『花椿』元編集者・林央子インタビュー「90年代は時代の空気感としてDIY精神があった」
編集者として大切にしていること
――視覚文化といえば、今回の本はレイアウトもユニークです。『花椿』の誌面だけでなく、林さんがお持ちのたくさんのスナップ写真をはじめ、メモや手紙なども掲載されていて、プライベートなスクラップブックを見ているような気分になりました。FAXのやりとりもコピーされて残しているそうですね。
やっぱり彼らの才能を好きになっているからですよね。マイク・ミルズやスーザン・チャンチオロなどのクリエイターたちを『花椿』というパスポートを持って最前列で見させてもらったと思っているので、彼らの言葉や表現をとにかく誠実に伝えていきたい気持ちがあったんです。『花椿』で出会った才能の記録を残していきたいという思いはだんだんと大きくなって、たとえ『花椿』を離れても続けていきたいと考えていました。でも、一つの雑誌にいると、同じ人のことを発信し続けるのは難しい。そういう意味では、『花椿』を離れることは私にとって必然的なことだった気がします。
――企画のアイデアや情報収集はどのようにしていたのでしょうか。
すでに有名な人は追わずにいました。例えば、私が当時ソフィア・コッポラに注目したのは、自分の中の切実なものの琴線に触れたから。彼女は「自分が何をしたいかわからない」ということを発信していて、それって自分も含め多くの若い女性にとっては切実なことでした。そういう嘘がないと思える人を探していた気がします。どんな人も何かしら切実な思いを持っていると思うんです。ほんとはそういう宝物みたいな人たちは自分のまわりにいっぱいいるんですよね。
――「嘘がない」というのは、どういうことでしょう?
私は「〇〇イズム」といった主義主張を否定はしないのですが、どれも一つの視点だと考えています。一人の人が24時間フェミニストや24時間アクティビストとして行動しているというのは、どこか嘘っぽい気がするんですよね。人は終始自分のイズムに反するものと闘っているわけではなくて、どこか妥協点や緩さといった強弱があるのが普通だと思うんです。
――そういったわかりやすいラベルで自分を語らない人、ということですね。そもそも、人ってわかりやすくないですし。
わかりやすくしようとしていない人に魅かれるのかもしれないです。だから、自分なりに切実なことを伝えている人は信頼できる。でも、そういう人たちの声はかき消されがちなんですよね。もっと強いステートメントのほうがどうしても大きく目立ってしまって。
企画は、そういう人たちと関わるなかで生まれることがやっぱり多いです。それも本当に小さなことで。例えば、映画に行くにも誰か興味がありそうな人、映画を見終わったあとに感想を言い合えたら面白そうだなと思う人を誘ってみる。そういう小さな働きかけって編集者がすることのように思います。私はそういうことをずっとやり続けてきたにすぎないんですよね。
それと、世の中の表現って、けっこうマッチョなアプローチで成立しているものが多いですけど、そうでなくてもいいと私は思っています。どこか遠いところに行ったり何か特別な経験をしたりしなければ表現することができないわけじゃない。私が表現について「日常」から考えるのは、自分がそこにしかいないから、それしかできないんです。
――自分が今いる場所でもできるということ。忘れずに心に留めておきたいです。最後に、林さんが編集者として大切にしていることを教えてください。
うーん、なんだろう。やっぱり、一緒に仕事をする人がその人らしくあってほしいというのがありますね。誌面の中で世界から求められている仮面をつけて出てほしいという気持ちはなくて、その人が素の状態で能動的に関わってくれる状況が私にとっては理想的なので、そういう場を作り出せるようにしています。