阿部和重『オーガ(ニ)ズム』インタビュー後編

阿部和重が語る、『オーガ(ニ)ズム』に自分を登場させた理由 「私が私のことを書いてもリアルが保証されるわけではない」

 阿部和重氏の出身地を舞台にした神町3部作が、『Orga(ni)sm オーガ(ニ)ズム』で完結した。小説家「阿部和重」とCIAケース・オフィサーが、来日したオバマ大統領への核テロの危機に立ちむかう内容である。同作は日米関係をテーマにした純文学であると同時に、バディもののサスペンス・エンタテインメントでもある。伊坂幸太郎氏と『キャプテンサンダーボルト』を共作し、蓮實重彦氏の小説『伯爵夫人』を読みこみ評論を書いた。そのように他者の言葉に深く触れた経験が、新作執筆に活かされたという。過去の自作との関係、フィクションにおけるリアリティをどうとらえるかなど、創作の考えかたをさらにうかがった。(円堂都司昭)

前編:阿部和重が語る、『オーガ(ニ)ズム』執筆に至る20年の構想「アメリカの変化と日米関係を描こうとした」

「疑似ドキュメンタリーで見えてくるリアリティは技法でしかない」

――他者の言葉に触れるというお話でしたが、『オーガ(ニ)ズム』は3部作ですから当然、前の2作とつながっていますし、加えて作中では『インディヴィジュアル・プロジェクション』(1997年)の作者であることが何度も反芻され、『ニッポニアニッポン』(2001年)、『ミステリアス・セッティング』にも言及される。過去の自作ともむきあっているわけですよね。

阿部:今回、語り手というか視点人物が「阿部和重」なので、いわば自分自身をキャラ化して登場させるという試みになった。その流れで、過去作を部分的に語り直していくことになる。それは自分自身の身辺なり心情なりを自分自身の名前で書くという問題を引き寄せる行為でもある。日本の近代小説では、私小説が主流だったというのが教科書的な事実としてあります。私が私について書くことでリアリティが担保されるという前提で小説が組み立てられている。そこでいわれるリアルがどれだけリアルかは、なかなか検証されない。しかし、それは、嘘を嘘ではないとみせるテクニックにすぎない。

 僕は映画の勉強をしてきて1990年代から映画評論も書いてきましたが、疑似ドキュメンタリーという手法への批判に集中的に取り組んだ時期があります。90年代初頭から手持ちカメラでニュースフィルムみたいに撮るスタイルが劇映画で流行った。じつは60年代、50年代からすでにあったと言っていいスタイルで、街なかでカメラを三脚に載せず、被写体を追っかけながらぶれぶれでも構わずに撮ると迫真性が際立つ。なぜならそもそも記録映画やニュース映像がそのように撮られているから。ニュース映像は本物の出来事をやらせなしで撮っているとみんな思っているわけで、同じようにすれば、嘘の出来事もドラマ上の役者の芝居も本当っぽく見える。60年代や70年代はスタジオの外で撮るインディペンデントな制作活動や世界的なニューシネマ運動の潮流から自然とそうしたスタイルが採用されていたわけですが、90年代以降はリアリティの担保としてスタイルを再利用している側面が強いため、意味合いがまったく異なってしまう。その中で見えてくるリアリティは技法でしかない。私小説も同じであって、私が私のことを書いてもリアルが保証されるわけではない。

 では、文学や映画など様々な創作物に認められるはずのリアリティはどのようにとらえるべきなのか。『オーガ(ニ)ズム』に自分自身を登場させる以上、長らく考え続けてきた創作上のリアリティ問題にも焦点を当てなければならない。それは、これが阿部和重のリアルな姿だと提示するのではなく、ウィキペディアの誰が書いたかわからない紹介文の一節を引用する(「テロリズム、インターネット、ロリコンといった現代的なトピックを散りばめつつ、物語の形式性をつよく意識した作品を多数発表している」)。見知らぬ他人が「阿部和重」を説明した文章を通じて自分自身を表現するわけですが、そのフレーズが作中で執拗に繰り返されるうちに、当初に読みとった意味とは異なったものが感じられるようになるに違いない。そうした、読者にとって既知だったはずの言葉が、物語を読み進める中で別印象を帯びていく過程そのものが、文学という形式が提供し得るリアルなのではないかと僕は考えています。これは各人の印象にとどまるものではなく、結果的に見いだされる意味として言語化できるはずです。いずれにせよ、創作物が提供できるリアリティは、その創作物のジャンルごとの形式性に則したものとしてしかとらえられないはずであるというのが、僕の考えです。そのため、私のリアルな姿を私自身が書くという形ではなく、文学というジャンルの形式性を際立たせることでそのリアルに触れたいというのが、『オーガ(ニ)ズム』の狙いの1つだったんです。

「最終的にこれは噓なのだと明言しなければならなかった」

――特定の地域を舞台に選ぶ作家という点で阿部さんは、ヨクナパトーファ・サーガのフォークナーや紀州熊野の路地を描いた中上健次をひきあいに出されることが多い。ただ、『オーガ(ニ)ズム』で自作への言及を多く行って過去の作品を読み換え、作家としての自分を更新しようとする書きかたは、四国の森を舞台にした大江健三郎に近い印象があります。

阿部:おっしゃる通りだと思います。大江さんは、自作の語り直しをいろいろな作品でなさっている。その中でも、たとえば『懐かしい年への手紙』という作品は『ピストルズ』を書く上でも大きく参考にしています。また、大江作品には著者本人の分身的な存在として長江古義人というキャラクターが登場しますが(『取り替え子』、『水死』など)、先ほど触れたリアリティをめぐる問題の追求に取り組むこちらとしては、変名ではなく「阿部和重」のまま作中に出る必要がありました。後進の作家として、大江健三郎とは違うことを試みなければならなかった。

――阿部さんは作家として初期から、陰謀論や今でいうフェイクニュース的な問題への関心が高かった。トランプの台頭に象徴されるように現実社会でフェイクニュースが蔓延するようになったわけですが、小説のリアリティに関して考えかたに変化はありましたか。

阿部:いや、あまり変化していないというか、先ほどの話からつながりますが、90年代に映画で流行りだした疑似ドキュメンタリー手法の問題は2010年代の今日にいたるまで続いているどころか規模を拡大させている、というのが僕自身の現状認識です。かつてカメラは一家に1台程度でしたが、スマホ時代の今は1人1台カメラを持って世界のいたる場所を記録しまくっている。2001年の9.11テロは、世界史的な出来事で初めて多方向から一斉に膨大な量の映像に記録された事件ではないかととらえています。映画『マトリックス』で採用された、マルチカメラで全方位からアクションを撮影して一瞬を拡大して示す表現はある意味そうした状況を先どりしていたと言えるかもしれない。いずれにせよ、マスメディアに限らず、現場の周辺にいた無数の人たちがあのテロ事件を様々な角度から撮影した。携帯カメラの出現により、事件にあえば記録するというのが日常行為の1つになったからこそ、9.11のような突然の大事件においてもそうしたことがごく自然になされた。それ自体は現実の事件の記録であって疑似ではないドキュメントなわけですが、その後ネット上に記録したものを発表できる場が次々に設けられていく。発表の機会がもたらすのは、評価を前提とする提示であり、記録の作品化です。作品化というのはほぼ確実に加工をともないますから、当然ながら事実そのものからさらに遠ざかることになる。そうしたメディア環境の変化が今日のSNS時代を形成していくことになる。加えて、そこで提示された事実は、そのまま事実として受けとっていいのかという問題はいたるところで生じている。テレビでもやらせ問題というのは常に出てきますが、それを逆手にとったかのようなリアリティショー形式の流行も90年代に始まっている。というわけで、90年代に生まれた疑似ドキュメンタリーやリアリティショー形式の流行が、インターネットと組み合わさって2010年代以降のSNSや動画配信に直結し、ついにはフェイクニュースだのポスト・トゥルースだのといった問題にまで発展してしまった。

 ちなみに、『オーガ(ニ)ズム』の最後に「阿部和重」がラリーとの会話の一部を思い出す場面があって、小説家は嘘つきだよねということをいう。これはかつて疑似ドキュメンタリー批判を試み、同時にフィクションを商売にしてきた者としてとらなければならなかった1つの倫理的な態度でした。つまり、これは嘘であるとはっきり作品のなかで表明すること。それが、自分自身の考えを全うするための手段だったわけです。

 その意味では90年代も、疑似ドキュメンタリー作品すべてを批判してきたわけではありません。これは撮られたものだと解釈可能な細部が作中に認められる映画はあるので、そうしたものは評価し線を引いてきました。それに対して、いかにもこれってリアルでしょと言わんばかりに手法を再利用し、単によくできたドラマを提供するだけの作品は全否定してきた。今にして、われながらそれは間違いじゃなかったと思えるのは、噓をまことしやかに広めたり、技術によってフェイクを事実であるかのように拡散させるデマゴギーが世界中を覆いつくしてしまったかのようなおそるべき時代にいたったからです。文学は、そうした風潮にあらがう装置でなければならない。もちろん、エンタメ作品で嘘を楽しみ、そこだけで成立するマーケットを否定するつもりはありません。しかし今述べたような問題を考えてきた自分としては、『オーガ(ニ)ズム』では最終的にこれは噓なのだと明言しなければならなかった。そうでなければフェイクニュースやポスト・トゥルースといった問題に対する批評性を持ちえませんから。

関連記事