『アクタージュ』が役者マンガの傑作たる理由 神がかった演技を描ききる、絵の説得力

演技をマンガで表現することは、演劇や映像表現とはまるで異なる

 では、演技をマンガで描く難しさとは何か?

 演劇マンガ(役者マンガ)が本当の演劇や映画での演技と決定的に異なるのは、良くも悪くも「時間を止められる」ことだ。舞台にしろ映像にしろ、本物は時間とともに流れ、観客が体験した一瞬は二度と返ってこない。演劇も映像も時間を伴うアートフォーム(時間芸術)であり、演劇の場合は特に一回性のある時間芸術だ。

 ところがマンガでは、役者のスイッチが入り、それにまわりが引き込まれているという説得力を、止め絵で表現しきらなければいけない。そういう意味で、役者マンガは実際の演劇とはまったく異なる。

 たとえば神がかった演技を目撃した観客の心の声を「す、すごい……!」などと描いたとしても、そこに読者が息を呑むような絵が描いていなければ、マンガでの演技表現は成立しない。画力がないと話にならない、きわめてハードルが高いジャンルだ。

 しかしそのハードルを乗り越えることができれば、読者に与える満足度は圧倒的に大きいものになる。観客を圧倒させた演技の瞬間を切り取ったマンガを、読者は何度でも、何秒でも見ることができるからだ。

 日本のマンガ表現は、一方では、実際には動いていない止め絵であるにもかかわらず動いているかのように読者に感じさせる技法を追及してきた。そして他方では、紙に絵で描かれた人物であるにもかかわらず深い内面性を感じさせる表現する技法を確立してきた。成功している役者マンガの決めゴマには、その2つの潮流が合流した快感がある。

 『アクタージュ』にはそうした「絵の説得力」がある。ある人間が別人になりかわる瞬間、役に感情を重ね合わせて身体から発したときの迫力が、これでもかというくらい伝わり、読者の語彙力を喪失させる「瞬間の絵」の魅力。演劇にも映像にもできない「演技マンガ」のお手本のような表現がそこにある。

■飯田一史
取材・調査・執筆業。出版社にてカルチャー誌、小説の編集者を経て独立。コンテンツビジネスや出版産業、ネット文化、最近は児童書市場や読書推進施策に関心がある。著作に『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの? マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』『ウェブ小説の衝撃』など。出版業界紙「新文化」にて「子どもの本が売れる理由 知られざるFACT」(https://www.shinbunka.co.jp/rensai/kodomonohonlog.htm)、小説誌「小説すばる」にウェブ小説時評「書を捨てよ、ウェブへ出よう」連載中。グロービスMBA。

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