『アルテ』は「好き」を貫く勇気と強さを描く ルネサンス期の女性画家の生き方が共感を呼ぶワケ

「好き」という気持ちの強さ

※ 以下、第1話のネタバレ注意

 第1話の序盤、どこの工房でもまったく相手にしてもらえなかったアルテは、「女を捨てる」ため、往来で長い髪の毛をばっさりと切る。その“騒動”の現場に居合わせた小さな工房の親方、レオは行きがかり上、彼女をいったん引き取ることになるが、彼もまた他の親方たちと同様、最初はアルテを弟子にするつもりはなかった。「絵を描くのが好き」だなどといっている夢見がちなお嬢様を、少年時代、物乞いだった彼は認められなかったからだ。レオにとっての絵画とは、「好き」である以前に、いまもむかしも「泥水をすすることなく、まっとうに、自分自身の力で」生きていくための手段なのだ。

 ところが彼は翌朝、できるはずがないと思いながら命じた画板の下準備を、両手を傷だらけにしてやりとげているアルテの姿を見て、考えをあらためる。つまり、彼女の「好き」というのが、単なる貴族の道楽ではないということを理解するのだ。アルテは別に趣味を仕事にして楽に生きていこうと考えているわけではなく、いまの彼女にとっては、それ(=絵)しか生きていくための手段がないのである。だから恵まれた貴族の生活を捨ててでも、筆1本で生きていこうとしているのだ。

 だとしたら、それは、先が見えない物乞いの生活から脱け出すために、絵画の道に一筋の光を見たかつての自分と同じだ。そのことに気づいたレオは約束どおり、アルテを弟子にする。そしてこの奇妙な師弟の出会いが、やがてルネサンスの美術界を少しずつ変えていくことになるのだった。

 アルテはレオに向かってまっすぐな眼差しでいう。「女が一人で生きていくのが、どんなに大変か分かってる…だけど、どうしようもなく怒りがわいてきて、それが私をつき動かすんです。どこかでのたれ死ぬかもしれなくても、工房で学んで、自分自身の力で生きられる道を目指したいんです」。そう――中途半端な気持ちでなく、本気で「好き」を貫くということは、それはそれでなかなか覚悟のいる生き方なのである。

■島田一志
1969年生まれ。ライター、編集者。『九龍』元編集長。近年では小学館の『漫画家本』シリーズを企画。著書・共著に『ワルの漫画術』『漫画家、映画を語る。』『マンガの現在地!』などがある。@kazzshi69

■書籍情報
『アルテ(1)』
大久保圭 著
価格:638円(税込)
出版社:コアミックス
公式サイト

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