90年代ニューヨークの伝説「クラブ・キッズ」が与えた影響とは? 中心人物ウォルトペーパーに聞く熱狂
90年代ニューヨークのクラブシーンで、過激なファッションやパフォーマンスで注目を集めた伝説的集団「クラブ・キッズ」。音楽、ファッション、アートなどの諸分野で横断的に影響を与え、SNS時代のインフルエンサー文化の先駆的存在としても再評価されている。その中心人物の一人であり、現在はアーティスト・デザイナーとして活動するウォルトペーパー(本名:ウォルト・キャシディ)が、当時の記録をまとめた書籍『90年代ニューヨーク・ダンスフロア:ファッション・アート・ジェンダーを解放した「クラブ・キッズ」の物語』(DU BOOKS/Jun Nakayama訳)を刊行した。シーンの内側にいた当事者ならではの視点から、その実像を克明にアーカイブした氏に、ニューヨーク・ブルックリンの自宅兼アトリエで当時の話を聞いた。(篠原諄也)
ーークラブ・キッズとは何でしょうか?
ウォルト:「クラブ・キッズ」という言葉は、最初に1988年の『ニューヨーク・マガジン』の特集でエイミー・ヴァーシャップによって名付けられました。その記事は、初期の「トンネル」と「ザ・ワールド」などのナイトクラブに焦点を当てていました。そもそもは、ニューヨークのナイトクラブに関する法律改正の結果として生まれました。当時、飲酒可能な年齢が引き上げられたのですが、その妥協案として市は「若い人々はクラブに入ることはできるが飲酒はさせない」という方針を取ったんです。すると、17歳や18歳、さらには16歳や15歳まで、高校生や大学に入りたての若者たちが、クラブに一気に流れ込む状況が生まれました。
そして(クラブ・キッズシーンの中心人物)マイケル・アリグなどが一連のパーティーを主催し、若者たちをクラブに呼び込んだのです。クラブ「トンネル」を統括していたルドルフ・パイパーのようなオーナーたちが、本当に若い彼らに対して「ああ、あの厄介なクラブ・キッズたちがさ」などと言っていました。ちょうどヒッピーやパンクやビートニクなど、他のサブカルチャーと同じように、ストリートやクラブの現場で何かが新しく起こり、メディアでライターが具体的にキャッチーな言葉で紹介をしました。それがクラブ・キッズ現象の始まりでした。
ーーその後はどのようなムーブメントに?
ウォルト:主に90年代を通じて拡大しました。90年頃にはスティーヴン・マイゼルのような写真家が、クラブ・キッズを記録しはじめましたが、彼は非常に人気のあるファッション・フォトグラファーでした。 そうして少しずつメディア紹介が増えていき、やがてクラブ・キッズはアメリカ全土で放送されていたお昼のトークショー『ヘラルド』にまで出演するようになります。これは地方に住む主婦などにも届く番組だったのです。
ーークラブ・キッズとはどのような特徴がありましたか。観客と演者の区別がないように思いました。
ウォルト:それはライフスタイルそのものがパフォーマンスだったからです。私たちは最終的にはパフォーマンスもしました。たとえば私は「Boob」というバンドに参加していました。でも私たちは生来のパフォーマーだったとは思いません。それはいつも不思議に思っていることの一つです。私たちはむしろ、24時間続くライフスタイルのほうに関心がありました。少なくとも私のグループでは、見た目を仕上げることを「コスチューム」として捉えてはいませんでした。
ドラァグ・クイーンの中には、よりそういう感覚に近い人たちもいましたが。 昔ながらのドラァグ・クイーンたちは、クラブに行くと楽屋があって、そこで着替えてパフォーマンスをして、ショーが終わるとメイクをすべて洗い流していました。外に出ると、まるでオフィスで働いている人のようになる。私たちはそれとは違って、24時間続く見た目(ルック)により強くコミットしていました。眉毛を剃り落としたり、ボディピアスを始めたりしました。モダン・プリミティブズ(身体改造カルチャーの世界的な流行)のムーブメントの後、ボディピアスを取り入れた最初期の人々でもありました。
ーー自己表現としての側面が強かったのですね。
ウォルト:私はインタビューでいつも「もし自分の皮膚を裏返せるとしたら、こんな見た目になる」と言っていました。つまり、自分の内面を完全に表現したものでした。本当の自分を隠す防具のようなものでもありませんでした。私の意図は、自分を守ったり隠したりすることではなく、自分をさらけ出すことだったんです。
アーティストにはそれぞれ異なる意図があり、創作の方法も異なります。私の場合は、常に内側から外側に開いていくものでした。ただ、それはあくまで私個人から見た世界です。クラブ・キッズの一員だったそれぞれの人にとって、着飾ることの意味はまた違ったものだったかもしれない。でも私たちのグループ、この本で主に焦点を当てている友人たちのグループにとってはそのようなものでした。
ーークラブ・キッズの音楽的側面について関心があります。
ウォルト:私が最初に働いていたナイトクラブ「ビルディング」では、金曜日の夜はインダストリアル・ミュージックの日で、インダストリアルとオルタナティブの音楽がかかっていました。私はハウスミュージックがかかる土曜日に働いていましたが、クラブ・キッズのグループとしては、金曜日に集まっていたんです。なぜなら私たちは皆、ハードコアパンクやインダストリアル・ミュージックから影響を受けていたからです。たとえばスキニー・パピー、スロッビング・グリッスル、サイキックTVといったバンドです。また4ADレーベルのバンドも大きな影響を与えていました。デッド・カン・ダンスやコクトー・ツインズ、さらにはレジェンダリー・ピンク・ドッツやエドワード・カス・ペルなどですね。
初めてテクノをテクノとして認識したのも、このビルディングのインダストリアルナイトでした。その中で混ざるように流れていたんです。新しい個性に出会い、新しい表現方法を見つけたと感じていたところに、さらに自分たちの音楽が現れました。あの時代の音楽の発展は、私たちが直感的に追求していた見た目やスタイルを完璧に表現していました。
ーーテクノという音楽の面白さとは。
ウォルト:初期のテクノは非常に興味深いものでした。テクノはデトロイトで生まれ、もともとは黒人コミュニティを高揚させるために作られたものです。初期のパイオニアたちはそうした意図を持っていました。 そしてその目的は「魂(ソウル)」と「機械(マシーン)」を融合させることでした。それはまさにクラブ・キッズの考え方と一致していました。私たちは自分たちを妖精のような、幻想的で神話的な存在だと考えていました。それはテクノロジーやロボット、宇宙時代的な概念と融合する存在だったのです。つまり私たちは、自然で魔法的で神話的であると同時に、機械的でテクノロジー志向でもありました。
ニューヨークには「自分たちは他より優れている」という感覚があり、常に何かをからかったり、皮肉ったりする側面があります。 当時のテクノには、そんなユーモアが非常に強くありました。たとえばDHSの「The House of God」(The Chemical Brothers、Aphex Twin、Ken Ishii、Joey Beltramまでもがプレイした90sテクノ、ハウスのクラシック)では、説教師の音声がサンプリングされていて、教会が大衆から金を集めようとするその様子をそのまま取り込んでいます。その音声を使うことでその状況を皮肉っているのです。当時は宗教右派の影響が強く、音楽はそうした人物を揶揄する方法を見つけたのです。テクノはそれをユーモアを交えて表現するのに最適な手段でした。さらにテクノからはトライバル・ハウス、ドラムンベース、トランスなど、まるで一本の木の幹から枝が分かれていくように、さまざまなジャンルが広がっていきました。 毎週のように新しい音楽ジャンルが生まれているような感覚でした。
ーー当時を回顧して思うこととは。
ウォルト:私はノスタルジーが好きではありません。「昔は良かった、今や未来はダメだ」などと考えません。ただ、現代は非常に恐ろしい時代で、これまでにないような状況です。だから、どうなんでしょう。ある意味では、あの時代は良かったのかもしれません。
人生を振り返ると、典型的なサイクルで成り立っていると思います。私は子どもの頃、農場で育ちました。季節が移り変わるのをずっと見てきました。 種を植え、育て、成長させ、実がなり、それを収穫し、そしてまた土に戻り、再び新しいサイクルが始まる。そういう農耕的な感覚がありました。文化もそれと同じです。ある年齢になると、人生のサイクルが繰り返されていることが見えてきます。 今では、若い人たちが自分たちと同じようなことを経験しているのが分かります。
私は今53歳ですが、10代、20代、30代、40代を経験し、今50代になりました。さまざまな年齢の人たちがそれぞれの段階で同じようなことを経験しているのを見ると、「ああ、自分もその年齢のときに同じことをしていた」と思うのです。 スタイルは多少違っても、本質的な動きは同じです。波が寄せては返すように、人生は満ち引きを繰り返します。サブカルチャーも同様です。ヒッピー、ビートニク、パンク、クラブ・キッズ。基本的な要素はすべて同じです。若者たちが集まり、意識を拡張するために精神に作用する物質を使い、独自のスタイルを作り出します。そのスタイルがメディアに取り上げられ、一般文化へと広がり、若者たちがそれを模倣するようになります。そしてやがて大きな悲劇が起こり、その文化は崩壊します。そして言葉自体が忌避されるようになり、誰も関わりたがらなくなります。そして10年、20年後になると、人々がそれについて本を書き始めます。こうしてサブカルチャーを通じて、人生のサイクルというものを理解できるのです。
『90年代ニューヨーク・ダンスフロア:ファッション・アート・ジェンダーを解放した「クラブ・キッズ」の物語』
著者:ウォルトペーパー(著) Jun Nakayama(訳)
価格:5,280円
発売日:2026年3月3日
出版社:DU BOOKS