リアルピース ソロインタビュー Vol.3:こーた、余命3カ月から日本屈指の支持を手に 「神さまからのプレゼントをちゃんと掴めた」

 5人組YouTuberアイドルグループ・リアルピース。彼らが男性グループ初の“全Zepp制覇ツアー”を開催中だ。2026年11月3日に開催されるLaLa arena TOKYO-BAY公演に向かうための布石である。

 リアルサウンドでは、この全Zeppツアー開催を記念して、かずぅ、こーた、かちょー、なお、こぺ、5人それぞれの1万字インタビュー、計5万字にもおよぶ特集をここにお送りする。

 第3回目に登場するのは、こーた。彼はとにかくロマンチストだ。一人称は一貫して「俺」、好きなことは「空を見上げること」。しかし、これはキャラ設定ではなく、こーたという人間の真正直なあり方である。こーたの人生は、「生きられても3カ月」と言われたところから始まった。しかし今、こーたは生きて、YouTube登録者数140万人、TikTokフォロワー数240万人を超える支持を誇るグループ・リアルピースをまっとうしている。まったくブレることを知らない、その強さは一体どこにあるのか。こーたがこーたになるまでを語ってくれた、決定版インタビューをここにお送りする。(編集部)

「俺、ロマンチストなんですよ。空を見上げて、自分に酔う時間が好きなんです」

――あらためて、生年月日とお名前を教えてください。

こーた:リアルピースのこーたです。漢字で書くと、神崎洸太。1990年12月2日、福島県いわき市で生まれて、高校卒業まではずっと地元にいました。

――“洸太”という名前の由来は?

こーた:実はこれ、芸名で。“洸”の字だけ変えていて、たしか本名の方は字画のよさと、俺の生まれ年に使えるようになった漢字だったから、みたいな理由で両親が選んだんだとか。スマホの予測変換でもすぐに出てこなくて。あっ、“洸”については俺がかっこいいと思ったから決めました(笑)。

――はい(笑)。趣味はありますか?

こーた:昔はダーツとサウナ。最近はお風呂。ずっと好きなのは、空を見上げること。

――空の写真を撮るとか?

こーた:いや、もう見るだけっすね。

――となると、雲の流れや色の変化を眺めるのが好き?

こーた:俺、ロマンチストなんですよ。空を見上げて、自分に酔う時間が好きなんです。

――具体的に、どのように酔うのでしょう。

こーた:地元にいると、年齢に応じて行動パターンが決まってきて。この年齢になったら結婚する、みたいな。俺は、そこから外れている感覚が好き。東京で、しかもこんな仕事をしていたら安定なんて得られなくて、毎日がツラくて、しんどくて、だけど楽しくて。その想いを抱えながら空を見上げると「俺、生きてんな」「頑張れてんな」って自分に酔えるんですよね。パソコンだけ持って、夜の公園とかによく出没してます。

――(笑)。ご両親からは、どんな子どもだったと言われていますか?

こーた:ちゃんと聞いたことはないけど、たぶん「今のこーたをちっちゃくした感じ」だと思う。昔から芯の部分は変わっていない気がします。

――こーたさんは生まれた瞬間から、余命3カ月を宣告されていた、という。なんとも衝撃的な人生の幕開けですよね。

こーた:そうなんですよ。生まれた時点で片方の腎臓が機能していない状態だったのと、食道の弁が本来と逆向きになってしまっていて、簡単にいえば食べたものが胃に落ちていかない状態。だから、生きられても3カ月と言われていたらしいです。このあいだ、数年ぶりに連絡した母親に教えてもらったんですけど、病名としては「腎盂腎炎拡張症」って呼ぶんですって。あとは、基本的には「しくじりこーた」で語った通りで、その3カ月のあいだに弁の向きが正常に治るというマジの奇跡が起きました。

【32歳アイドルの過去~】しくじりこーた

――こうしたエピソードは、いつ頃に聞かされたのでしょう。

こーた:小学校に入る前からもうずっと。昔は痩せていることがコンプレックスで。ことあるごとに「病気だったから太れないんだよ」と、両親から説明されてました。やっぱり親って上手いものです。少しショックなことがあっても「こーたは今、生きているだけで十分すごくて、すごく強いんだよ」みたいな言い方をしてくるんですよね。

両親の離婚が変えた少年時代の生活

――ご両親の言葉に間違いはないと思います。ところで、人生でいちばん最初の記憶って思い出せますか?

こーた:思い出せますよ。俺、3人兄弟の長男なんですけど、たしか6歳違いのいちばん下の弟が生まれた時だったかな。小学校から帰ってきた時、病院にいたはずのお母さんが窓の外から見えたんです。すごくうれしくて、家のなかまでダーッ!って駆けていった。今思えば、お母さんが大好きで仕方なかったのと、小学生なりに寂しかったんだと思います。たぶん、俺はその頃から……愛に飢えてたんだろうな。今も愛に飢えてるし。

――小学生時代以前で覚えていることは?

こーた:幼稚園時代の記憶が本当になくて。でも、小学校以降のことはよく覚えてます。すごく活発で、この頃からみんなを笑わせるのが好きになったんですよ。クラスのレクリエーションでも、みんなの前でボケてみたりとか。

――「フルーツバスケット」で椅子に座らず、わざと罰ゲームを受ける男子とか、すごく覚えがありますね。

こーた:ガチでそれでした。当時はコント番組『笑う犬の冒険』が大好きで、原田泰造さんがしていた「センターマン」の真似をしてみたんですよ。体の右半分だけ服を着て、左半分は着ない、みたいな。ダダ滑りしましたね。誰一人として笑わなかった。原田泰造さん、すごいです。あの方は技術があるから笑いが取れる。目立ちたい、注目されたいって想いだけが強い小学生が真似していいレベルじゃなかった(笑)。

――「目立ちたい」という想いは、誰かに影響されて強くなったもの?

こーた:自然に、いつの間にかでした。でも、家では陰キャでした。今思うと、すごくギャップがあったんだな……。

――そう考えると、本当に今ステージに立つべくして立っているのかもしれませんね。前述の「しくじりこーた」によると、その後は荒れた中学時代を過ごすことに。

こーた:クズでした。小学5年生から始めたバスケはお遊びで続けはしたものの、決定的だったのが両親の離婚。小学校の卒業写真には親がふたりいたけど、中学校の入学式には親父しかいない。

 今でもよく覚えてます、離婚を伝えられた日の夜のこと。俺ら兄弟を挟んで、親父が後ろ、お母さんが前に立っていて、離婚することを説明されたあと、お母さんが「いつでも会いにきていいからね」って言ってくれたんですけど……すぐに「あっ、やっぱり会いにくるのはやめようね」って言い直して。俺、見えちゃったんですよね。母親が言い直したふた言目の直前に、親父が横に首を振ったの。夜だったから、窓に反射してた。子どもながらにいろいろな感情があるなかで、当時の俺は「こいつはバレないようにお母さんと会えなくした」と思って。その瞬間、親父のことを理解できなくなって。離婚後、親父が優しくなったのも、今思えば母親の代わりとして「子ども3人をちゃんと育てなきゃ」っていう前向きな変化だったはずなんですよ。だけど、俺には「こいつは子どもに媚を売り始めた」としかとらえられなくて。そこから反抗期が始まりました。

 兄弟ふたりと、こういう話を腰を据えてしたこともないですけど、まだ彼らは思春期に入っていなかったから、当時は特に反応もなかったですね。結果的に、お母さんとは高校卒業までのあいだ、数回ほど会えたんですけど、その頃の俺が悪い方向に走ったことに変わりはないです。

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