岩崎宏美、50年間揺るがない歌への姿勢 デビューから37年ぶりの『紅白』まで、名曲と歩んだ半世紀を振り返る
2025年にデビュー50周年を迎えた岩崎宏美。そのアニバーサリーイヤーの締めくくりとして、6月24日に映像作品『NHKプレミアム Blu-ray BOX』が発売された。
4枚組となる本作には、『NHK紅白歌合戦』『レッツゴーヤング』『ビッグショー』『NHK歌謡コンサート』『うたコン』など、NHKに残された貴重な映像が約400分収録されている。デビュー当時のはつらつとした歌声から、2025年の『第76回NHK紅白歌合戦』で披露した「聖母たちのララバイ」まで、半世紀に及ぶ岩崎宏美の歌の軌跡をたどることができる。そこに映し出されているのは、一人の歌手が50年間にわたり、歌と向き合い続けてきた歴史だ。
『NHKプレミアム Blu-ray BOX』を視聴して思ったのは、彼女の50年は変化の物語というより、“変わらなかったもの”の物語だということ。そんな本作を皮切りにして、50年にわたる歌手活動を総括するべく岩崎へのインタビューを行った(以下、発言部分は岩崎の回答からの引用)。
今も背中を押し続ける筒美京平の言葉 デビュー曲レコーディング秘話
1975年にデビューを果たした岩崎。当時の彼女は同世代のアイドルの中でも異彩を放っていた。歌番組では生演奏をバックに歌唱することが当たり前の時代。そんな環境の中で、彼女は歌声そのものを武器に存在感を示した。後の80年代以降のアイドルブームにおいて、“歌の上手いアイドル”という評価軸が定着していく上で、岩崎が果たした役割は決して小さくなかったはずだ。
「16歳という右も左もわからない少女がプロの歌い手として歌い始めた、あの頃の映像。改めて観ると、恥ずかしいやらなんとも言えない気持ちになりましたが、自分でも忘れてしまっていたような映像の一つひとつが懐かしく、愛おしかったです。岩崎宏美としての軌跡を、美しい音声と映像で蘇らせてもらえたことがありがたかったと思います」
アイドル時代の岩崎の楽曲の歌詞は、実年齢より大人びたものが多かった印象がある。だが、メランコリックではあっても暗い印象にならなかったのは、中低音の厚みを持った歌声が、楽曲に温もりと包容力を与えていたからだろう。
「デビュー曲『二重唱(デュエット)』で、阿久悠さんの歌詞に〈くちづけ〉というフレーズが出てきて、レコーディングのとき恥ずかしくて歌えず、曖昧に歌っていました。するとディレクターの方から『恥ずかしいかもしれないけど、そんなふうに歌われるほうが恥ずかしい』と言われました。ただ、その言葉をもらってからも、知らない言葉や理解できない歌詞の世界ばかりでしたので、あまり深く考えずに歌っていました(笑)」
本作を観ていて改めて思うのは、デビュー曲「二重唱(デュエット)」や代表曲「ロマンス」の頃から、現在につながる岩崎の歌唱の原型がすでに完成していることだ。圧倒的な声量や高音域の伸びに耳を奪われがちだが、実際に楽曲を支えているのは中低音の豊かさである。
「デビュー曲のレコーディング時に(作曲の)筒美京平さんから『これからデビューするにあたり、いろんな方から高音を褒められると思うけれど、あなたの良さは中低音だから、それを忘れないでください』と言われました。今となっては、その中低音が岩崎宏美を支えています。あの言葉は、今も私の背中を押し続けてくれています」
高音で聴き手を圧倒するのではなく、中低音で歌の芯を支え、言葉を伝えていく。その歌唱の軸は、50年を経てもほとんど揺らいでいない。そして当時は理解できなかった歌の世界も、人生経験を重ねることで違った景色を見られるようになった。
「いろいろなことがわかるようになった今、改めて聴き返すと、こんなにも切なくて美しい名曲に恵まれていたのだと実感しています」
今回のBOXには「ロマンス」「センチメンタル」「思秋期」「聖母たちのララバイ」といった代表曲の歌唱映像が数多く収録されているが、岩崎自身の中で、歌に対する変化はあるのだろうか。
「『ロマンス』『センチメンタル』に関しては変わっていません。あの当時の歌を歌うと、当時の自分に戻れる感覚があります。『思秋期』は歌唱すると、あの頃の自分を俯瞰で見ることができます。『聖母たちのララバイ』に関しては、あえて変えようとはしませんでしたが、東日本大震災があって日本が大きなダメージを受けているとき、“この歌でみんなを元気づけよう”という気持ちで歌い続けてきたからこそ、自然と変わっていきました。この歌とともに、私自身も成長したと思っております」
歌とともに人生を重ねた結果として、歌に込める気持ちが変化していった――ここに岩崎の歌に対する向き合い方がある。
同じく楽曲に対する解釈の変遷は、選抜高校野球大会(センバツ)の入場行進曲に2度起用されたエピソードからも見えてくる。最初は1976年、3枚目のシングル「センチメンタル」(1975年)が第48回大会の入場行進曲になった。そして1983年、28枚目のシングル「聖母たちのララバイ」(1982年)が、第55回大会の入場行進曲に起用された。
「『センチメンタル』のときは高校3年生で、堀越(高等学校)の制服を着て甲子園へ向かい、自分の曲に乗って行進する同年代の球児たちに心が踊りました。『聖母たちのララバイ』のときにも甲子園を訪れましたが、20代に入っていた私には高校球児が幼く見えて、母親のような気持ちで見守っていました」
興味深いのは、この2度の起用が異なる意味を持っていることだろう。「センチメンタル」が選ばれた1976年、岩崎は高校生の人気アイドルだった。「聖母たちのララバイ」が選ばれた1983年には、すでに国民的な支持を集める歌手へと成長していた。同じセンバツ行進曲への起用でありながら、その背景には歌手としての立ち位置の変化が映し出されている。