『進撃の巨人』最終巻は何を伝えたかったのか? 11年半の連載で描き続けた素朴な気持ち

 最後の戦いから3年後。エルディア国はエレンを信奉するイェーガー派が仕切る軍隊が力を持つようになり、人類の報復を恐れた国民が過激化していることが、女王・ヒストリアの手紙によって語られ、国民の熱狂を醒めた目で見ている、かつてエレンたちと関わった人々の姿が挟み込まれる。

 和平交渉の連合国大使としてパラディ島に仲間と共に帰還するアルミンは、自分たちの「物語」を話すことで争いを防げると信じているが、今までの展開を見ていると、ピークが語るように途中で船が撃沈されてもおかしくない。この場面も最後まで描かず、想像に委ねている。

 その後、時は流れ、大きな戦争があったことが描かれた後、人間がもう一度、巨人の力を手に入れ、歴史が繰り返されることを予感させて、物語は幕を閉じる。生命が存在する限り争いは続く。それは本作が描き続けてきた残酷な真実だが、本当の結末はおそらくその後だろう。

 おまけマンガ「進撃のスクールカースト」では、アメリカンな世界で生きるミカサとエレンとアルミンが、ある映画の「最終章」を見終わった感想について話している。ミカサとアルミンが激しい議論を交わす中、エレンは「お前らと映画観れて楽しかったよ…」「もし…次回作があったら…また観に行こうな」と言う。会話から察するに、3人が見た映画こそが『進撃の巨人』本編なのだろう。

 元々、コミックス巻末の「おまけマンガ」は嘘予告として書かれた遊びのページだったが、21巻から始まる「進撃のスクールカースト」ではアメリカの学園ドラマのパロディを装いながら、本編をなぞる構成となっていた。それでも33巻までは遊びの範疇に収まっていたが、この最終巻を読んで「本編の一部だったのか」と改めて実感した。同時に筆者には、このエレンの最後の台詞が一番心に響いた。

 ダークファンタジーから始まり、歴史、政治、宗教、民族差別、生命の存在意義といった壮大なテーマに足を踏み入れていった『進撃の巨人』だが、最後まで一貫して変わらなかったのは「友達を大切にしたい」という素朴な気持ちだったのかもしれない。だからこそ本作は、多くの読者に届く名作となったのだ。

■成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。

■書籍情報
『進撃の巨人』(講談社コミックス)既刊33巻
著者:諫山創
出版社:講談社
http://shingeki.net/

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