『呪術廻戦』少年漫画としてなぜ異質? “主人公らしくない主人公”虎杖と宿儺との「すれ違い」から考察
宿儺をめぐって「愛」のテーマが浮上するも……
「死滅回游」の終盤以降、宿儺に関する掘り下げが徐々に進んでおり、そこで“絶対的な強者ゆえの孤独”というテーマが前景化していった。強すぎるために理解者を得られず、愛を知らないまま孤独に生きる……。いかにも少年マンガらしい王道の主題で、この構図のなかで宿儺に戦いを挑んでいった万や鹿紫雲一、五条悟は、さながら物語の主人公のようだった。
しかしここからのひねり方こそが作者・芥見下々の真骨頂。宿儺は孤独や愛への渇望をあっさりと否定し、“強者ゆえに他者を必要とせず、満たされている”というステージにいることを見せ付ける。宿儺は欲望のままに他者を弄ぶ生き方に、何の疑問も抱いていないのだ。思想をもたずに戦うという点では、虎杖と一致しているとも言えるだろう。
そんな宿儺だったが、ここ最近の展開では胸のうちに不可解な苛立ちが生じ、原因を虎杖の存在に求めていた。すなわち作中で初めて虎杖を特別視するに至ったわけだが、その理由は“決して折れない意志で理想を貫く”姿にあるとされている。だが、虎杖はむしろ「正しい死」という理想を放棄し、自分の意志を捨てて歯車に徹することを選んだキャラクターだ。歯車に徹するという意志の強さはあるものの、その奥に崇高な理想があるわけではない。今のところこの2人の対立構図には、どこかしっくりこない部分がある。
とはいえ、宿儺は身の丈に合わない願いのことを「理想」と呼んでおり、自分を倒そうとする呪術師たちに理想を追い求める者の姿を見出していた。その意味では虎杖も、理想を追い求める者の1人と言えるだろう。しかしあくまでこれは宿儺の視点であり、虎杖自身の世界観とは大きく食い違っているように見える。
やはり主人公と宿敵が思想・信条的に対立せず、ただお互いを呪い合うというあり方が、『呪術廻戦』の独特な世界観を形作っているのではないだろうか。
もちろんこの先の展開で、虎杖の生き方と宿儺の生き方が宿命的に交わる瞬間がやってくる可能性は否定できない。その場合、戦いを通していかなるテーマが描かれることになるのか……。“王道を超えた先”に待ち受けている光景は、誰も見たことがないものになりそうだ。