漫画家・永田カビが“頑張りすぎ地獄”から脱出できたワケ「頑張ることが何より正しい行いじゃない」
『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』(イースト・プレス)で鮮烈なデビューを飾った永田カビ。生きづらさを抱える自身の内面と真摯に向き合う様を見事にマンガ化した数々の作品は、日本のみならず世界各国でも反響を呼び、海外のマンガ賞も受賞しているエッセイマンガの名手だ。
しかし2022年、無理を重ねて仕事に取り組んだ結果、心身共に完全に壊れ、原稿中に感じた辛さや苦しさなどを凝縮させた〈怖い記憶群〉のフラッシュバックに苛まれるようになり、日常生活を送ることさえままならない状況に陥ってしまう。最新作『頑張りすぎ地獄から脱出しましたレポ』(双葉社)では、そんな苦しみの日々から抜け出し、再びエッセイマンガを描けるようになるまでに行った自己改革を描いた作品だが、彼女の新たな代表作になると断言できるマスターピースとなっている。
「Karoshi(過労死)」が国際社会でも知られるようになった現在、永田からの祈りのようなメッセージでラストを迎える本作がもたらす共感も非常に大きいはずだ。地獄のような苦しみの中、一体どのようにしてこの作品を生み出すことができたのか? これまでの創作活動についても含めて話を聞いた。(林みき)
数々のエッセイ作品が生まれるまでの裏側
ーーデビュー作『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』は、エッセイマンガとしての完成度が異常に高かったのですが、もともとエッセイ作品を描くことに興味があったのでしょうか?
永田カビ(以下、永田):全くなかったです、もう本当に。エッセイマンガも最近ちょっと読むようになったくらいで、それまで読んだことも多分なかったんじゃないかな。ずっとフィクションの作品が描きたくて描いていたし、エッセイを描いたのも『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』が本当に初めてでした。
ーー作品やインタビューを拝読する限り、永田さんはご自身を客観視する能力に長けていると思うのですが、どのようにしていろいろな視点で自分を見つめているのでしょうか?
永田:「自分を突き放して見ることができている」とか「客観視する能力がすごい」とか、勿体ないことによく仰っていただけるんですけど、その自覚っていうのが私にとっては全然ピンとこなくて。むしろ日常生活を送っていて「自分を俯瞰して見るのが下手くそだな」と思うことが多いです。困った状況になったときに視野が狭まって「うわーっ!!」ってなることが度々あるんですけど、「ここでもっと自分を俯瞰して見れたら、落ち着いて解決策を模索していけるんだろうな……」と。
ーー意外です! これまでの作品の中では物事の捉え方や考えが変わるまでの思考の流れも巧みに描かれていましたが、普段からメモを取られているんですか?
永田:現在は、割と常に「今のこの状況をエッセイに描く or 描かない」と自分のことを見ながら生きているので、「描く」と思った状況のときのことって結構覚えているんですよ。なので「忘れそうだけど、これは描きたい」と思ったときや、既にプロットとしての文章が頭に浮かんできたらメモするくらいです。なんだったら、コマで頭に浮かんできたりすることもあります。
ーー2019年に出された『現実逃避してたらボロボロになった話』(イースト・プレス)の中で、ご両親を悲しませてしまった自責の念によって封印していたエッセイ作品の創作を再び始められたエピソードについて描かれていましたが、ご両親をまた泣かせてしまうのではないかというプレッシャーはなかったのでしょうか?
永田:すごくありました。けど、私はものすごく0か100かの思考で、再びエッセイを描くというモードが100%になってしまったので、もう描くようにしか動けなくて。心配はあったけど「もういいや、描こう!」と思って描いたのですが、心配していた通り2021年に『迷走戦士・永田カビ』が出たときには「出版をやめられないのか」と言われてしまったくらい、再び泣かせてしまったんです。
ーーだから過去にインタビューで『迷走戦士・永田カビ』(双葉社)以降はお母様がネームのチェックをするようになったと話されていたんですね。
永田:そうなんです。1回目に泣かせたときにあれだけ後悔して「なんて親不孝なことをしてしまったのだろう」と思ったのに、また泣かせてしまったことがすごくショックで。「こんなことしているマンガ家いるか?」っていう話なんですけど、母にネームチェックしてもらおうと思って、2021年に『これはゆがんだ食レポです』(双葉社)を休載するまではチェックしてもらっていたんです。休載を挟んで復活するときくらいから母のネーム確認はなくなって、今はもうしてもらっていないですね。今では親は連載も読んでないし、単行本が出たら「一冊くれ」と言うから渡す程度の感じで。
ーーその頃、親子関係がギクシャクしませんでしたか?
永田:いやぁ、散々ギクシャクしました。それまでもギクシャクしていたんですけど、エッセイを描くようになってからは、もうそれはそれはギクシャクしました。最近は双方の多大なる努力でかなり歩み寄って、かなり円満な家族関係を築けています。
苦しみの渦中に思い浮かんだ「描きたいコマ」
ーー『頑張りすぎ地獄から脱出しましたレポ』の冒頭で、〈怖い記憶群〉のフラッシュバックに苦しみながらも、その体験をマンガとして描こうと決められていたとありましたが、もしや苦しみのさなかにもプロットやコマが頭に浮かばれていた……?
永田:そうなんです、まさにそれで。第1話の8ページ目に描いた「苦しい」「寂しい」「つらい」というのが夜中に起きたときにガーッと迫ってくるコマが、ものすごく苦しい中で「描くとしたらこの絵だな」ってブワッと思い浮かんだんですよ。それで「あれが描きたい! でも描いたら絶対にこの地獄を繰り返すだけだ」と思いつつも「いつか描けるようになってほしいな」と考えていて。
両親に「こういうのが思い浮かんで描きたいんだけど、描いたら絶対地獄になるよね」みたいなことを話したら、「もうこんな大変な思い二度とできないから、頼むから描くのは絶対にやめてくれ」と言われていたんですけど、何年も経って「今なら大丈夫、もう地獄に舞い戻らない」と思えるようになるまで寝かせておいていたんです。
ーーいつかマンガに描きたいという想いが、ある種の希望にもなっていたりもしましたか?
永田:そうかもしれないです。もう本当にマンガによって地獄に落ちるし、マンガによって救われるし、っていう感じですね。
ーー作中では「『がんばる』事との付き合い方(中略)を再考しないといけない気がした」という気付きについても描かれますが、この気付きはどのタイミングで得たのでしょうか?
永田:2022年の原稿を脱稿して、フラッシュバックに何度も襲われるようになってすぐに思いました。作品の中でも描きましたけど、頑張るって何よりも正しい行いだと思っていたから死ぬほど頑張りまくったのに、その結果こんな地獄を味わわないといけないんだったら、頑張ることが何より正しい行いじゃないんだなと気付いて。ということは頑張るということの付き合い方が、これまでのままじゃダメで、考え直さないといけないなと思ったんです。もうあまりにも苦しいし、とにかく助かりたくて考えるしかなかったです。
その頃は、働いてお金を稼ぐこともできなければ、生きがいであったマンガも何年も描けなくなって、もうこのままでいる訳にはいかないという状況で。もう絶対にあの地獄を繰り返したくない、味わいたくないというのもありましたし、両親からも「次は助けられない」と言われていて。あと「こんな地獄だった」という描写もマンガではマイルドにしてあって、実際は何倍も酷かったこともあり回復に年単位の時間がかかったので、やっぱり頑張ることとの付き合い方、仕事の仕方、自分との向き合い方を、もっと変えていける限り変えていかないといけないなという気持ちはありました。
ーーその頃、心の支えになっていたものは何かありますか?
永田:両親の支えも大きかったですし、作中にもあるように毎日絵を描いて過ごしていたんですけど、それが支えになっていたと思います。ただ、それまで描いていた絵柄や、仕事用の絵柄で描くとフラッシュバックが起きてしまうので、描いても大丈夫なように絵柄を工夫していました。その絵は全部取ってあって、「当時こんな地獄にいた」っていうことを忘れないように時々見返すようにしています。
ーーやっぱりマンガや絵は、永田さんと切っても切り離せない関係にあるんですね。
永田:そうですね、もう物心ついたときから絵を描くのが好きだったので。
「どうか無事に生き延びて欲しい」という祈り
ーー『現実逃避してたらボロボロになった話』の中で、直近で起こった出来事は客観視しづらくて「まだ治ってない傷口をいじってる感じ」があって苦しいと描かれていましたが、約3年前の出来事を描かれた今作はスムーズに取り組めましたか?
永田:今はありがたいことに、ネームも作画も1冊分できてから連載に入るかたちを取らせていただいていて、『頑張りすぎ地獄から脱出しましたレポ』のネームもだいぶ前に1冊分送ってあったんです。でもネームができた時点では「今、作画作業に入ったらまた地獄だな」という確信があったので時間を置かせてもらって。
あと2022年にやっていた原稿はつけペンと墨汁で描いていたんですけど、それで何かを描くというのもフラッシュバックを誘引するようになってしまったので、作画もボールペンに変えさせてもらいました。それで「今なら描いて大丈夫」っていう環境をほぼ完璧に整えた状態で作画に入ったんです。色々と思ったこととかも新しく出てきてネームを修正したりもしたので、最初にネームをお送りしてからかなりタイムラグがありました。
ーー時間が過ぎていく中、焦りは感じませんでしたか?
永田:焦りはありました。基本ワーカホリックなので、何もしてないっていうのが不安で。それでエッセイじゃないマンガを自主的にX(旧Twitter)にアップして、大して誰も読んでくれなかったりとか、そういうスベったことを色々とやりつつ、「あぁ、エッセイがもう一度描きたい……」とずっと思いながら3年間を過ごしていて。2024年に『これはゆがんだ食レポです』の連載を再開する頃からであればエッセイに復帰できそうだという気持ちがあったので、そこから『頑張りすぎ地獄から脱出しましたレポ』の作画を始めさせてもらい、満を辞して連載が無事に始まったという感じでした。
ーー今作はこれまでの作品以上にメッセージ性のあるラストになっていますが、ネームに取り掛かれていた時点からメッセージ性を強く出されることを考えられていたのですか?
永田:そんなことは全然なくて。本当に初めは自分が体験したことがいかに地獄だったかっていう話をメインとして描いていたんですけど、2回目に送ったネームから自分が思ったことがどんどん入ってきて、今の形になったっていう感じです。やっぱり時間を置いたからこそっていうのがあると思います。
ただ、ある程度自分が傷つかないと描いた気がしないみたいな変な境地に私は至ってしまっているのですが、今作は傷ついた感はそんなになく、けっこう描いた感がありました。今まで未消化だったものが成仏していったような感じがありますね、描いて良かったなって。
ーー『膵臓がこわれたら、少し生きやすくなりました。』(イースト・プレス)の中で、ご両親が〈この世の足場〉となっているとありましたが、地獄のような体験を経た今、〈この世の足場〉となっているものは何ですか?
永田:両親も引き続き〈この世の足場〉になってくれていると思いますし、もう本当に地獄になったきっかけと同じものになってしまうんですけど、マンガを描けて、それを読んでもらえることだと思います。私にとってマンガを描くことって、致死量の猛毒であると同時に、生きるために絶対不可欠な空気とか水くらいの感じで。摂取し過ぎたら死ぬんですけど、摂取しないと生きられないみたいな感じがすごくしていて。なので、たぶん用法・用量を守って、ということが大事なんでしょうね。
ーーこれから『頑張りすぎ地獄から脱出しましたレポ』を読む人や、頑張り過ぎている人にメッセージを送るとしたら、何になりますか?
永田:マンガに全て描いてしまったので、読めたら読んでもらいたいですけど、そこまでメッセージを読み取らず単にマンガとして楽しんでもらえても、それはそれですごくうれしいです。現在頑張り過ぎてしまっている方っていうのも本当にたくさんいらっしゃると思うんです。でも多分、私もそうだったんですが、頑張り過ぎている渦中って、特にそこから抜け出すにも抜け出せないと思うんですよ。「無理しないで」と言ってもそんなの難しいし、「無理しないで済むなら、こんなことになっていないよ」っていう話ですし。なので、どうか自分が地獄から抜け出せるタイミングが来るまで、どうか無事に生き延びて欲しい、もうそれくらいしか言えないです。あとは本当に、それぞれ抜け出す方法が違うと思うので、それぞれの方法で地獄から抜け出していけますようにと強く願っています。