湊かなえ原作『人間標本』は、なぜ「美少年」と言い切らないのか? 表現としての「イケメン」を考える
大人気シリーズも遂にイケメンをAIで生成する時代になった
2026年3月11日、水谷豊主演ドラマ『相棒』season24(テレビ朝日系)最終回が放送された。次期警視総監による過去のパワハラを証拠付ける録音データを巡り、警察内部が荒れる。あろうことか、豪邸荒らしを装い、そのデータを所持する元部下の自宅から奪取するという荒業。実行犯は全員、未成年。それも不思議とイケメン揃い…。
調べによると指示役は「ロン毛のイケメン」らしい。でもただのイケメンではない。画面越しに通信で指示するAIイケメンだった。大人気シリーズも遂にイケメンをAIで生成する時代になったのだ。1990年代後半に俗語として生まれたイケメンは、バブル経済後でもどこか浮ついた平成を象徴する、軽やかなワードとなり、すっかり人々の日常に溶け込んでいった。イケてるメンズ。つまり、見た目がカッコいい男性は誰でもイケメン。その基準は単純だ。令和になってもそれは変わらない。
一方で、キレイな女性を美人とは言わない。ルッキズム批判とその議論があちこちで紛糾している令和の基準では、美人マネージャーやマドンナ議員といった、見た目を偏重する表現はもうあまり使えない。イケてる面(メン)とのダブルミーニングでもあるイケメンも、定義的に見た目偏重もいいところなのに、なぜかしれっと批判の目を掻い潜っているところがある。『相棒』に登場した指示役「ロン毛のイケメン」はAIだから尚更、議論の俎上には上がらないということなのだろうか?
ルッキズム批判の外ではイケメンが氾濫中
そもそも「ロン毛のイケメン」と声に出してわざわざ言語化していたのは、「暇か?」の口癖でお馴染みの課長・角田六郎(山西惇)だった。同役を演じる山西の口から「イケメン」と発せられたということは、令和の中年から初老男性でもごく当たり前のようにこの言葉を使っていることを示すのか。イケメンという単語がこれだけ膾炙したのだから、おじさんが若者言葉をあえて使っているわけではないだろう。ちょうど同クールに放送されていた生田斗真主演ドラマ『パンダより恋が苦手な私たち』(日本テレビ系)では、生田演じる元モデルで大学の准教授である椎堂司を、第3話で上白石萌歌演じる編集者・柴田一葉の姉が、第5話で水族館の入場客が口々に「イケメン」と形容していた。いずれも20代から30代の女性たちだ。この単語を使用する年齢範囲は本当に幅広い。
瀬那和章による原作小説のプロローグにも「視界に入るたびに息を止めてしまいそうなイケメン」とキャラ設定が明記されている。イケメン高校生たちがまるで若手アイドルのように崇められる学園生活を描いた、平成イケメンドラマの金字塔『花ざかりの君たちへ~イケメン♂パラダイス~』(フジテレビ系、2007)でメインキャラクターを演じた生田斗真に、令和のドラマもイケメン役を宛てる。ファッション誌『ViVi』が未だに「国宝級イケメンランキング」を選定していることも含め、ルッキズム批判の外では令和になってもまだまだイケメンが氾濫中だ。
一方で、その取り扱いに慎重かつやや複雑なスタンスの現行作品もある。2023年に単行本が出版され、2025年に文庫化、西島秀俊主演ドラマとしてPrime Videoで配信された、湊かなえ『人間標本』は、(見た目が)美しい少年キャラクターたちに彩られながらも、イケメンのイの字もでてこない。彼らは初対面の場面で、蝶学者の主人公・榊史郎に「芸能人に遭遇したかのよう」な、きらきらとして軽やかな第一印象を抱かせたのだが…。
湊かなえ原作『人間標本』は、なぜ「美少年」と言い切らないのか?
「芸能人」みたいなイケメンと形容すれば随分わかりやすい。ただし、彼らは主人公によって禁断の領域に引き込まれる、未成年の(美)少年たちだ。イケメンと形容するのは軽過ぎるかもしれない。重厚に「美少年」と言えばいいところを、絵画合宿に集められた(自分の息子を含む)少年6人を手にかけ、等身大の標本にしてしまうこの主人公は「蝶のように美しい少年たち」と言う。人間標本化を計画した彼の目には美しい少年が、美しい蝶そのものにしか見えないからだ。
とはいえ、犯人の手記の程をとる小説内では、「整った容姿」や「すっきり整った顔立ち」、「昭和の二枚目といった整い方」といったルッキズム全開の表現が散見される。「二枚目」は歌舞伎由来の重厚な表現であり、イケメンとの差異は歴然としている。配信ドラマで少年たちを演じる俳優はどう見ても爽やかなイケメンにしか思えないが、原作ではあくまで主人公の観察眼に基づいた重厚な表現が使われる。なのに「美少年」とだけは頑なに言い切らない。これが不思議なのだ。
配信ドラマの美術監修には、数々の芸能人を艶やかなビジュアル表現でアート化してきた『美女採集』の清川あさみが入っている。彼女の作品は一見、見た目ばかりを強調しているようで、むしろ美女の見た目に裏打ちされた内面世界に重きを置いている。ルッキズム的表現というわけではないのだ。言葉の表面的な意味、印象としては「美人」や「美女」同様、「美少年」も「イケメン」の古風なバリエーションくらいに考えられてしまうのか。だとするなら、どんな単語が正しいとされるのか。紛れもないイケメン俳優たちの顔から顔へアップ攻めにした、2025年最大の話題作『国宝』がロングラン上映中でもある2026年、イケメンの取り扱いを真面目に考える必要がある。少なくとも『人間標本』はその問題提起を密かに示してくれている。