平安時代のオタク気分が味わえる? 古典が苦手な人にこそ読んでほしい『いとエモし。超訳 日本の美しい文学』

 枕草子、万葉集、古今和歌集、徒然草などの古典を、現代的に“エモ訳”したエッセイ『いとエモし。超訳 日本の美しい文学』(サンクチュアリ出版)が好評だ。著者のkotoは無名の新人ながら、同書は書店員らの支持を得て初版発行部数は1万8千部。美麗なイラストとともに綴られた親しみやすい訳文の数々は、昨今ブームの短歌にも通じる新鮮な読み心地がある。

 同書の魅力はどんなところにあるのか。「元カレが好きだったバターチキンカレー」を商品化して注目を集めた人気ライター・川代紗生氏のレビューをお届けする。(編集部)

当時のオタクになったような気分に

 平安時代にタイムスリップしてしまったかと思った。

 よく、異世界転生ものの小説やアニメなんかでは、「その世界の言語を、日本語で理解できるようになる」シーンがある。「おお、さっきまで意味がまったくわからなかったのに、魔法のおかげで急に全部理解できるようになったぞ……」というように、現代日本からやってきた主人公が、その世界に違和感なくとけ込めるようになるきっかけの場面だ。

 あのときの、アニメの主人公たちって、もしかしたらこういう気持ちなのかもしれないなあと、そんなことを思った。

 だって、『いとエモし。』の現代語訳のうまさといったら! 

 あれ? これって、X(旧ツイッター)か何かでバズってたやつだっけ? と錯覚してしまうほど、訳が見事なのだ。「いるいる、こういうことつぶやいてる人、いる!」と、ページをめくっているだけでクスッと笑えてきてしまう。

 『いとエモし。超訳 日本の美しい文学』は、『枕草子』や『万葉集』、『徒然草』、『平家物語』など、名作古典文学から111編をピックアップし、わかりやすく現代語訳したものだ。といっても、国語の授業で習ってきたような現代語訳とはちょっとちがう。タイトルに「超訳」と入っているとおり、「エモい」雰囲気が伝わるように訳したものなのだ(事実、本書の「はじめに」にも、「『感情』『思い』『シチュエーション』に重きを置いているため、詳しい言葉の意味や用法、技法などについては、ぜひ原典に近い資料や解説書をご覧になってみてください」と書かれている)。

 たとえば、私が最初にぐっと心を掴まれたのはこの歌だ。

「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」

 これは、かの小野小町が詠んだ歌で、『古今和歌集』に収録されている。有名なので、古典文学に詳しくない人でも、なんとなく聞き覚えがあるんじゃないだろうか。

 現代語にすると、「あの人のことを恋しく思って寝たので、あの人が夢に見えたのであろうか。夢だと知っていれば、目をさまさずにいただろうに。」という意味になる(高田祐彦『新版 古今和歌集 現代語訳付き』角川ソフィア文庫より)。

 『いとエモし。』では、こういった現代語訳から発展させ、より日常会話に近い表現が使われている。

 それが、この訳だ。

 “あーあ。

 会えてめちゃくちゃ嬉しかったのに。

 夢だってわかってたら、

 ずっと寝てたよ。”

 どうだろう。この「エモ訳」の妙! すごくない!?

 もとの和歌の意図を汲み取りつつ、「小野小町が現代に生きていてSNSで大人気、バズを連発していたら、きっとこんな感じなんだろうな~」と思わせられる伝え方。

 そう。

 今から千年以上も前、歌人たちが活躍した時代を生きた読者たちの、心のふるえをリアルに味わえる。平安や鎌倉の時代にタイムスリップして、当時のオタクになったような気分になれるのが、この本の面白いところなのだ。

 もしこれがXだったら速攻で「いいね」押してるよ! と言いたくなるような超訳は、さらに続く。

「思ふかたに 聞きしひとまの 一言よ さてもいかにと いふ道もなし」

 これは、鎌倉時代後期に活躍した女流歌人・永福門院が詠んだ歌なのだが、この「エモ訳」もまた、いい。ずきっと胸を矢で射抜かれたような痛みが走る。

 “気になる人と

 2人きりになったとき。

 一瞬、「好きサイン」を

 出された気がするんだけど、

 すぐに人が戻ってきちゃった。

「え、あたしのこと好きなの?」

 って、気楽に聞ける性格だったら、

 よかったのだけれど。”

 うわー、うーわー、わかるー! せつねー! ってか、本当に鎌倉時代の人なんか!? 私と同級生じゃないの? と、ぶんぶんとハンカチを振り回したくなるような、この表現。すごいよ、本当に!

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