藤田晋『勝負眼 「押し引き」を見極める思考と技術』発売 書き下ろしの新作で何を著した

 サイバーエージェント創業者・藤田晋の新刊『勝負眼 「押し引き」を見極める思考と技術』が発売された。自身の経験を総括した書き下ろしの一冊であり、タイトルに掲げられた「勝負眼」という言葉が示すように、これまで経営、投資、麻雀、そしてeスポーツに至るまで、勝負の場に身を置き続けてきた藤田の思考の核心が語られている。

 本書は単なる成功論ではない。むしろ、勝ち続けることの不確かさや、冷静さと激情を同時に抱える人間としてのリアリティが濃厚に滲む。藤田晋がなぜ今、このテーマで筆を取ったのか。その背景を読み解くことが、この本の意義を理解する最短ルートとなる。

 藤田は長く「決断の人」と呼ばれてきた。インターネット黎明期を走り抜け、広告・メディア事業の拡大、ABEMA の立ち上げ、ゲーム事業の成功、さらにはMリーグ参戦と麻雀プロチームのオーナーとしての顔まで持つ。そのキャリアは、「一度勝ったら安定路線へ」という一般的な成功者像とは対照的だ。彼は常に新しい賭けに身を投じ続けてきた。勝負の場に身を置くこと=生き方そのものとして一貫しているからだ。

 本書の「勝負眼」とは、単なる直感の洗練ではなく、“押すべき瞬間を逃さず、引くべき時に自尊心を捨てる冷静さ”という、勝負と向き合う姿勢そのものを指す。

■藤田晋が語る「押し引き」の哲学

 本書の面白さは、藤田が勝負を「二元論」では語らない点にある。勝つか負けるか、押すか引くか。その表層には触れず、その背後にある判断の揺らぎや人間の感情を赤裸々に描いている。たとえば、「押す」局面では情熱と執着の必要性を語りながらも、そこには必ずリスクが付きまとう。一方「引く」局面では、自尊心や過去の成功体験がしばしば判断を誤らせる。

 藤田はその両方を冷静に突き詰め、「押し引きとは、理性・感情・経験値の三者の均衡である」と位置づける。成功者の勝ち続ける技術ではなく、勝者であるがゆえの葛藤、迷い、欲、恐怖。そのすべてを包含した「勝負の本質」を描くのが本書の読みどころだ。

 ではなぜ、藤田はこのタイミングで“勝負”の本を書いたのか。背景には三つの流れがある。ABEMA という巨大賭けの現在進行。サッカーワールドカップの無料放送、配信インフラの拡充、オリジナル番組制作など、ABEMAは莫大な投資を続けている。まだ「勝敗」が明確に見えない段階にあり、藤田の勝負観が最も研ぎ澄まされている時期でもある。Mリーグでの競技者との接点。腕だけでは勝てない、運だけでも勝てない。麻雀という競技を通じて藤田自身が学んだ“確率と執念の同居”は、本書の哲学の核になっている。経営者としての円熟。創業から四半世紀、藤田は人生の振り返りのフェーズに差し掛かっている。単なる経営指南書ではなく、いまだからこそ語れる自分自身の矛盾や弱さを含めた“人生哲学”を書き残す意義を感じているのだろう。

 これらの要因が重なり、「押し引き」という人生の支点そのものを言語化することが、いま必要だと判断したと読み取れる。本書が優れているのは、勝負を語りながら、実は「人の弱さ」や「感情の不安定さ」と正面から向き合っている点だ。

 藤田は、成功者のイメージとは裏腹に、日々揺れ動き、迷い、時に押しすぎ、時に引きすぎる。その事実を隠さない。むしろ、勝負の一番の敵は「自分自身」だと断言する。

 だからこそ本書は、経営者だけでなく、受験生、クリエイター、アスリート、投資家、会社員など、自分で判断して進まなければならない人、すべてに響く内容になっている。

 『勝負眼』は、勝ち方を教える本ではない。むしろ、勝負に向き合うときの不安、衝動、迷い、執着、そして決断の重さを正直に語った一冊だ。ビジネス書の体裁を取りつつ、その中身は藤田晋自身の生き方の書に近い。押すか、引くか。動くか、待つか。賭けるか、守るか。

 人生のすべては「勝負」に置き換えられる。藤田晋が本書に込めたのは、そんな普遍的な問いに対する、現時点での最善の答えなのだ。

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