後藤護の「マンガとゴシック」第6回

「マンガとゴシック」:怪奇マンガの帝王、古賀新一の魅力再考——澁澤龍彥が『エコエコアザラク』に与えた影響

オカルトブームの70年代

 かつて楳図かずおと並び称された、古賀新一という怪奇マンガ家がいた。いまでは代表作『エコエコアザラク』の名前だけが独り歩きしている印象で、若い読者には古賀の名前は馴染みが薄いかもしれない。とはいえ、米沢嘉博『戦後怪奇マンガ史』(鉄人文庫)でも「楳図かずおと古賀新一」という章が立てられているほどであるから、「怪奇マンガ」というジャンルにおいては非常に重要な作家なのである。

 『エコエコアザラク』は女子中学生にして魔女の黒井ミサが、黒魔術を使って極悪非道なクラスメイトや犯罪者のたぐいを何十人、何百人も呪殺・毒殺・刺殺etcしていくお話である…と書くと身も蓋もないが、その通りなので仕方がない。一話完結の読み切り連載で、殺すたびに転校を繰り返している、と聞くと心胆寒からしめるものがあるが、怖い話ばかりでなくぶっ飛んだユーモアもかなり交えている。魔法のみならず暴力も椀飯振舞で、今では絶滅種(?)である番長やスケ番も頻繁に登場しては刃物を振り回し、ミサの制服を切り裂いて辱めたり、グーで本気でミサの顔をぶん殴って窓ガラスに叩きつけたりもするのも日常茶飯事で、そういうのが許された牧歌的な時代である(ただしミサは黒魔術で一切の痛みを感じない設定なので、まあ問題ないか)。

 『週刊少年チャンピオン』に1975年9月1日号から1979年4月9日号まで連載された。藤子不二雄A『魔太郎が来る‼』(1972年7月17日号―1975年11月24日号)や、つのだじろう『うしろの百太郎』(1973年12月2日号―1976年1月4日号)の後期とも連載がかぶっていたから、70年代中葉の『チャンピオン』の怪奇色というかアクの強さたるや! マンガよりも大きい文化史を眺めてみても、連載が始まった1975年は、国書刊行会の伝説的出版物『世界幻想文学大系』シリーズ刊行と同年であるから、俗にいうオカルトブームが日本中を席捲していた時代だったと分かる。

澁澤龍彥の影響

 ダークヒロインの黒井ミサは魔女であるが、どのような位置づけが可能だろうか? 少なくとも、15~17世紀にピークを迎えた魔女狩りの図像学でおなじみの「醜い魔女」とは正反対の美少女である。むしろ19世紀のロマン派やデカダン派が発明した「美しき悪女」崇拝、いわゆる「宿命の女」としての魔女像に近い【図1】。

図1 中学生離れしたファム・ファタルの妖艶さを放つ黒井ミサ。扉絵にはボッス、ダリ、フュースリなど西洋異端の幻想絵画を下敷きにしたものが多く、古賀の影響源を知るうえで興味深いものとなっている。
出典 古賀新一『エコエコアザラク』(秋田書店、昭和52年8版)、45ページ

『エコエコアザラク』というタイトルは、「新魔女運動の父」とされるジェラルド・ガードナーの小説に出てくるウィッカのチャントに由来している。またマンガ連載の70年代は、『スパイラル・ダンス』のスターホークなど、ニューエイジ色の強い新たな魔女像が出始めた時期でもある。ウィッカや魔女がフェミニズム運動と結びつき始めた世界の動向とシンクロするように、このマンガは連載が始まったのだ。

 

 とはいえ、スターホークを始めとする新魔女運動の翻訳が我が国で本格的に着手されるのは90年代——国書刊行会の「魔女たちの世紀」シリーズから——と比較的遅いので、古賀が同時代的にそのインパクトをダイレクトに受け止めたとは考えづらい(ジェラルド・ガードナーに関しては、翻訳がいまだに一冊もないし)。黒井ミサはスターホークのようなニューエイジのヒーリング系魔女とは程遠い、アンダーグラウンドな雰囲気濃厚の呪殺系ウィッチなのであるから(巻数を経るごとにお茶目でコミカルな殺し屋になっていくのだが)。

 では古賀の描く魔女・黒井ミサのどす黒いムードは、何を参考に描かれたのだろうか? おそらくこのマンガ全体で唯一参考文献として挙げられている、澁澤龍彥『黒魔術の手帖』ではなかろうか(11巻「呪われた先生」の回のコマ外にひっそりと記されている)。同じく11巻収録の「変身した凶悪犯」の回では、澁澤が鍾愛したことで名高いハンス・ベルメールの球体関節人形を模した絵が出てきたりもするから、影響を受けていることは明らかだ(154ページ)。

図2 「『黒魔術の手帖』は、桃源社に異端・幻想カラーを印づけたばかりでなく、戦後装幀史に名を残すスタイリッシュな書物として画期をなした。」(山中剛史)
『アイデア367号:日本オルタナ文学誌 1945-1969 戦後・活字・韻律』(誠文堂新光社、2014)、106ページ

 そして勿論、古賀新一の言及する澁澤龍彥とは、「異端」の強烈な刻印が残されている時代の「ザ・澁澤」である。澁澤の文庫化が始まって女子大生などに幅広く読まれるようになるのは、80年代バブルの時代であり、連載時期の70年代にはまだまだアンダーグラウンドな存在として澁澤は屹立していた(のちに『文豪ストレイドッグス』でアニメキャラになるなど夢にも思わなかった時代だ)。さらに古賀は「桃源社」の『黒魔術の手帖』であることを明記している。矢貴昇司の装幀したこのエディションは、函やハードカバーはもちろん、小口三方まですべてが漆黒に染め上げられ、三島由紀夫が「殺し屋的ダンディズムの本」と褒めたたえた伝説的な出版物としてよく知られている【図2】。古賀はこの装幀とセットで、どす黒い黒魔術の世界に触れたことになる。

 であるからして、明らかに初期の黒井ミサは、澁澤龍彥の「異端的」な書物の雰囲気を濃厚に纏っている。3巻の目次を見てみると「自動人形」「魔法手術」「地下室の怪」「秘薬マンドラゴラ」「魔法のメガネ」など、種村季弘『怪物の解剖学』の目次だと言われても信じてしまいそうな異端の目録となっている。いわゆる「澁澤スクール」(郡淳一郎)の異端美学が怪奇マンガ界に与えたインパクトについては、古賀だけでなく、いずれもっと掘り下げてみる必要がありそうだ(ちなみに諸星大二郎も「渋川立彦」なる人物をマンガ内に登場させている)。

 さて秋田書店から出ているチャンピオン・コミックス版には、各巻のカバーの折り返し部分に、マンガ家自身の近況報告が掲載されていて、短いながら貴重な情報源となっている。5巻を覗いてみると、以下のようにある。「わたしの仕事場は、いつも日が入らない。それもそのはず朝から窓を閉めたきり。スタンドのあかりでペンをはしらせる。そのほうが気が落ち着いて作品に熱中できる。」

 これは「太陽の光は内なる光を消す」と言ったマニエリスム画家エル・グレコ、太陽光を遮断して部屋を真っ暗にして創作に打ち込んだ『エイリアン』のH・R・ギーガーや、「吸血鬼」翻訳者の佐藤春夫の系譜、すなわちマニエリスム~ゴシック~怪奇マンガという闇の系譜で古賀新一が繋がることを意味している。太陽をありがたがっているようなヤワな感性では、人を恫喝し、震撼させ、恐怖せしめることはできないのである。

関連記事