に手を入れていたら、改稿中に「単行本で世に問いたくなった」と言われて。当初は創元推理文庫から発売される予定だったのですが、単行本で刊行してもらえることになりました。とっても嬉しかったです。
綾崎文学の根底にある「罪と赦し」
――幼なじみの男女三人の恋愛模様をふくめて、綾崎さんは人の感情を軸にこれまでも謎をしのばせて小説を描かれていますよね。今作は、過去と未来をいったりきたりしながら、男女三人の幼なじみの複雑な三角関係が描かれていくところも、読みごたえがありました。
綾崎:心理描写についても、最初はけっこう手を入れていたんです。やっぱり、十年以上前の文章には未熟に感じられる部分が散見されて、今の文体で書き直したくなってしまう箇所も多かったんです。ところが、中学時代を描いた過去パートの原稿を読んだ桂島さんに「たしかに文章はうまくなっているけど、『サクリファイス』のBパートのほうが登場人物が生き生きしている」と言われたんです。それが、なんだか嬉しくて。年齢とともに人は成長していくものだけど、同時に失われていくものもある。未熟だと感じることはあっても、そのときの僕にしか表現しえなかった良さもあったのだなと知ることができました。『サクリファイス』に限らず、二十代、三十代と、そのときにしか描けなかったことがあったという事実が、僕にはとても嬉しいことでした。デビューから十五年以上、休まずに書き続けてきたので。
――その生き生きとした人物造形があったからでしょうか。本作を読んでいて、罪を犯す背景には人それぞれ事情があるけれど、それ以上に、犯してしまった罪にどう向き合うかに、人の本質はあらわれるのだな、ということを強く感じる小説でもありました。
綾崎:今作でもっとも意識していたテーマは、罪の告白です。何が起きたかも大事だけど、起きてしまったあとに人間関係がどのように変わり、その人自身がどう変化していくのかを読むのが好きなんです。だから本作でも、ただ事件を解決に導くだけではなく、罪を犯してしまった人が謝罪できるのか、さらにそれに対する赦しを得られるのかまで描きました。そのテーマに改めて向き合った結果、ラストシーンを加筆することにしました。『サクリファイス』のときは読者にゆだねるかたちで終わっていましたが、一歩踏み込んで、彼らの未来まで書きたいと思ったからです。
――そこには、技術とはまた別の、綾崎さんの作家としての深化があらわれているのでしょうか。
綾崎:そうだと思います。作中では過去の事件が十年前に起きています。現代パートで彼らが事件の真相に向き合ったように、僕も十年の時を経て改めてこの物語に向き合った。その時間の経過もまた、『愚者たちの箱舟』に反映されていると思います。僕も、立派かは分からないけれど、大人になったので。
――ちなみに、罪の告白と赦しというテーマは、いつごろから綾崎さんのなかに芽生えていたのでしょう。
綾崎:ふりかえってみると、デビュー二年目に初めて書いた長編シリーズ『ノーブルチルドレン』のころにはその萌芽があった気がします。メインキャラクターが殺人事件を起こしてしまい、本編完結後に後日譚を描いた短編集を刊行したのですが、あの頃から、罪を犯した人がその後の人生をどう生きたかを描きたい気持ちがありました。事件が解決したからといって、すべてが終わるわけではありません。加害者と被害者、両方の立場からその先を描きたいという想いが、自分の根底にはあるのだと思います。
ハードルを越えて挑み続けるミステリへの愛
――そもそも本格ミステリを書きたいというお気持ちも、デビュー当初からあったのでしょうか。
綾崎:ありました。僕とミステリの出会いは、小学生のときに読んだ『少年探偵ハヤトとケン』(安達征一郎)という児童文学でした。3巻だけが教室の学級文庫に置かれていたんです。『少年探偵~』ではじめてミステリという概念に触れて、衝撃を受けました。その後、図書室で江戸川乱歩を読むようになって、ドはまりして。「どうなるんだろう」と心掻き立てられる謎に魅了され、いつしか自分でも書きたいと思うようになりました。でも、やっぱり人間、得手不得手があるので……。
――本作を読むと、不得手とは思えませんが……。
綾崎:ミステリが好き過ぎて、書くなら、誰も思いついていないトリックを考えなければならないと、どうしても思ってしまうので、ハードルが高いです。新人賞にミステリで挑戦したこともありましたが、のきなみ落選していますし、受賞作が恋愛小説だったこともあり、僕はそっちのほうが向いているんだろうなと思っていました。でも、恋愛小説を書く時も、必ず何か一つ、読者がページをめくりたくなるような謎を用意するようにしていたので、その積み重ねで今があるのかもしれません。
――じゃあ、今後も本格ミステリを書きたいお気持ちは。
綾崎:もちろん、あります。実は、夏にポプラ社から刊行される予定の『さよなら、探偵』も本格ミステリです。『愚者たちの箱舟』のメイントリックは、十二年たったこともあり、比較的使いふるされたものの一つになってしまったけれど、新作では真新しいトリックと主題を軸に据えました。どんなミステリとも似ていない自分だけの物語を書けたと思うので、ぜひ、読み比べてみて欲しいです。
――今作をきっかけに、きっとミステリファンにも綾崎さんの作品が届きますね。
綾崎:そう期待しています。『サクリファイス』のときは、メディアワークス文庫で僕の作品を読み続けてくれている人、既に自分のことを好きでいてくれる読者さんに向けて書いていました。だから他作品のキャラクターをリンクさせ、積極的に登場させていました。でも『愚者たちの箱舟』は、はじめて僕の小説を読む方にも楽しんでいただけるよう、そうした要素は削って、この一作だけで完全に独立して楽しんでいただけるようつとめました。どうか生粋のミステリファンにも届きますようにと、願っています。
■書誌情報
『愚者たちの箱舟』
著者:綾崎隼
価格:2,090円
発売日:2026年2月27日
出版社:東京創元社