いまも色褪せない藤子・F・不二雄のSF短編 『ドラえもん』のイメージとかけ離れた、ドキッとする作品は?
『ドラえもん』をはじめ、夢のある子ども向け漫画のイメージが強い藤子・F・不二雄作品。しかし、SF短編には人間の欲望や恐ろしい本性を描いたシリアスな作品も多い。本稿では、SF短編集の中から、ドキッとするタイトルの作品をピックアップして紹介する。
流血鬼
舞台は、人間が吸血鬼と化す「マルチンウイルス」が蔓延した世界。数ヶ月前に学校でクラスメイトたちと吸血鬼伝説の話で盛り上がっていた主人公は、その後、吸血鬼たちと戦うことに。
吸血鬼を倒す唯一の方法は、木の杭で彼らの心臓を突き刺すこと。主人公の少年は、友人は洞窟に潜伏しながら、日々吸血鬼たちの息の根を止めようと闘うことに。友だちが「やつらの息の根を止めるため仕方がない」と言い切る中、吸血鬼たちを殺すことに主人公は罪悪感を感じてしまう。
その後、最後の人間として追われる身になった主人公は、潜伏していた洞窟で、かつてクラスメイトだった女の子と再会。すでに吸血鬼となった女の子に木の杭を打ち込むことができず、最期は吸血鬼にされてしまうというストーリーだ。
この物語で秀逸なのは、洞窟内で女の子が発する「わたしたちを吸血鬼と呼ぶならあなたたちは流血鬼よ」という台詞だ。人間にとって吸血鬼は「悪」だが、反対に彼らからすれば、寝ている善良な吸血鬼に杭を刺す人間の方が「悪」なのだ。
かつて、『ドラえもん』のエピソード内で、「正しいほうを助けなくっちゃ」と言ったのび太に対し、ドラえもんが「どっちも自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ」という台詞を言うシーンがあるが、吸血鬼と人間の対立は、まさにドラえもんが言っていた戦争の対立構造と同じなのである。
SF短編集であろうと、子供向けの漫画であろうと、一貫して戦争や社会問題への主張を盛り込んでいく、そんな藤子・F・不二雄作品の真骨頂が伝わる1作だ。
マイシェルター
「夢落ち」で完結する、と見せかけて、意外な教訓、示唆に富んだ台詞をオチに持ってくる。こうした仕掛けも藤子・F・不二雄作品の魅力だ。
マイホーム建設の夢を持つある男が、ある日飲み屋で突然眼鏡の男性に話しかけられる。核被害の恐れを力説されてシェルター購入の勧誘を受けた男は、勧誘を跳ね除けるが、その夜核爆弾が爆発し大きな被害に遭う夢を見て、徐々にシェルターの購入を検討し始める。その後男は、度々不思議な夢を見てはシェルターのパンフレットを熟読し、次第に水·食料の備蓄に頭を悩ませ、避難訓練を家族に強いるように。
この男はその後、夢の中で究極の選択を迫られ、結局最終的にはシェルターを購入しない選択をするのだが、物語はただの「夢落ち」で終わらず、物語の最後に彼の選択がある“踏み絵”だったことが明らかになる。
シェルターは本来「自然災害や兵器による攻撃などから身を守るための避難所、保護施設」だが、一歩間違うと自分とそれ以外の人間とを差別化し排除する攻撃ツールにもなりうる。この物語にはそんな意外な視点と、少しドキッとする結末が描かれていた。
藤子・F・不二雄のSF短編には他にも、家が貧しいために高校進学を断念した主人公・学が、大富豪と身体を交換するが、実はそれが余命数ヶ月の死を待つ老人だった「未来ドロボウ」、平凡な予備校生が宇宙人から突然指定され、様々な要求に振り回される「いけにえ」など、刺激的な作品が多い。
いずれも、インパクトのあるタイトルの作品だが、決してホラー要素の強いストーリーの作品だけでなく、ためになる教訓や読んだ後に笑みが溢れるようなユーモアを含んだオチの物語も多い。ぜひ、SF(藤子・F・不二雄いわく、“サイエンス・フィクション”というより“すこし不思議な物語”)を通して、他とは一味違う、大人のための藤子・F・不二雄作品を味わってほしい。