手塚治虫・生誕100周年で何がある? 子息の手塚眞が新作長編アニメの構想を語る
漫画の神様・手塚治虫の生誕100周年が2年後の2028年にやって来る。それに先駆け2月20日から25日まで新潟市で開催の第4回新潟国際アニメーション映画祭(NIAFF)では、「手塚治虫レトロスペクティブ」と題して、手塚が漫画を描きながら制作に取り組んだアニメーション作品の数々を上映。漫画研究家の藤本由香里や子息でヴィジュアリスト/映画監督の手塚眞がトークを行って、日本の漫画とアニメを発展させた手塚治虫の業績を改めて語った。
「大学で漫画とジェンダーを教えている私の人生を決めた作品です」。NIAFFでの『リボンの騎士』上映の後、トークイベントに登壇した漫画研究家で明治大学国際日本学部教授の藤本由香里が話したのは、手塚治虫の漫画『リボンの騎士』が今に繋がっている作品だということだ。
まだ3歳くらいの時、親といっしょに行った理容室で読んでいた少女漫画誌「なかよし」(講談社)に連載されていたのを読み始めたそう。帰る時になっても読み終えておらず「ちょっと待ってと言ったら店の人が持って帰っていいよと言ってくれたんです。それが漫画人生の始まりでした」。
以後、手塚治虫の作品を探して読むようになり、広く漫画に親しむようになって漫画評論を書くようになった。一方で、セクシャリティに関する研究や執筆、編集といったことも行うようになっていった。そうした活動領域で、天使チンクのいたずらによって男と女のふたつの心を持って生まれてしまった王女サファイアをめぐる『リボンの騎士』の物語はまさに原点とも言える作品だ。
自身だけでなく、「日本初のストーリー少女漫画が性別越境の話で始まっていることは、日本の少女漫画にとっても読んでいる女性たちにとっても大きかったのでは」と藤本。「『ベルサイユのばら』(池田理代子/集英社)に繋がる男装の少女や女装の少年、男性同士のBLに百合といったものに発展していく原点を担った」と、同じように『リボンの騎士』に刺激され作家たちが、幾つもの作品を生み出しその読者がさらにといった流れの先に、今の日本の漫画作品に特徴的な多様性があることを示唆した。
「女性でも自分で道が切り開けるし、戦えるということを無意識のうちに見せてくれた。それにプラスして、女の子として好きなものを手放さなくても良いと言ってもらえた」と藤本。「戦う少女的なところにも惹かれていたが、お姫さまも好きだった。その両方を持っていて良いという可能性を示してくれた作品だった。それを受け継いだ次の作家がバリエーション豊かに広げていったものが日本の財産になっている」と、『リボンの騎士』や手塚治虫が日本のポップカルチャーに持つ影響力の強さを改めて指摘した。
トークには、『アニメと声優のメディア史 なぜ女性が少年を演じるのか』(青弓社)などの著作を持つ新潟大学人文学部教授の石田美紀も登壇。「少女クラブ」連載版や「なかよし」連載版があり、アニメはそれぞれのストーリーやオリジナルの展開を混ぜ合わせたものになっていること、それぞれの作品やシーンにおいて、サファイアという主人公の中で締める女性と男性の割合が違っていることを話した。今後これらを読んだり見たりする時に、どうなんだろうと考えてみるのも良さそうだ。
手塚治虫が漫画だけでなくアニメーション作りにも熱心だったことは、東映動画(東映アニメーション)の『西遊記』(1960年)などに携わったあと、虫プロダクションを立ち上げ日本初のTVアニメシリーズ『鉄腕アトム』を送り出したところに現れている。その『アトム』より先に作られたのが、実験アニメーションと言われる『ある街角の物語』(1962年)。NIAFFの「手塚治虫レトロスペクティブ」でも上映され、『アトム』や『リボンの騎士』などとは違い、グラフィカルな絵が音楽に合わせて動くモダンな映像で、手塚アニメの別の一面を見せていた。
こちらの上映には、子息でヴィジュアリストの手塚眞が登壇。商業的な成功を目指す必要があるため100%ピュアな手塚治虫とは言えないところがあるTVアニメとは違い、手塚治虫がやりたいことが詰まったアニメーションであることを話していた。道を歩いているうちに視点がだんだんと激しく上下するようになり、その動きの中で世界の変化を描く『ジャンピング』(1984年)や、フィルムで上映される映画に起こりがちなガタつきや傷をネタに取り入れた『おんぼろフィルム』(1985年)なども上映。手塚治虫がアニメーションで様々な技法や表現に挑戦し続けた軌跡を示した。
トークでは、『ある街角の物語』や『ジャンピング』、そしてチャイコフスキーの「交響楽第4番」(「ある森の伝説」)からイメージを想起させた『森の伝説 PART-1』(1987年)に共通して戦争がもたらす破壊が描かれている点に着目。手塚眞は「父親は戦争体験者なので、それに対する強い思いがあって漫画に描いていて、アニメの中にもストレートに入っている」ことを指摘した。
「僕らだと捻ったり距離を置いたりしがちなところをストレートに描く。伝えなくてはいけないという使命感があったと思う」と手塚眞。経験者だからこそ語れた手塚治虫の強い思いは、世界情勢が大きく揺れ動いている中で改めて必要とされていきそうだ。
『ジャンピング』が世界的なアニメーション映画祭の「ザグレブ国際アニメーション映画祭」でグランプリを受賞したように、手塚治虫は世界各地のコンテストに積極的に作品を出して評価を求めた。漫画家として常に最先端であり続けようとした貪欲さがアニメーションでも現れた格好。何しろ『森の伝説 PART-1』が映画祭の出品に間に合わないと分かるや、『プッシュ』『村正』という別の短い作品を作ったほどで、手塚眞も同じクリエイターとして「おかしい」と笑いながら振り返っていた。
1989年に死去したことで、本来なら全楽章分を作る予定だった『森の伝説』は第1楽章と第4楽章だけに止まった。後を受けて手塚眞が2014年に『森の伝説 第二楽章』を作ったが、残る第3楽章についてもいよいよ制作が具体化してきた様子。トークイベントで手塚治虫の残した構想を元に、砂アニメや人形アニメが入り混じった多彩な表現を持つ作品になることを明かした。さらに、2年後の手塚治虫生誕100年に向けて、手塚治虫原作の長編アニメ映画を総監督として作ることになったとコメントして期待を誘った。
NIAFFでの「手塚治虫レトロスペクティブ」は他に、NHKの連続ドラマ『あんぱん』の中で、やなせたかしが携わったことで話題になった『千夜一夜物語』(1969年)や、日本テレビ放送系の「24時間テレビ」で放送された『海底特急マリンエクスプレス』(1979年)なども上映。どの回も満席になる盛況ぶりで、手塚治虫作品の未だ衰えを見せない人気を再確認させた。
NIAFFでは次回も手塚治虫を取り上げる予定。手塚眞は「世界中で日本のアニメがブームになっている。その最初は東映動画で次が虫プロ。そこを探るのが日本のアニメの歴史を見ていくことに繋がる。新しいものだけでなく遡って見ていくことに意味のあるタイミング」と話して、手塚治虫のアニメ作品を令和の時代に見る意義を訴えていた。