日本の子どもの読解力は本当に下がっている? 『AIに負けない子どもを育てる』の是非を問う

 「東ロボくん」のチャレンジと並行して、私は日本人の読解力についての大がかりな調査と分析を実施しました。そこでわかったのは驚愕すべき実態です。日本の中高校生の多くは、詰め込み教育の成果で英語の単語や世界史の年表、数学の計算などの表層的な知識は豊富かもしれませんが、中学校の歴史や理科の教科書程度の文章を正確に理解できないということがわかったのです。これは、とてもとても深刻な事態です。(新井紀子『AI Vs.教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社/2018年)

 数学者でAI研究者である新井紀子が2018年に「日本の子どもは読解力が下がっている。教科書がロクに読めない」と言って教育界に一大論議を巻き起こしたことは記憶に新しい。

 さらに教育界・出版界で議論になったのは、新井が「読解力と本好きかどうか、あるいは読書量は関係がない」としたことだった。

 生活習慣、学習習慣、読書習慣などかなり網羅的なアンケートを実施しました。つまり、どのような習慣や学習が、読解力を育て、逆に損なう原因になっているかを調査したのです。

 まずは読書習慣。読書は好きか、苦手か。好きだと答えた場合にはいつごろから好きか、苦手な場合はいつごろから苦手になったか、直近の1ヵ月で何冊読んだか、好きな本のジャンルは文学かノンフィクションかなど、かなり細かく尋ねました。その結果、どの項目も能力値と相関が見当たらなかったのです。(新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)Kindle版より)

 しかし、実はこの「日本の子どもは読解力がない」ということが問題化される動きは、今に始まったことではない。

 2000年代から言われ、また、対策が採られてきたものだった。

 そして重要なことに、2000年代以来言われてきた「読解力がない」問題と、新井の言っている「読解力がない」問題はまるで違うものを指している――にもかかわらず、しばしば混同されて議論されている。

 本稿では日本の子どもの読解力は本当に下がっているのか? そもそもそこで言われている「読解力」とは何か? 読解力と読書は本当に関係ないのか? これらの問題を扱っていく。

2000年代の「日本の子どもは読解力がない」問題

 2000年代以降の国語教育や子どもの読書政策に対して大きな影響を与えた出来事として、OECDの行うPISAの結果、特に2004年12月のPISAショック(2000年調査と比較しての 2003年調査での日本の子どもの読解力ランキングの大幅低下)がある。

 PISAとは、OECDが義務教育修了段階の15歳を対象に行う国際学力調査であり、実生活で直面する課題に知識や技能をどの程度活用できるかを評価するのが狙いとされている。

 まずはPISAの2000年の調査結果が2001年12月に公表されたあとの新聞や雑誌の記事を引こう。

 OECD(経済協力開発機構)が昨年末に発表した国際学習到達度調査。三十二か国の十五歳児(日本では高校一年生)を対象に、数学の能力や科学的知識のほか、「文章を理解し、利用し、熟考する能力」とされる「読解力」を調べた。

 読解力の総合得点では、日本はフィンランドに次いで二位グループ(順位は八位だが、二位のカナダと統計的な差はない)につけた。

 ただ、問題の中に、「落書き」について賛否両論の意見文を読ませ、その内容について論述形式で答えさせるものがあった。参加国全体の平均正答率は53%。これに対し、日本は42%と11ポイントも低かった。しかも、回答欄に何も書けない「無答率」が29%にものぼり、米(4%)、英(7%)、仏(9%)などと、大きな差がついてしまった。

 国立教育政策研究所の有元秀文・総括研究官は、「ものを考えない、表現できない」傾向の表れだと分析し、参加国中で最低だった「読書量」の少なさが背景にある、と見る。

 この調査で、日本の子どもは、55%が「趣味で読書することはない」と答えていた。高校生の二人に一人は、自ら望んで本を手に取ろうとしない。これは、参加国の平均32%を大きく上回る。(「読売新聞2002年10月11日東京朝刊「[読書していますか](1)文章書けない学生(連載)」」)

 これを受けて2002年8月に文科省が発表した「子どもの読書活動の推進に関する基本的な計画」の第1章では、PISAの結果を取り上げ「趣味としての読書をしない」と答えた生徒がOECD平均31.7%に対し日本は55%もおり、「どうしても読まなければならないときしか、本は読まない」と答えた生徒が、OECD平均12.6%に対し日本は21.5%であることから、読書離れを指摘し、

1.家庭、地域、学校における子どもの読書活動の推進

2.子どもの読書活動を推進するための施設、設備その他の諸条件の整備・充実

3.図書館間協力等の推進

 など多岐にわたって読書を推進した。

 ところが2004年12月にPISAの2003年調査の結果が公表され、日本の子どもは「読解力」で2000年調査の8位から2003年調査で12位に後退したことが明らかになる(いわゆる「PISAショック」)。こうした流れを汲んで文科省は2005年12月に「読解力向上プログラム」を発表する。

 2000年調査段階では「国際的に見て読書量が少ないのはまずい」くらいの話だったが、2003年調査段階では「読解力ランキングの低下はまずい。なんとかしなければ」ということで国は読書推進政策や教育カリキュラム変革にさらに力を入れ、2006年調査も2003年とほぼ同様の結果だったことから、その流れを加速させていった。

 こうした改革が功を奏してか、PISAの読解力ランキングは2006年に12位だったものが2009年には5位に上昇、2012年には1位となり、 2015年には5位に下がって再び問題視されたが、2003年、2006年と比べれば2000年代後半以降の読解力ランキングは上位で安定している。

 文科省は、このPISAの結果と読書推進活動とを関連付けて評価している。

 文科省は読解力が回復した要因の一つに「読書活動への支援」を挙げる。

 今回、生徒への質問紙による調査で「読書は大好きな趣味の一つ」と答えたのは42%と、前回より5.5ポイント増。「本の内容について人と話すのが好きだ」も43.6%で同7.1ポイント上がった。「読書は時間のムダだ」との回答は15.2%で、 4.5ポイント減った。

 読む本の種類などを2000年調査と比べると、小説や物語など「フィクション」が42%で14.5ポイント増え、伝記など「ノンフィクション」も11.1%で1.3ポイント増。コミックは72.4%で11.5ポイント減った。

 こうした点から、文科省は「すべて望ましい方向へ行っている」と結論づけた。

 ただ、「趣味で読書をすることはない」との回答は44.2%だった。00年調査よりも10.8ポイントも減った点では「改善」だが、OECD平均の37.4%と比べるとまだ多い。(「朝日新聞」2012年12月8日東京朝刊「経験の活用、日本の宿題 OECD国際学習到達度調査」)

 学校読書調査を見ても、2000年代を通じて小中学生の本離れは劇的に改善され、今や「若者の本離れ」などと言うのはデータを見ない知ったかぶりだけという状態になった。(全国学校図書館協議会「学校読書調査」より)

 「あれ?」と思っただろうか。

 そう、2000年代に「日本の子どもは読解力がない」ことは問題視され、対策として国語教育改革とともに読書推進政策がなされ、2009年以降は2003年、2006年と比べてOECD加盟国内の読解力ランキングは上昇したのである。しかもその理由のひとつには、読書推進活動の成功が挙げられている。

 なのにどうして新井紀子は「日本の子どもは読解力がない」とか「読解力と読書は関係ない」と言い、多くの教育関係者が「対策しなければ」と動いているのだろうか?

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