『ONE PIECE』の世界線? 海賊として世界を変えた男・ドレーク 女王陛下はぼろ儲けし、現代人はそのもとに生きている
2度目の世界周航を達成したフランシス・ドレークという男
国民的人気マンガ『ONE PIECE』を読むと、大海原を突き進むルフィら海賊たちの冒険的生活にあこがれてしまうもの。
ただ、冷静になると、「海賊なんて、ある種のファンタジー」とも思える。でも、実は違う。ファンタジーの王道である剣と魔法の世界と異なり、私たちは海賊がいた、いや、変えてしまった世界を今も生きている、そう言ってもいいのだ。
そこで、フランシス・ドレークという人を紹介してみよう。世界史の教科書的には、マゼラン艦隊に続き、2度目の世界周航を達成した人物だ。ちなみに、マゼランは世界周航途中で死んじまっているので、艦隊指揮官として成し遂げたのは初ということになる。
さて、そのドレークは16世紀半ばにイギリス南部で生まれた。貧しい小作農の家だったが、近くにはプリマスという港があった。彼の父は若いころにここで船員となり、ヨーロッパを航海した経験があったらしく、ドレークもまた、少年期からテームズ川の舟運で働くようになった。
メキメキと船員としての経験値を積んでいったドレークは、従兄弟でもあるプリマスの海賊、ジョン・ホーキンスに会いに行く。
ここで、「聞いたことがある名前!」と思った人は、幼少期にスティーブンソンの『宝島』を読んだ人だろう。主人公はジム・ホーキンスで敵対する海賊はジョン・シルバーだからだ。ついでに、『ONE PIECE』にもホーキンスやドレークという名は登場する。この作品では有名な海賊の名をもじることが多いので、そりゃあ、そうなる。
さて、ドレークにとって、ホーキンスは海賊の師匠ともいえる存在だ。そして、その師匠は私掠船の船長を生業としていた。
この私掠船とは、要するに国家公認の海賊なのだが、少しわかりにくい。当時、イギリスと敵対関係にあったスペインは、アフリカ、アメリカ大陸を股にかけた略奪と貿易で大きな富を得ていた。
イギリスとしては、敵国が肥え太るのはよろしくない。そこで、民間の船に「(スペインの船は)やっちまって、よろしい!」と許可を与えた。それが私掠船だ。
だから、私掠船船長というのは、構造的に海賊ではない、と考える人もいる。学問的にはそうかもしれないが、やっていることは相手の船や財物の集積地を襲い、かっぱらうことだ。海賊以外、何者でもない。
勇壮な海の物語に聞こえる。しかし、現実はかなり醜悪でもあった。彼らの主要な交易品は、アフリカで拉致した奴隷であり、アメリカ大陸で現地人から略奪した財宝だ。南米に「エル・ドラード(黄金郷)」があると信じ、多くの強欲者が命を落としたのもこの時期。所詮はクリストファー・コロンブスなどから続く、コンキスタドール(征服者)の物語だとは知ってほしい。
海賊として世界の海を駆けるドレーク
そんな海賊らによって世界史が変えられていく中、ドレークはその海賊として成長していった。
自身の艦隊を率い、カリブ海のスペイン領から多額の財宝を奪うことにも成功し、イギリスを代表する船乗りとして知られていく。
そして、1577年にドレークはエリザベス1世に謁見する。内密にではあるが、南米スペイン領襲撃の許可を得た彼は、新型ガレオン船「ペリカン」を旗艦とした船団を組む。そして、同年12月13日にプリマスを出港した。
しばらくアフリカ西岸を航海した船団は進路を南西に向けると、63日で大西洋を横断し、1578年4月にはブラジルに到達。さらに南下した船団はマゼラン海峡を前に停泊し、そこで越冬する。
8月、旗艦ペリカンを「ゴールデン・ハインド(黄金の牝鹿)」と改名したドレークはマゼラン海峡に突入した。
細心の注意を払いながら、ときにはペンギンを食って16日でこの難所を突破した船団は、そこから南米西岸のチリ沖、ペルー沖を北上する。
いよいよ海賊行為の本番であり、この地域のスペイン船や港を次々に襲い、金銀財宝を奪う。
腹いっぱいになったドレーク船団は、北米サンフランシスコあたりに寄港し、そこから、太平洋をひたすら西へ向かった。
70日程度で日本のはるか南方のパラオに到達。1579年の8、9月あたりのことで、ちょうど、日本では織田信長が安土城に天主を完成させ、悦に入っていたころだ。
当時、東アジアにポルトガル船やオランダ船がウロウロしていたことは、鉄砲伝来やザビエル、出島を思えば、想像しやすいだろう。
ドレークは彼らと遭遇しないように注意しながらも、似たような航路をたどり、1580年9月26日にプリマスに帰還する。ドレークの描いたひとつなぎの航路が、地球を1周したわけだ。
女王陛下が無法者・ドレークにサーの称号を与えた理由は
ドレークの行為に対し、スペイン政府から厳重な抗議を受けていたエリザベス1世には、彼を罰するという道もあった。だが、女王はそれをせず、逆にサーの称号を彼に与える。
なにせ、ドレーク船団の収益は60万ポンドもあり、その半分は出資者である女王のものとなった。これは年間の国庫歳入を軽く超え、王室はこれによって在外負債を清算した。一国家が降って湧いたあぶく銭で、突如、財政健全化したことになる。
それだけではない。さらに余った金はイギリスのアジア貿易を担当する国策組織、レバント会社に投資された。そして、このレバント会社こそが、後の東インド会社の元といえる存在なのだ。以後、東インド会社はインド史を大きく変え、アヘン戦争を引き起こし、アジア史全部を大きく変えた。こうして、イギリスは巨大帝国となり、その未来に今がある。
後にドレークは海軍提督となり、火船を突っ込ませる戦術でスペイン無敵艦隊を翻弄し、アルマダの海戦をイギリスの勝利に導いてもいる。
スペインの海軍戦力は後退せざるを得ず、イギリスが強国化する契機になったのは事実。そう考えると、ドレークが二重三重に変えた世界を、現代人は生きていることになる。
そもそも、海賊というのは海の反逆者であり、歴史上、記録に残りにくい存在だ。だからこそ、そのリアルな姿はわかりにくい。
だが、ドレークは同じような海賊行為を働きながらも、イギリスの私掠船長であり、サーになり、海軍提督にもなった。一国の英雄であるので記録も豊富だ。海賊を知る上で、これほど便利な存在は少ない。
そんなドレークの生涯をつづったのが、『海賊キャプテン・ドレーク』(杉浦昭典・講談社学術文庫)だ。学術書ではあるのだが、なにせ扱うのは海賊だ。ドレークに限らず、登場人物らは向こう見ずで冒険心が強く、乱暴かつ強欲だ。カルバリン砲の轟音が響く中、ガレオン船が水柱を上げ、突っ走る世界を感じることができるだろう。