ガラスやプラスチックは人間の感覚にどんな影響を与えた? 研究者に聞く、AI時代にこそ考えるべき“感覚”の歴史
人間の感覚とは、普遍的なものではない。経済活動や社会的慣習、技術によって絶えず変容してきた。ガラスのショーケース、セロハンの包装、プラスチックタッパーの誕生は、人間の感覚にどのような影響を与えたのか。洋食文化はどのように日本人に受け入れられたのか。なぜ施設のアナウンスは女性の声が多いのかーー。
歴史学者・久野愛は『感覚史入門 なぜプラスチックを「清潔」に感じるのか』(平凡社新書)の中で、人間の感覚がいかに変容してきたかを鮮やかに描き出す。史料から読み解く過去の匂いや手触り、そしてAI技術やコロナ禍がもたらす現代の感覚変容まで、当たり前だと思っている日常の感覚の裏側にある、豊かな歴史の世界について久野に聞いた。
史料と向き合い、「感覚史」のストーリーを組み立てる
ーー人間の「感覚」をあえて歴史として研究する面白さはどこにありますか。
久野:感覚や五感は、本能的で個人的、あるいは主観的なものだと思われがちです。日常生活で常に何かを感じていながら、あまりに身近すぎて深く考えない対象でもあります。しかし、感覚を掘り下げていくと、実はそれが非常に政治的であったり、社会的な影響を強く受けていたりすることが分かります。自分たちが生きている日常に直結しているからこそ、人間がどのように生きてきたのかを考えるためのレンズになる。そこに面白さを感じています。
ーー主にどのようなところから情報を得て、研究を進めていらっしゃるのでしょうか。
久野:一つは、やはり先行研究ですね。本書でも多くの方の研究を引用していますが、先行文献を読むことが一番の土台になります。あとは、私自身も歴史研究者ですので、文書館などに赴いて、ひたすら史料を読む作業が中心です。例えば、かつてデパートや企業に関わった人々が残した手紙、政府が発行した規制に関する書類、企業と政府のやり取り、あるいは当時のニュースレターといった文書が数多く残っています。そうした当時の生の記録を読み解くことで、「当時はこのようなことが考えられ、その結果として何かが作られた」というストーリーを組み立てていくのが、最も一般的な手法です。
ーー日本における感覚史研究の現状についても伺えますか。
久野:日本で「感覚史」という言葉を掲げているのは私くらいかもしれません。ただ、同様の興味関心を持って研究されている方は、実は昔からたくさんいらっしゃいます。例えば、哲学や現象学の分野では身体や感性に注目した鷲田清一さんのような方がいらっしゃいます。「感覚史」として学会やグループが存在するわけではありませんが、哲学、人類学、社会学といったさまざまな分野に、同じような問題意識を持った研究が散らばっているのが現状です。
ーー文献や資料を多角的に分析するだけでなく、科学的な知見も必要になりそうですね。
久野:そうですね。私自身、化学や生物学的な知識をもっと取り入れていきたいと考えています。感覚を研究している科学者の方々と共同研究ができれば面白いのですが、なかなか出会うきっかけがありません。ただ、感覚史は歴史学だけでなく、さまざまな分野やテーマで語ることができる領域横断的なものだと思っています。
ーー企業と連携した取り組みなどはあるのでしょうか。
久野:できれば面白いなと思っているのですが、なかなかきっかけがなく、実現には至っていません。特に化粧品会社や食品会社などとは相性が良いと思うのですが、学術的すぎると敬遠されてしまうのかもしれません(笑)。
また、研究者として企業の活動を多角的に分析し、時には批判的な視点を持つという立場と、実務の現場に入っていくことの折り合いをどうつけるかという難しさもあります。それでも、企業の方々とディスカッションを重ねながら、新しいものを生み出していくことができれば、それは非常に有意義なことだと考えています。
AI時代こそ人間の主観的感覚が重要
ーー本書を読むと、確かに人の感覚とは変容するものだと実感させられます。例えば、最近では女性が昔に比べて重厚な香りの香水をまとうなど、性別による境界も変化しているように感じます。
久野:なるほど、面白いですね。最近はユニセックスで使える香水も増えていますし、境界線はより曖昧になっているかもしれませんね。そもそも「感覚をどこまで定義できるのか」というのは非常に難しい問題です。
現在はAIによる匂いセンサーのような技術も登場し、感覚を数値化しようとする試みも以前より進んでいます。実はこうした「客観的な数値化」への欲求は、19世紀末や20世紀初頭にも原始的な形ですでに存在していました。現代はその技術が質・量ともに飛躍的に発展している段階だと言えます。
ーーAIが人間の言語モデルを学習するように、まずは「人間の感覚」そのものを研究することが重要だという本書の視点は、現代のテクノロジーを考える上でも示唆に富んでいると感じます。
久野:そうですね。例えば嗅覚などは、実はまだ解明されていないメカニズムが多く残っています。そうした未解明な部分をAIなどの型に無理に落とし込もうとすると、どうしてもこぼれ落ちるものが出てきてしまいます。数値を出すことはできても、それを人間が「どう体験しているか」という部分は、数値などにデータ化することは難しい一方で、依然として非常に重要な要素です。AIは役に立つ技術ではありますが、それだけに依拠するのではなく、人間側の「体験」を丁寧に見つめ直すことが、今の時代にはより求められているのだと思います。
ーー本書には、人間の感覚は経済活動のみならず、政治的文脈でも変容することがあると書かれていますね。
久野:本書では主に資本主義や消費社会の発展に焦点を当てていますが、いわゆる消費活動などとはまた別の、広い社会的枠組みの中における、権力や社会構造に根ざした感覚の歴史もあります。例えば、本書の「感覚の政治性」の章で触れた、言語や聴覚による差別が挙げられます。アイヌの言葉や沖縄の方言が差別されるといった問題は、純粋な経済活動とはまた異なる文脈を持っています。
また、音楽の歴史も興味深いですね。ジョン・ケージの「沈黙」を音楽として表現したり、武満徹さんのような前衛的な音楽が登場した際、それまでの「音楽とはこうあるべきだ」という聴覚の基準が大きく揺さぶられました。街の風景の変化も同様です。洋風建築が増えるといった視覚的な変化は、人々の感覚を塗り替えていきました。感覚史研究の古典的な例では、アラン・コルバンが教会のベルの音について書いています。かつては教会のベルが生活のリズムを作っていましたが、その音が失われていくことで、人々の生活感覚もまた変わっていったのです。
デジタルネイティブが渇望する「ノイズ」
ーー若い世代の間で「ローファイ・ヒップホップ」のように、あえてノイズを入れた古い質感が流行したり、「写ルンです」のようなアナログカメラが「エモい」と人気だったりする現象も面白いです。
久野:非常に興味深いですよね。この世代の人たちは、レコードの針の音やフィルムの質感を、実体験としての懐かしさではなく、未知の「心地よいノイズ」として味わっている。CDすらレトロなものになりつつある中で、あえて不便さやアナログな質感を享受しているわけです。ただ、私たちが実用として使っていた頃の「写ルンです」の感覚と、今の彼らが「エモいおしゃれなアイテム」として持つ感覚とでは、その意味合いは全く異なります。同じモノを介していても、そこにある「感覚」は変容しているのです。
ただ、私が本書を書くうえで大事にしたのは、「昔は良かった」と過去を美化するのではなく、こうした変化を見つめ、その変化から何が分かるのかという視点であることは強調しておきたいです。
ーー本書では、岩手から上京した宮沢賢治が神田の食堂の風景を活写した詩が引用されていますが、明治時代の文学を読むと、現代とは感覚が全く違っていて衝撃を受けることがありますね。
久野:そうですね。私自身、もともと日本の近現代文学に詳しいわけではなかったのですが、改めて読み直すと発見が多いです。例えば、谷崎潤一郎の『痴人の愛』。主人公のナオミが奔放に振る舞う姿などは、当時の新しい女性像や西洋文化が入ってきたことによる感覚の変容が鮮やかに描写されています。感覚史を概観したとき、現代の私たちの感覚を決定づけたターニングポイントは、19世紀末から20世紀初頭にかけての工業化・産業化の波です。日本においては、西洋文化の流入による変化は決定的でした。
ーーコロナ禍も人の感覚を変容させたのでしょうか。
久野:物理的な接触が制限されたことはもちろん、感覚障害という症状を通じて、多くの人が「感覚を失うこと」を意識しました。また、現在のようにオンラインでの対話が「ノーマル」になったことも、大きな感覚の変化をもたらしています。これは身体的な五感とは少し異なりますが、バーチャルな場での意思疎通が日常の一部となったことは、一種の「感性の変容」と言えるかもしれません。コロナ禍という社会状況と技術的な変化が、私たちのコミュニケーションにおける感覚を再編したのだと感じます。
「使い心地」が示す感覚の重要性
ーー現在、久野さんが一番関心を持っている現象や、興味深いと感じている事象はありますか。
久野:「感覚の変化」への関心です。本書を執筆したことで日常のさまざまな事象を「感覚史」の視点から見るようになりました。その一つが「紙」です。
ーー紙の質感や手触り、匂いといったものですか。
久野:そうですね。例えば、19世紀のアメリカでは、手紙を出す際の便箋の質が送り手の階級やジェンダー、年齢を表す指標になっていました。当時はマナー講師が「この手紙にはこの紙を使うべきだ」とアドバイスする本もあったほどです。紙の質を磨き上げるための技術開発の歴史と、その手触りが社会的に何を意味してきたのか、という変遷に非常に惹かれています。また、関連して「トイレットペーパーの柔らかさ」についても調べてみたいと思っています。なぜ私たちはこれほどまでに柔らかさを求めるのか、そのための技術開発はどのように進んできたのかという点に、身近な感覚の歴史が隠れている気がするのです。
ーートイレットペーパーの話は興味深いですね。本書の中でも「感覚科学」のお話の中で、アメリカ兵が戦地で食べる缶詰の肉の味が美味しくないことが、精神衛生や士気にも影響したというお話がありました。
久野:そうですね。災害時などの過酷な状況においても、トイレットペーパーの質が悪いといった「使い心地」の欠如は、心身に小さくない影響を与えるはずです。「非常時だから何でもいい」というわけではなく、感覚的な心地よさが人間にとっていかに重要であるかということを示していると思います。
ーー本書を通じて、読者に最も伝えたいことは何でしょうか。
久野:本書は、「昔は質感が豊かで良かった」と過去を美化するレトロ趣味的な、一面的に過去を懐かしむための本ではありません。もちろん、現代において感覚の体験が画一化され、こぼれ落ちてしまったネガティブな影響はあるでしょう。しかし、大事なのは過去を美化することではなく、「感覚に関する研究」というレンズを通じて、自分の当たり前だと思っている生活や日常を少し振り返るきっかけにしていただくことです。本書ではあえて多くの引用や議論を紹介しました。それは、歴史上のさまざまな人々が感覚についてどのように考え、格闘してきたかを知ってほしかったからです。
ーー歴史というと、どうしても年表の暗記のような「縦の歴史」をイメージしてしまいがちですが、本書はそれとは全く異なりますね。
久野:そうですね。歴史というのは、単に過去に何が起きたかを知るだけではなく、社会や物事の「見方」を学べるものだと思っています。いつ何が起きたかという事実を知るだけではなく、その事象をどう切り取り、どう理解するかという視点が複数あることに気づけます。それによって、社会の見え方そのものが変わっていく。
この本をきっかけに、日常の些細な感覚、例えば匂いや手触りの裏側にある社会の仕組みに目を向け、自分たちの感覚がいかに歴史的に作られてきたかを見つめ直していただけると嬉しいです。そうした歴史の面白さを伝えたいですし、感覚という身近なテーマが歴史研究の重要な対象となりうることを知っていただければ幸いです。
■書誌情報
『感覚史入門 なぜプラスチックを「清潔」に感じるのか』
著者:久野愛
価格:1,210円
発売日:2025年12月17日
出版社:平凡社
レーベル:平凡社新書