矢沢あい『下弦の月』は名作か否か? 評価が分かれる難解な物語を解説

 矢沢あいの「りぼん」最終作となった『下弦の月』。その評価は真っ二つである。メイン読者層を置いてきぼりにした難解極まる本作は、はたして名作か否か。物語構造から考察していく。

目には見えない月の「魔力」

アーノルド・リーバー『月の魔力』

 『下弦の月』は、月の周期性をモチーフにした作品だ。

 月は地球に潮汐をもたらす事で知られている。月が自転する地球を周回する間に、月の引力に引っ張られて潮の満ち引きが起こる。同様に月の引力は生体のバイオリズムにも様々な影響を及ぼすとされており、人はそれを「魔力」と呼んだ。

 月の魔力は1984年にアメリカの精神科医、アーノルド・リーバーによって「バイオタイド理論」として纏められ、そこでは月齢と交通事故の関係が示唆されている。

 『下弦の月』のヒロイン・望月美月は、青い目の恋人・アダムと満月の夜に出会った2週間後、新月の夜の前日に交通事故に遭う。「一緒に行こう」と駆け落ちの約束を交わしたアダムが待つ横断歩道の向こうへ、目には見えない魔力に引っ張られたかのように、赤信号を飛び出した。

 「月の引力」というキーワードは3巻の最後、単行本の描き下ろし部分で、アダムが作者の代わりに答え合わせをするモノローグに一度だけ出てくる。

 月の引力に支配され、その周期で全てが決まる。(『下弦の月』 3巻 178P)

  アダムは空に浮かぶ「月」であり、「引力」とは美月とアダムを引き合わせた力の正体である。 月の引力は満月の日に最大となり、下弦月の頃に最小となる。『下弦の月』ではこれを互いに引かれ合う恋人同士の関係性に当てはめ、見事に描ききった。

純文学に比類するテーマ性

 『下弦の月』にはもう1つのキーワードがある。それが「19年のサイクル」だ。

 月は満ち欠けを繰り返す事から、古来より魂の永遠、輪廻転生の象徴とされてきた。『かぐや姫の物語』や『美少女戦士セーラームーン』など、月と前世をテーマにした作品は数多い。

 例えば今年の十五夜は10月1日、翌日が満月であったが、来年の同じ日に空を見上げても、右側が半分欠けた月がそこにあるだけだ。同じ日に満月が見られるのは、19年後の2039年10月2日である。

 太陽暦において月相が一致する19年周期を「メトン周期」という。『下弦の月』ではこのメトン周期を作品のテーマに取り入れ、魂が循環する19年越しの悲しい恋の物語を描いた。

 この作品は、小学5年生の子供たち4人が、イヴと名付けた幽霊・望月美月と、恋人のアダムを引き合わせるストーリーになっている。4人が協力してイヴの身元を特定する推理仕立てで進行し、その推理が19年の時間のズレによって阻まれる、まるでミステリー小説のような構成が非常に上手い。

 『下弦の月』のタイトルには、やがて新月へと形を変え、そこから再び満ち始める意味が込められている。喪失から再生へ、循環したイヴの魂がアダムと再会を果たすシーンは、詩的な鎮魂の台詞に彩られ、高い文学性すら感じられる。

 『下弦の月』は名作である。それも少女漫画史に残る傑作だ。全3巻、モノローグを加えた16話で完結する短編だからこそ、終着点を見据えた構成力がいかんなく発揮されていると言えよう。