【山岸凉子を読むVol.4】相馬虹子、夏夜、羽深緋鶴・雪……山岸作品の印象深い“悪女”たちと、その共通点
悪女とはどのような存在だろうか。山岸凉子作品においても悪女が登場することもあれば、登場しないこともある。登場した場合も、見るからに悪い雰囲気をまとっている、可視化はできないが悪女であることが徐々にわかる、本人は無意識だがまぎれもない悪女である等、作品によってさまざまな悪女がいる。
山岸作品に限定すると「見るからに悪い雰囲気をまとっている」悪女が近い。共通点は男性を使い、もしくは誰かの家に転がり込むことで男性とのつながりを得て、彼らを惑わし、女性たちを苦しめるという点だ。この観点から3人(正確には4人)の悪女を選んだ。
例外としてふたりの悪女を除外した。まずは『黒のヘレネ―』のヘレネ―である。彼女はギリシア神話でも有名だが、トロイア戦争の元凶となった美女であり、この物語も山岸凉子流に調理されているので、神話と共にぜひ味わってみてほしい。彼女はこの記事で紹介する悪女たちと異なり、「本人は無意識だがまぎれもない悪女」である。天然悪女と呼ぶべきだろうか。
また、『日出処天子』のスピンオフ作品のタイトルにもなっている『馬屋古女王』もここでは除外した。スピンオフということもあり、『日出処の天子』のあとに読み進めてほしい漫画だからである。
それでは、ここで紹介する悪女たちとはどのような人物なのだろうか。
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相馬虹子『蛇比礼』
物語は夫と息子と暮らす主婦が、両親を亡くした姪である8歳の少女·虹子を引き取るところから始まる。異常分娩で生まれた母と「気がおかしくなった」と周囲が語る父のあいだに生まれた虹子によって、彼女を引き取った家庭が崩壊するというストーリーである。
作中で虹子の生い立ちは語られない。ただ北海道の僻地で母が死んだあと、父が虹子を連れて遁走したことは言及されている。
タイトルと虹子の名前を見て気づいた人も多いだろう。虹子の「虹」は「蛇」と似ている。虹子は、食事より生卵を飲むのを好む。この家の長男である達也は、出会ってからほどなくして、彼女の細い首筋、手ざわりの良い肌、赤い唇など、すべてのパーツが片時も忘れられなくなってしまう。そしてそれは達也だけではない。達也が見た蛇に飲まれる人間のように、男たちは年齢を問わず虹子の虜になっていく。
女性である達也の母、虹子の伯母は、夫と息子がおかしくなっていくのを感じつつも、何が何だかわからない。
繰り返すが虹子はまだ8歳だ。恐らく学校には行っているはずだが、そのような描写はなく、彼女はただただ怪奇的な存在として読者の私の目には映る。それは恐らく魔性と呼べるものなのだが、彼女がどうやってそれを身につけ、蛇に似た行動をとるのかがわからないのが不気味だ。彼女の身体にあるはずの「ウロコ」がひとつのポイントになっている点も。
この謎が、ホラー漫画としての強度を強めていく。
夏夜『星の素白き花束の・・・』
虹子が生い立ちも不明のまま、謎に満ちた存在として男性たちを翻弄する存在だとすると、同じ悪女でも夏夜は少し異なる。彼女は自分の経験を語ることによって、異母姉の聡子に自分が男性を翻弄する存在になった過程を悟らせるのだ。
山岸凉子は父親による性的虐待を扱った作品をいくつか発表しているが、唯一、この夏夜のみ、性被害を被害と認識していない。ものごころがついたときから実父にもてあそばれていたことを「ほかの女の子はされていない」「自分だけは特別」と感じ取り、肉体的な快感と共に父との性行為を思い出すのだ。痛めつけられた、魂を破壊されたといった感情はそこにはないが、そのことによって彼女の性格に歪みが生じたのはたしかだ。少女漫画のヒロインを絵にしたような美しさも、夏夜という少女の現実感のなさに繋がっていく。
偏食家で甘いものばかりを好むこと、同性である聡子には冷たい振る舞いをするのに男性を前にすると可愛らしい素振りをすることも、父親が夏夜を甘やかして育てていたのを匂わせている。
そしてこの物語では聡子と夏夜の生活は当然のように破綻する。
虹子の「謎」は謎のままだが、夏夜は「謎」を明かしたからだ。これは聡子が少女とはいえ、まぎれもない悪女である異母妹の夏夜を積極的にではないにせよ手放したことにより、聡子には日常が戻ってくるのだ。
たとえその日常が、夏夜が来る前と少し異なっていても、夏夜と暮らし続けていれば『蛇比礼』の蛇子を預かった一家のように、聡子の人生をも夏夜が崩壊させる可能性があった。聡子は悪女から免れた幸運な人物としても受け取れる。