「マンガとゴシック」第11回:百科全書派ゴシックとしての『フロム・ヘル』——パノラマ的視点の問題を突く

■鬼才アラン・ムーアと切り裂きジャックの出逢い

 こんな夢を見た——「切り裂きジャックVS阿部定」。

 2023年、最初に見た初夢である。殺害した娼婦の子宮を切り取ってヴィクトリア朝英国を震撼させたシリアルキラーと、愛する男のペニスを切り取って日本中に黒い官能をもたらした悪女による、国も時代も越えた互いの性器切断バトルが『フレディVSジェイソン』のごとく展開される……『夢十夜』の漱石もドン引きのひどい初夢だった(夢なのでお許しいただきたい)。なぜこのようなくだらない夢を見たかというと、例年通り紅白を見ず、傑作中の傑作『フロム・ヘル』(みすず書房、柳下毅一郎訳)を夢中で読んでいたからである。

  『フロム・ヘル』は「ホワイトチャペル殺人事件」と呼ばれる11件の殺人の中でも、確実に切り裂きジャックが犯したと目される五つの事件、通称「カノニカル・ファイヴ」の模様を徹底的な資料調査のもとに描いたグラフィック・ノベルだ。2015年にはロンドンに「切り裂きジャック博物館」がオープンするほど英国を象徴する事件だし、英国の荒俣宏(?)コリン・ウィルソンが「リッパロロジー(切り裂き学)」という学問ジャンルを捏造して定着させたほどだし、日本語の資料もワンサカあるしで、いまさらこの事件の概要説明は不要だろう。

 とにかく重要なのは、この『フロム・ヘル』の原作者が、アメコミ史にパラダイム・シフトを起こした歴史的傑作『ウォッチメン』の鬼才アラン・ムーアということだ。アリス(『不思議の国のアリス』)とドロシー(『オズの魔法使』)とウェンディ(『ピーター・パン』)という「永遠の少女」三人が、大人になってウィーンのホテルに集い、幼き頃の自分たちの冒険がセックス・ファンタジーの隠喩だったことを暴露する18禁グラフィック・ノベル『ロスト・ガールズ』のような問題作の原作者もムーアであるから、単純なシリアルキラーものになるはずもない。

 そもそも『フロム・ヘル』が最大の着想源としたのがスティーブン・ナイトの奇書『切り裂きジャック最終結論』なのだから、面白くなるに決まっている。ヴィクトリア女王の孫であるアルバート・ヴィクター王子がお忍びでイーストエンドの下町娘とまぐわった結果、望まれない赤子ができてしまう。それを隠蔽するためにフリーメイソンと骨絡みの英国王室が動き始め、その事実を知ってしまった娼婦たちを次々と謀殺していく。よくよく見れば、殺された娼婦たちは左から右に喉が割かれ、引き出された腸が肩にかけられていてフリーメイソンの儀式殺人の痕跡が見られる…! という、いまではトンデモ本として片付けられている陰謀論的なジャック真犯人説であるが、刊行当時ベストセラーになった。

 このナイトの見解(というか妄想)を膨らませるかたちで、さらなる魔術的解釈を加えて誇大妄想という名の「作品」にまで高めたのが『フロム・ヘル』である。

ヴィクトリア朝の緋色の研究

 内容に踏み込む前に、そもそも「マンガとゴシック」連載で『フロム・ヘル』を取り上げる理由を明示しておきたい。切り裂きジャックとゴシックの関係やいかに?

 ゴシック小説は18世紀後半に、人間の命を屁とも思っていないウォルポールやベックフォードその他の金持ち貴族の残酷で暗黒な筆すさび文学として誕生した。そして合理的精神をことほぐお堅い啓蒙主義へのカウンターのようにして、悪魔的中世の亡霊を蘇らせて一世を風靡した(※例えるならこの令和に星一徹のような昭和の児童虐待オヤジの亡霊を蘇らせるような時代錯誤だった)。しかし19世紀ヴィクトリア朝に入るとカッタるい、大時代的な読み物として人気に陰りが見え始める。

 「大昔の中世が舞台とか、異国で出逢う超常現象とか、高貴なる一族の呪われた近親相姦とか、そんなバカバカしいのどうでもいいからもっとシンプルに血を! 殺人を!」というレベルの低い本音が労働者階級から出るようになる。またヴィクトリア朝は新聞・広告・ブロードシート(日本でいう瓦版)のようなメディアが急激に発達した時代で、「娯楽としての殺人」(ヘイクラフト)が嗜まれるようになり、煽情的な記事が民衆からは渇望されていた。【図1】

図1 新聞『イラストレイテッド・ポリスニュース』より。このイラストは1860~70年代に発表されたもので、1888年の切り裂きジャック事件をセンセーショナルに報道するメディア側の受け入れ態勢は万端整っていたことが分かる。出典:スティーブ・ジョーンズ、友成純一訳『恐怖の都・ロンドン』(筑摩書房、1997年)、389頁。

 そして「ペニー・ドレッドフル」という三文恐怖小説が誕生し、売れに売れた。アン・ラドクリフが『ユードルフォの謎』で描いたようなゴシック小説の長々とした文章はほとんど削り取られ、殺人鬼やら悪魔やら幽霊やらがわんさと飛び出す恐怖要素のみを36ページほどに凝縮。ゴシック小説のなかでも、人倫にもとる最低最悪な部分をエッセンスとして詰め込んだわけで、これが1ペニーかそこらの格安で販売されて「貧者のゴシック小説」(R・D・オールティック)と呼ばれた。

 ゴシック小説の「感情の劣化」(宮台真司)は留まるところを知らず、ペニー・ドレッドフルに引き続き、ニューゲイト・ノヴェル、センセーション・ノヴェル、シリング・ショッカーなど、名を変えつつも同工異曲の手つきで19世紀にわたって売り捌かれる。もはやゴシック小説のもったいぶった異国情緒もミステリー要素も必要とされず、ヴィクトリア朝英国の庶民に渇望されたのは人目を惹くドギツイ表紙と、最も残酷なシーンの銅版画、そして近所に暮らしている昼は紳士で、夜は殺人鬼という二重生活者——ジキルとハイド——のみだった。

 こうした時代に切り裂きジャック事件は受容されたのである。『フロム・ヘル』の主人公刑事アバーラインが漏らすように、19世紀末は「悲惨な殺しをゴシック調の恐怖譚に仕立て上げようとする連中」ばかりであった(9章1頁)。しかし、そもそも大英帝国の紳士淑女ほど残酷な血みどろ殺人が好きな人種もない。フランス革命の際に王侯貴族がギロチン処刑される様子を見物に行ったのは、大半がわざわざドーヴァー海峡を越えてやってきた英国の紳士淑女であり、ドン引きした地元のフランス人はそれを「英国式悪徳(ヴィス・アングレ)」と呼んだ(ある英国紳士などは何度もギロチン処刑を見るために女装してまで見に行ったという)。シャーロック・ホームズのような殺人蒐集家(?)さえ出現したヴィクトリア朝英国は、ある意味で英国人のもともとの国民性が最もあからさまに現れた時代だと言える。

魔術的ロンドンの系譜——イエイツ、アクロイド、そしてムーア

 以上のように劣化の一途を辿った「貧者のゴシック小説」のセンセーショナリズムを踏襲しつつも、そこに魔術的で異国的で、怪しげなものを詰め込めるだけ詰め込んで、本来的な意味でのゴシック・ロマンスとして復活させ、崇高なまでのゴシック大聖堂として建立したのがムーアの『フロム・ヘル』だと言える。

 この作品では、アルバート王子と娼婦の間にできた隠し子の存在をネタに、王室にゆすりをかけた娼婦四人組を暗殺するようヴィクトリア女王から任を受けた英国王室付きの医師にしてフリーメイソン会員のウィリアム・ガル卿が、切り裂きジャックに設定されている。この魔人ガルが、馬車に乗ってロンドンのモニュメントを次々と訪れながら、無学な馭者に「ディオニュソス建築家」ニコラス・ホークスムアの手になる建築群の隠されたシンボリズムを滔々と語りだす第4章「王は汝に何を求めたるや?」の迫力がもはや空前絶後、世界マンガ史でも間違いなくトップクラスに入る凄みなのだ。

 ガル博士の哲学ないし誇大妄想を簡単にまとめるとこうなる。人類史とは理性を司るアポロン的なものと、狂気に属するディオニュソス的なものの絶えざる闘争の歴史であった(これはニーチェ的な二分法)。そして解剖学的に言うと、人間には理性に関わる左脳と、狂気に関わる右脳が同時存在しているから、一人の人間のなかでアポロン的側面とディオニュソス的側面は闘争を続けていることになる(ムーアはコリン・ウィルソンの『右脳の冒険』などに触発されたと思しい)。ジェンダーにまでその類推は広がり、理性の側面を男性が担うとすると、狂気の側面は女性が担うことになる。これがガルのなかで宇宙規模にまで拡張され、最終的に〈アポロン=男=太陽神の象徴オベリスク〉と〈ディオニュソス=女=月の女神ディアーナ〉の闘いとなる。

 これしきで驚いていてはいけない。この二元論がロンドンという都市に適用されるとき、ガル博士が訪れた建築モニュメントはすべて太陽と月の戦いを反映するものと解釈される。そしてこれらのモニュメントを地図上に線分で繋いでいくと、そこには怪しげな五芒星が星座のごとく浮かび上がるのだ。【図2】 そしてその星の中央にはウェストミンスター寺院があり、これは太陽的=男性的=幾何学的な力を象徴する五芒星によって、月の女神ディアーナの力を封じ込める儀式なのだった。それゆえガルは「大いなる業」の完成を企図し、五芒星の五つの突端に位置するモニュメント付近で娼婦に対してフリーメイソン流の儀式的殺人を行っていく。

図2 ロンドン地図上に浮かび上がる魔の五芒星。
アラン・ムーア作、エディ・キャンベル画、柳下毅一郎訳『フロム・ヘル』(みすず書房、2019年新装合本)、4章36頁より。

……とここまで書いて発想のぶっ飛び具合に驚く読者も多いだろうが、じつはデヴィッド・ボウイの推薦図書100冊にも選ばれたピーター・アクロイド『魔の聖堂』に既に見られるアイディアである。さらに遡るとムーアもアクロイドも、イアン・シンクレアという人物の書きものから、ホークスムア設計のモニュメントを線でつないでロンドン地理上に魔的五芒星を浮かび上がらせるという試みを思いついたのだと言う。ようするに連綿と受け継がれるロンドンの都市構造の魔術的解釈の系譜があるらしいのだ。

 都市より範囲は狭まるが、ロンドンのグローブ座という劇場がウィトルウィウス的小宇宙と大宇宙の数学的調和を象徴する四角形と円を基礎に設計されていて、魔術師ロバート・フラッドの「記憶の劇場」と重なる(!)と主張したフランセス・イエイツの魔術的ルネサンス論、ロンドンからはずっと離れるが荒俣宏『帝都物語』における東京アンダーグラウンドを底流する風水思想のような怪しげな想像力の範疇に、『フロム・ヘル』もまた位置付けられるだろう。

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