GANG PARADE THE LAST ROAD Vol.10:ユメノユア「代わりとなるものを探す旅をしなきゃいけない」 愛と悔しさ、静かな眼差し

2026年、GANG PARADEは解散する。その事実を前にして、彼女たちは今何を思うのか――。「信じたくない」といまだに思っているかもしれない。もうずっと前から終わりを覚悟していたと思っているかもしれない。あるいは、ただ静かに、胸の奥に何かが積もっていくのを感じているだけかもしれない。その最後の心の機微をリアルサウンドは全力でキャッチしようと思う。最初で最後のGANG PARADEメンバーのソロインタビュー連載をここに始める。撮影のために、メンバーにはいちばんお気に入りの衣装、いちばん思い出深い衣装をそれぞれに選んでもらった。インタビューの最後には、GANG PARADEの衣装をすべて手がけてきた外林健太のコメントも掲載する。最後の道を歩く11人の声、思いをここに刻んでいこうと思う。
セミファイナルはユメノユア。ライブが終わったあと、客席がどれほど熱狂していても、その熱をそのまま受け取るのではなく、一歩引いたところから少しだけ立ち止まって「今日のライブはこれでよかったのか」と振り返るのだと、かつて彼女がインタビューで話していたことがあった。ユア自身はその性分を「素直じゃない」と言っていたが、10年という時間を経た今振り返れば、その冷静さこそが、GANG PARADEという遊び場を足元から支えてきたのだ。
ユアがGANG PARADEの物語に加わったのは、2015年。ヤママチミキと並ぶ、現メンバーのなかで最も古くからグループを知るひとりだ。新たな仲間が次々と合流し、別れもあった。当然、グループの輪郭は何度も描き直されていった。ユアは、その変化のすべてを見届けてきた人でもある。
彼女の話を聞かせてもらった今思うのは、ユメノユアとは人一倍の努力家であり、誰よりも俯瞰する目線を持った、“過程”を信じる人だということだ。2017年のWACKオーディション――日々順位をつけられる過酷な環境のなかで、彼女は順位そのものよりも、そこへ向かう日々を積み重ねることこそが大事なのだと学んだ。目の前のやるべきことを、ただ毎日やり続ける。その愚直さは、GANG PARADEというグループの思想であり、GANG PARADEそのものと言っていい。グループが何度姿を変えてもみんなの遊び場が消えなかったのは、変わらない青き炎を持ち続けた人、ユメノユアがいたからだ。
12年分の愛と悔しさが同じ重さで沈んでいるように思えてならない。いつしか数えきれないほどの人の居場所になった、GANG PARADEの最も古い記憶を持つユア。彼女のなかに同じ重さで沈んでいる、12年分の愛と悔しさをじっくり聞かせてもらった。
(編集部)
算数は答えがひとつなので、すごく好きでした
――3月27日生まれ、神奈川県横浜市出身ですね。
ユア:はい。
――ユアさんのなかで最も古い記憶は?
ユア:幼稚園の時の学芸会ですかね。小さい頃の記憶があんまりなくて。写真を見たら「こんなこともあったかなあ?」っていうくらいで、ぼんやりした記憶しかないです。
――学芸会では、何の役をやったんですか?
ユア:何をやったのかは覚えてないんですけど、衣装は家族が作るシステムで、母が私の同級生のママたちと衣装を一緒に作っていたのはなんとなく覚えています。
――勉強とかを含め、どんなことが得意な子どもでした?
ユア:好きだった科目は、算数、数学です。昔からすごく屁理屈なタイプだったので、国語の「筆者の考えは、このうちのどれに当てはまるか?」みたいな問題には、「先生にもわからないのに、なぜこういう問いにするんだろう?」と思って、すごく反抗してました(笑)。算数は基本的には答えがひとつなので、その点ですごく好きでした。
――習い事はやっていました?
ユア:幼稚園の時にモダンバレエをやっていました。たしか、仲のいい友達が教室に通っていたから、私も通うようになったんです。中学受験のための塾に通うようになる小学3年生か4年生くらいまで、モダンバレエは続けていました。
――その頃の将来の夢は?
ユア:最初に抱いた夢は、宇宙飛行士。宇宙に関する仕事をしたかったけど、三半規管が弱いところや学問的なところとかも含めて、いろんな点で自分に向いてないのがわかって。物理とかも苦手だったので、「無理だなあ」と思うようになりました。
――趣味は何かありました?
ユア:小学校の高学年の頃は勉強しかしてなかったです。それが楽しかったんですよね。勉強は中学に入るまでは、それなりに頑張っていました。でも、中学に入ってから英語ができなくて。一応進学校だったのでまわりの子たちの学力がすごくて、遅れをとっていったという感じでした。
――漫画を読んだりとかはしていました?
ユア:漫画を読むようになったのは、大人になってからです。小さい頃はパソコンの使用時間が決まっていて、ゲームも環境的にそんなにやらせてもらえなかったんです。大人になってから、漫画、アニメとかにハマっていきました。
――当時の息抜きや娯楽は?
ユア:ラジオですね。CDデッキを買ってもらって。まだサブスクとかがなかった時代なので、音楽を聴くのはCDかラジオでした。ラジオを聴きながら課題や宿題をやっていましたね。『SCHOOL OF LOCK!』(TOKYO FM)とか『おに魂』(FM NACK5)とか。
――音楽が好きになったきっかけは、ラジオですか?
ユア:そうですね。『閃光ライオット』がきっかけで、下北沢のライブハウスに足を運ぶようにもなりました。でも、音楽を聴き始めたのはそれより前で、YUIさん、flumpoolとかが好きでした。ライブハウスに足を運ぶようになったきっかけは、『閃光ライオット』に出ていた高校生のバンドが輝いている姿を観て、「かっこいいな」と思って。私の日常はそれまで親が敷いてくれたレールに沿った生き方だったので、そこから少し逸脱できるのは癒しの時間だったというか。「“本当の自分”の時間だな」と思いながらライブハウスに通っていました。友達の作り方もライブハウスで知ったし。
――ライブハウスに通うようになったなかで好きになったバンドは?
ユア:マイヘア(My Hair is Bad)が『閃光ライオット』の予選に出ていたんですよね。東京でライブをする時は行っていました。当時通っていたバンドは解散している人たちも多いんですけど、ギターロックのバンドのライブに行っていましたね。
音楽へ向けた、他者よりも大きな情熱

――アイドルの音楽に触れることはありました?
ユア:ハロプロ(ハロー!プロジェクト)さんは、テレビで観ていました。CDを買ってもらったこともあるんですけど、まわりも好きだからよく聴いていた感じで、すごく没入していたわけではなかったです。アイドルのライブに行くようになったのは、でんぱ組.incさんに出会ってから。ライブハウスに通うようになったのと同じ時期ですね。
――WACKのグループは?
ユア:でんぱ組.incさんと同じ時期に活動していたBiSのことは知っていたんですけど、ライブとかに足を運んだことはなくて。MVを観たりして「かっこいいなあ」と思っていました。
――第1期BiSですね。
ユア:そうです。
――BiSに対しては、どんなことを思いながら活動を追っていました?
ユア:「面白いし、やっている音楽かっこいいなあ」って。私、バンドには「かっこいい」、アイドルには「かわいい」を求めていたんですよ。でも、BiSは「音楽を聴く」というグループでした。
――ロックバンドやアイドルの音楽を聴くようになったなか、「自分でもやってみたい」と思ったことはありました?
ユア:音楽はやりたかったんです、ずっと。中学校の時に父親にアコースティックギターを買ってもらって、そこで思ったのが最初です。でも、ひとりだと練習が上手くできなくて。まわりは軽音学部に入ってやっていたけど、途中から入部するには勇気がいるから私にはできなくて。やりたいけど「やりたい」って言えないもどかしさをずっと抱えていましたね。
――その後もバンドはやることはなく?
ユア:サークル的なものに入った時に、コピーバンドはやりました。でも、「音楽をやって食べていく」というふうにはみんな考えてなくて。自分が表に出る以外でも音楽に携われる仕事はいっぱいあるのに、みんな意外とそこに情熱を持っていないのを目の当たりにして、「バンドって難しいんだな」って思いました。バンドはひとりじゃできないし。
――何かしらの形で音楽に携わる道をずっと模索していたんですね。
ユア:そうですね。
――たとえば、レコード会社への就職とかを考えたりは?
ユア:それをイメージする前にこの世界に飛び込みました(笑)。
――POPのオーディションを見つけたんですね。
ユア:そうです。当時、オーディションの情報は、SNSではあんまり見かけなくて。パッと最初に目に飛び込んできたのが、プラニメの新しいメンバーを募集するオーディションでした。「受かったらラッキー!」くらいにしか思ってなかったです。
――受かっちゃいましたね。
ユア:受かっちゃいました(笑)。「これで食べていけたらラッキー!」みたいな感じで、あんまり長い目では考えてはいなくて。「2、3年だけでもアイドルできたらいいんじゃない?」って思っていました。
――「ユメノユア」という名前になりましたが、どう思いました?
ユア:自分で候補をいくつか送って、渡辺(淳之介)さんに「どれがいいですか?」と聞いて決まったんです。実は渡辺さんに100%つけてもらった名前じゃないんですよね。
――珍しいケースかも。
ユア:「自分で考えたほうがいいのかな?」と思うところもあったのと、アイドルになるにあたって自分と別の人格を作りたいというのもあったんです。なので、名前を戸籍上の名前とまったく被らせたくなくて、自分で候補を送りました。



















