辻堂ゆめが考える作家として大切なこと 即重版の話題の小説『今日未明』に込めた思いとは

 現代社会では、情報が瞬時に拡散される一方で、報道や世論の陰に埋もれてしまう声も少なくない。そんな「声なき声」に光を当てる短編集が、作家・辻堂ゆめの『今日未明』(徳間書店)だ。デビュー10周年を記念して刊行された本作は、「よくあるニュース」を題材に、報道では描かれない人々の思いや葛藤を鮮やかに浮かび上がらせる。

 数行の新聞記事から始まり、その裏に潜む人間ドラマがひも解かれていく本作。読者は物語を通じて、報道の裏側や当事者たちの多面的な思いに触れると同時に、自らの「先入観」や「固定観念」にも気づかされることになるだろう。

 すでに4刷の重版が決定するなど話題作となっている本作に託した思いから、報道とフィクションの交差点で生まれる物語の可能性、デビュー10周年を迎えての変化まで、辻堂ゆめに話を聞いた。

■デビュー10周年記念作品『今日未明』に込めた思い

4度目の重版が決定するなど多くの読者から反響を呼んでいる話題作『今日未明』(徳間書店)

――『今日未明』は、短い新聞記事から物語が始まる構成が印象的です。企画の出発点はどこにあったのでしょうか。

辻堂:普段から、ニュースサイトを見る際に、記事だけでなくコメント欄まで読んでしまう癖があるんです。自分が書き込むことはありませんが、そこに並ぶ反応が気になってしまって。例えば、ある事件の速報が出た直後は、まるで断罪するかのような批判が並ぶのに、続報で事情が明らかになると「それなら仕方ない」と手のひらを返すようなコメントが増える。取り上げられている当事者にとっては同じ出来事なのに、記事の切り取り方や取材の進み具合によって、世間の評価が大きく変わるんです。その現象がとても不思議で……。速報の段階で、なぜあれほど無責任にコメントできるのかと疑問に思う一方、自分自身も先入観を抱いてしまうことがあります。そこを共通のテーマとして取り上げてみようというのが、企画の出発点でした。

――タイトル『今日未明』にはどのような思いが込められていますか。

辻堂:もともとは「殺人現場にない真実」というシリーズ名で連載をしていました。一冊にまとめるにあたり、新聞記事の裏に潜む人間ドラマを追う――そんな作品の性質を端的に伝えられるタイトルを探していたんです。そんなときに、編集者さんが提案してくださったのが『今日未明』でした。この言葉は、速報性が高く、まだ詳細が明らかになっていないニュースにだけ用いられます。夜中に起こった事件を、早朝に報じるようなイメージもあります。どことなく不穏さを含んでいるところも、この作品にぴったりだと感じて、タイトルに選びました。

――デビュー10周年という節目に、この短編集を刊行された背景には、どのような思いがあったのでしょうか。

辻堂:実は、10周年を目標にして書いていたわけではなく、2022年から少しずつ書きためてきた作品をまとめた結果、このタイミングで刊行できたという流れでした。とはいえ、記念の年に形にできたことは、とても嬉しかったですね。人間の内面を深くえぐるような作品に仕上がり、読者の方にも「これまでと少し雰囲気が違う」と感じていただける挑戦作になったと思います。

――社会全体のムードや世論、風潮に合わせて、連載当初から変更した箇所はありますか?

辻堂:価値観の変化を強く感じて、それを作品に反映させた箇所がいくつかあります。例えば「ジャングルジムとチューリップ」では、男女平等意識の強い女性を主人公に据えています。連載時は、夫のセリフを「出産費用は俺が半額払う」としていましたが、ここ数年の社会の空気を考えると、このまま出すのは違うなと思って。一冊にまとめる際に「全額」に変更しました。

――なるほど。数年後に読み返すのも面白そうですね。

辻堂:ぜひ読み返していただきたいです。5編すべてに、現代社会の歪みや、この時代ならではの価値観を散りばめています。なので、5年後や10年後に読み返すと「ああ、当時はこうだったんだ」と、また違った発見や味わいを感じられると思います。

■報道とは正反対の人間ドラマを描く

――新聞記事から物語を膨らませる際に、特に工夫されたことはありますか?

辻堂:まず意識したのは、「読者が先入観を持ちやすい」ニュースを意識して選ぶことでした。そのうえで、「速報記事を見て最も憤りを覚えそうな当事者はどんな人物か?」という問いを繰り返し自分に投げかけました。ニュースに取り上げられた当事者からしたら「そういうことじゃなかったのに……」と感じることが、現実にもたくさんあると思うんです。「こうに違いない」と決めつけられがちな人物をどう描くか自問しながら、物語を膨らませていきました。

――各短編の新聞記事は、特定の事件をモデルにしたものではない?

辻堂:そうですね。どれも「よくあるニュース」を意識して、複数の事例を参考にしながら構成しました。ひとつに寄せすぎると具体性が強くなりすぎてしまうので、あえて複数の出来事から要素を取り入れるようにしたんです。これは余談ですが、新聞記事の書き方は入念に調べました。新聞記事は、情報の出し方や言葉の選び方にルールがありますよね。新聞社によっても表現が違うので、どの言葉をどう使うか、とても悩みました。毎回、「新聞記事にどれだけ時間をかけるんだ!」と思いながら書いていました(笑)。本編が始まると、ようやく自分のテリトリーに戻れたような気がしてホッとしましたね。

――読者からは見えない部分での苦労ですね。5編のなかでも、「そびえる塔と街明かり」が特に印象に残りました。着想について、詳しく教えていただけますか。

辻堂:先ほどお話しした「報道とは正反対の事情を持つ人物を描く」というテーマを、最も強く形にしたのがこの短編だと思います。主人公は30代後半の男性。恋人と、その娘との同居を始めたことから、彼の人生は思わぬ方向に転がっていきます。読み返すと、自分が子育てのなかで感じる不安や恐怖が反映された物語だなと感じますね。

――不安や恐怖とは、具体的にはどのようなものでしょうか。

辻堂:私自身、未就学児3人を育てる日々のなかで、子どもの思考に驚かされることが多いんです。普段は「道路は大人と一緒に渡るんだよ」「勝手に家を出てはいけないよ」と伝えれば、きちんと聞いてくれるのに、ある日突然「弟と一緒ならいい」とか、勝手に例外を作ってしまう。そういう瞬間にヒヤッとさせられることがよくあります。そういった、予測できない子どもの思考に対する「怖さ」が、無意識のうちに物語に反映されていると思います。

■「声なき声」を届けるためにフィクションだからできること

――報道や世論に埋もれてしまう「声なき声」を書くことに対する、先生の姿勢についてお聞かせください。

辻堂:ニュースは事実に基づき、社内の承認や紙面の制約を経て世に出ます。その過程で「報道価値がない」と判断されれば、事実があっても埋もれてしまいます。対して小説は、実際にあったかどうかに関係なく「こういう世界があるかもしれない」と想像を広げられる点が強みです。あり得ない話ではないよね、と一緒に思いを馳せてもらえるのが、フィクションの力だと思っています。

――大学卒業後、会社員として社会に出られましたが、その経験が「報道の裏側」や「声なき声」といったテーマに影響している部分はありますか。

辻堂:多少なりとも影響はあると思います。私が会社員になって初めて実感したのは、世の中の多くが「本音」と「建前」で動いているということでした。例えば新卒の頃、社内の問い合わせ窓口のメール対応をしていたときのこと。マニュアルに「こういう問い合わせは断る」と書いてあって、基本的にはそれに従ってお断りするんです。でも本当に緊急な案件が来ると、上司が動いて調整し、なんとか商品を提供することもあります。大学生まで、マニュアルに書いてあることは絶対だと思っていたのに、実際はケースバイケースなんですよね。「この人を納得させれば話が通る」とか。そうした“裏と表”の感覚は、どの作品にも自然と反映されているかなと思います。

■想像の余地を提示することが作家の仕事

――2018年に専業作家に転じたことで、何か変化は感じますか。

辻堂:兼業時代に比べて、重いテーマもためらわず扱えるようになったと感じています。また、ダムに沈んだ村が登場する『山ぎは少し明かりて』や、1964年と2020年という二つの時代を生きる親子の姿を描く『十の輪をくぐる』など、膨大な資料にあたらなければならない作品にも挑戦できるようになりました。

――執筆スタイルについてはいかがでしょうか?

辻堂:よく聞かれますが、特段面白い話ではないと前置きしておきます(笑)。子どもを保育園に預けている時間が、まるごと仕事時間です。家に一人なら、それはもう執筆の時間。家事を挟むこともありますが、基本はプロットや執筆にあてています。最近は「子どもがいない=書く時間」というスイッチが自然と入るようになりました。

――筆が乗ってきたタイミングでお迎えの時間がくるなど、中断によるもどかしさもあるのでは?

辻堂:もちろんありますね。でも、お迎えの時間も、頭の中はずっと動いています。「こういうセリフはどうだろう?」「その後の展開はこうしよう」といったアイデアを考え続けて、思いついたことはスマホにメモすることも多いです。私は、筆が乗ってくると延々と書き続けるタイプですが、強制的に中断されることで頭の整理につながります。「もしこの時間がなければ、気の利いたセリフを入れられなかったな」と感じることも度々あって、いまの執筆スタイルは悪くないなと思っています。今後も子育てで得られた経験やニュースから感じたことなど、作家として「想像の余地を提示する」小説を書いていきたいです。

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