『鬼滅の刃』我妻善逸はなぜ“桃”を投げつけられた? 「鬼」と「桃」の関係性から考察
桃を投げつけられるのは、本来は獪岳であるべき?
さて、「鬼と桃」の関係については上記のとおりだが、そのことを踏まえて『鬼滅の刃』を再読した場合、“引っかかる”箇所がないわけでもない。それは、前述の善逸の兄弟子の行為についてである。
善逸の兄弟子の名は、「獪岳」。桑島のもとを巣立ち、鬼殺隊の剣士になった彼は、(もともと正義と悪の境界線上で揺れ動いている存在だったが)結局、鬼になってしまう。その責任をとって桑島は自決。善逸は、生まれて初めて、鬼殺隊の指令とは別の、師を弔うための“漢(おとこ)の戦い”に挑むことになるのだった……。
そこで疑問に思うのは、先に書いた、この獪岳が「善逸に桃の実を投げつける」という(回想場面での)行為についてだ。
繰り返しになるが、桃には鬼を退ける力がある。イザナキノミコトも、雷神を追い払うために桃の実を投げつけた。ならば、本来、桃を投げつけられるべきは、やがて鬼になる運命(さだめ)を持った獪岳の方ではないか。
しかしまあ、それは、細かい描写の1つ1つにまで象徴的な意味を求めすぎるがゆえの疑問(愚問?)にすぎず、この場面については、単にカッとなった獪岳がそのとき手にしていたモノを投げつけただけ――つまり、象徴的な、あるいは、何かを暗示するような意味は特にない、と考えた方が無難だろう(強いて言えば、この時点では、獪岳はまだ「桃を恐れない」=「人間である」ということを作者は表現したのかもしれない)。
以上、『鬼滅の刃』で描かれている“桃”について自分なりに考えてみたが、作中で「鬼が嫌う毒」として設定されている「藤の花」については、以前、こちらの記事(『鬼滅の刃』藤の花と青い彼岸花 ふたつの花が意味するものとは?)で書いたので、興味がある方はぜひ読まれたい。
【参考文献】
『日本書紀』(一)坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋〈校注〉(岩波文庫)
『鬼むかし 昔話の世界』五来重(角川ソフィア文庫)