女性に“優しい”と言われる男性が結婚できない理由は? 『婚活迷子、お助けします。』第九話
検討したうえで、いつもフラれる。誰とも真剣交際には進めないのは、なぜなのか
「それに田中さまは営業職ですよね。クライアントだと思えば、どれも抵抗なくできることではありませんか?」
恋人はクライアントとはちがう……と反論しかけたとき、ふと、姉ではなく、姉よりひとつ年上の長兄の顔が思い浮かんだ。正月に酒を酌み交わしているとき、兄はこんな愚痴をこぼしていた。
「嫁さんがさあ、すぐに言うんだよ。あなた、会社の人が相手でも同じことするわけ⁉って。するわけねえじゃん。そもそも会社と家は別もんだろ? 俺に対外的な態度をとってほしいわけ? ちがうだろ?」
「そう言ったの?」と幸次郎が聞くと、兄はふるえあがるようなそぶりを見せた。
「言うわけないだろ。揉めるだけだよ。それに、最初は、俺はどこで気ぃ抜けばいいんだよって思ったんだけどさ。じゃあ嫁さんは?と思って。嫁さんがそう言うってことは、あいつは仕事するのと同じ誠実さで家のことをやってるし、俺に対しても気配りしてくれてるってことじゃん。たぶん。だったら、俺ももうちょっと考えないといけないよなあ、と思って」
顔を真っ赤にしながら、呂律のまわらない口でつぶやいた兄は、いつのまにか背後に立っていた姉に「嫁って言うな!」と頭をはたかれていた。「そう言うおまえは簡単に人を殴るんじゃねえよ!」「おまえとか言わないでくれます⁉」「うるせえ自分のことを棚にあげてばっかだなおまえは!」と応酬を重ねるふたりを、日本酒で喉を潤しながら静観していた幸次郎は、一人じゃ気づけないことってたくさんあるんだな、とぼんやり思った。
姉がいつも怒るから、兄は義姉を必ず名前で呼ぶし、対外的にも妻ということが多くなった。姉は姉で、幸次郎たちにすぐ手を出すくせを改めようとしている。幸次郎も、そんな二人をみて学ぶところは多いし、仲人に指摘されたおかげで、どうにか仮交際にもちこむことができたのだろうな、と思う。けれど。
仮交際まで、なのだ。誰とも、真剣交際には進めない。
仮交際は、結婚を意識したおつきあいではあるものの、何人かと同時並行することが許される。そのなかで、この人だ、と思えたならば他の相手にすべて断りを入れて真剣交際に進むのだけれど、幸次郎はいつも「ごめんなさい」をされてしまう側なのだ。検討したうえでフラれる、というのは仮交際に進むことができないよりも、つらいものがある。どの女性も、幸次郎にとっては魅力的だっただけに、よけいに。
幸次郎が悪いわけじゃない、と仲人は言う。婚活は、最終的に運とタイミングだ。ほかに条件のいい相手が見つかったり、なんとなく噛み合わせが悪かったり、誰が悪いわけでもない理由で成婚に辿りつけないことはたくさんある、と。もしかしたら残酷すぎて幸次郎には言えない理由もあったかもしれないが、直すべきところがあれば率直に言ってくれる仲人だ、と信頼してはいる。
シルバーウィークの段階で、幸次郎の仮交際相手は0に戻っていた。仮交際に進みたい、と思った相手はいたけれど、彼女――小川志津子は仕事が忙しくなったようで、友人の店に行って以来、デートの約束をなかなかとりつけられずにいた。
正式なお断りがきたわけではない。きたわけではない、が。
――主体性がないくせに、昭和の価値観を無自覚にひきずってるからたちが悪い、か。
そういえば志津子と観るはずだった映画も、最初に「何がいいですか」と幸次郎が聞いたくせに、あげられた映画は好みじゃなさそうだったので渋り、3案めあたりで合意したのだった。ああ、そうか。ああいうのがいけなかったのか。何がいいだろうって考えて、提案するのも労力がいるよなあ。それが面倒だから俺も「何がいいですか」って安直に聞いちゃうんだもんなあ。
しょげかえって幸次郎は、甥っ子の匂いをふたたび吸った。けれどこの幸せな甘さは、自分には一生手に入らないものかもしれないと思うと、ますます気分が落ち込んだ。もしかしたら、友達の店っていうのも安易な感じがしていやだったのかもしれない。失敗してもおおらかに笑ってくれる志津子にほっとしたのは幸次郎だけで、彼女はただ我慢をしていただけかもしれない。そうだよな、ただにこにこ笑っていてほしいって、文句言わずに耐えてろってことにもなりかねないもんな。笑ってもらうには、それだけの誠意を俺が尽くさなきゃいけなかったのに。と、ネガティブ思考の迷宮に入り込む。
――でも、こんな子が隣で笑っていてくれたら、すごく幸せだろうなって思ったんだ。
志津子の所作は隅々までが上品で、箸の上げ下げひとつとっても見たことがないくらい美しく、これまでいくら母や姉に「箸の持ち方が汚い!」と叱られても気にならなかった悪癖を、彼女につりあう男になるためなら直したい、とはじめて幸次郎は思ったのだった。
「今回、フラれたのはどんな子だったの」
ひととおり愚痴を吐きだしてすっきりしたもちのか、姉がぞんざいに聞く。まだフラれたって決まったわけじゃねえよ、とふてくされながら、幸次郎は考えこんだ。笑顔がかわいくて、控えめで、優しそうで。あと、単純に見た目が好み。というのが率直な想いだ。けれどそれではまた姉から雷を食らうし、志津子にも失礼だろう。もう一歩、踏み込んで考えてみる。どうして、彼女につりあう男になりたいとまで思えたのか。
「…………私は至らないところばかりで、って言ったんだ」
「は?」
そうだ。と、友人の店に連れていったときのことを思い出す。ほんとにそそっかしくてすみません、がっかりさせましたよね。と、食事を終えたあと、改めて頭をさげた幸次郎に、志津子は言った。
「性格がわるいこと言いますけど、私、人が間違えたあとの対応をみるのが好きなんです。そこにいちばん、その人の本質が現れる気がするので。……予約ミスはむしろ正解だったな、って思えるくらい素敵なお店に連れてきていただいて、今日はすごくうれしかったです」
その言葉を聞いて、幸次郎より先に友人のほうが感嘆を漏らした。
「好意的に解釈しすぎじゃないですか? こいつはただ、いちばん手っ取り早いところに決めただけですよ?」
友達甲斐のないセリフだと思ったが、幸次郎も同感だった。「どうしてそんなに優しく考えられるんですか」と聞いた幸次郎に、けれど志津子は、すこし表情をかげらせて首を横に振った。
「私は至らないところばかりなので。間違えてもリカバー次第でどうにかなるって思わないと、やってられないんです。それに、全然優しくはないですよ。おいしくないお店だったら、田中さんのこと、もっとあしざまに言っていたかもしれません」
そう言って、からかうように笑う志津子の表情が、妙に心に焼きついた。至らないところばかりって。かわいくて、気配りもできて、立派に仕事もしていて。幸次郎からは、なんでもできる人に見えるのに。驚くと同時に、強いな、と思った。ああそうだ、だから箸の持ち方も直したいと思えたんだ、と気づく。間違いを肯定してくれた志津子だから。リカバーでどうにかなるって言ってくれる志津子だから。この人の隣に立つにふさわしいのは、自分のだめなところをちゃんと自覚して直せる男だろうなって、素直に思うことができたから。
――でもたぶん、フラれたんだろうなあ。
ため息をつく幸次郎の頬を、甥っ子がぺちぺちと無邪気に叩く。あーあ、あーああ、あーああー、とため息をやけくそに歌に変えると、甥っ子にはおもしろいのか、きゃっきゃっと笑った。
仲人から、幸次郎宛てに、志津子がもう一度会いたがっていると連絡が入るのは、それからもう少し先のことである。
(イラスト=野々愛/編集=稲子美砂)
※本連載は、結婚相談所「結婚物語。」のブログ、および、ブログをまとめた書籍『夢を見続けておわる人、妥協を余儀なくされる人、「最高の相手」を手に入れる人。“私”がプロポーズされない5つの理由』などを参考にしております。