BL群像劇『ギヴン』はなぜ深く感情移入できる? 読み手に想像させる「余白」の妙

言葉を補完する自由と、そこにある信頼

 一方でキャラクターの口から出るありのままの言葉にも、この「余白」は存在している。3巻以降の軸となる中山春樹と梶秋彦、村田雨月の恋模様において、その表現は顕著だ。

お前に言っても
どうにもならない
(『ギヴン』4巻 code.20 より引用)

 秋彦は同居人で元恋人でもある雨月と衝突してしまった八つ当たりで、自分に想いを寄せる春樹を傷つけてしまう。元恋人である雨月への執着を断ち切れず苦しむ秋彦に、春樹は「なんでもする」と声をかけるものの、この言葉を浴びせられるのだ。

 春樹を最悪な形で振ったようにも見える、このセリフ。しかしそうとは言い切れない理由がある。作中でクズという描かれ方をする秋彦だが、そういうダメな部分を春樹にだけは見せないよう努めていたからだ。春樹への想いが芽生えているようにも捉えられる彼の姿を見ているだけに、そんなひどい言葉を浴びせるだろうか、もっと他に伝えたいことがあるのではないだろうかと疑問に感じるのだ。

 本作にはこのように、伏線が回収されるまで真意を理解するのが難しいセリフも多数ちりばめられている。ただ難しいからこそ「このセリフの前後には、こんな言葉があるのではないか」と想像がかきたてられるのだ。読者は作品を読み進める中で、キャラクターへの理解を深めていく。その理解は千差万別だ。だからきっとセリフ一つの捉え方も、補完する言葉も異なるだろう。

 『ギヴン』は読者に、あらゆるところに仕掛けられた「余白」を通してキャラクターたちにじっくり寄り添う時間をくれる。もちろん伏線は回収されていくが、そこに至るまでのルートは読者に委ねられていると感じるのだ。そこに作者キヅナツキ氏の「読者への信頼」を感じずにはいられないし、それが一読者としてとてもうれしいのだ。

■クリス
福岡県在住のフリーライター。企業の採用やPRコンテンツ記事を中心に執筆。ブログでは、趣味のアニメや漫画の感想文を書いている。ブログTwitter

■書籍情報
『ギヴン(6)』
キヅ ナツキ 著
価格:759円(税込)
出版社:新書館
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