Ado×林響太朗監督×大野瑞樹プロデューサー「ビバリウム」特別対談 初の実写MVはどうやって生まれたのか?
Adoが2月にリリースした「ビバリウム」。この楽曲は、Adoの過去であり、現在地であり、心のなかであり、合わせ鏡でもあり、Adoそのものでもある、そんな奇跡と言うよりほかにない稀有な楽曲だ。そのMVは、初の実写MVとなった。ひとつの圧倒的なエンターテインメントの到達地点であると同時に、Adoという唯一無二の表現者/歌い手の本質を浮かび上がらせる映像作品であり、生々しくも、痛快で、奇跡のような完全無欠の4分31秒である。
今回特集するのは、AdoのYouTubeチャンネルで公開されているスペシャル対談のテキストバージョンだ。Ado、そして林響太朗監督、大野瑞樹プロデューサーに、「ビバリウム」MVについて徹底的に語り合ってもらった。今こそAdoという稀有な才能の未知なるすごさに触れ、「ビバリウム」が音楽と映像で到達した高み、表現の特異性を感じてほしい。(編集部)
「“Ado”というのは人間であり、命があっての私」――なぜ実写MVは生まれたのか
――「ビバリウム」のMVがすさまじい勢い広がっていて。Adoさんにとっては、本当にいろんな覚悟をもって出した曲とMVだと思うんですけど、それが世のなかに広がっている今の状況については、率直にどういうふうに感じていますか?
Ado:「ここまでたくさんの皆さんに観ていただけるなんて!」という気持ちでしたし、私自身は初めての実写のMVだったので、単純にすごく緊張して。これまでライブですとか、大きな会場のライブですとか、いろんな楽曲をリリースしたりとか素敵なコラボレーションをさせていただきましたけど、久しぶりに自ら発信というか。いろんな経験を重ねて、緊張感を覚えるようなものがどうしても最近は少なくなってはおりましたが、今回はまた新しい挑戦や緊張感のなかで、また大きいものを発信できた感じがして。緊張もしましたが、同時に新しいところに歩み出したような気持ちです。高揚した、わくわくした気持ちがありました。
――撮影自体も本当に過酷というか、めちゃくちゃ体張ってるなと思って観させてもらいましたし。実際カメラの前に立って、演じるということをやったわけじゃないですか。実際にやってみてどうでしたか?
Ado:もちろん事前にMVの内容だったりはお聞きしていたのですが……実際に自分がすべてをさらけ出すわけではないのですが、とはいえ「どう映るんだろう?」というところは、やっぱり初めてのことだったので。「これで合ってる?」というとアレですが、なんでしょうね、難しいところはありました。でも、そこを意識しすぎても、どうしても堅苦しくなってしまうかなと思ったので、すごくきれいに見られたいというよりは、ステージでやっているようなパフォーマンス、ステージ上と同じ気持ちといいますか、そういった見せ方をしていきたいなとやっていて思いましたね。
――大野さん、林さんは、公開して世のなかの反響だったり、いろんなリアクションっていうのを目にされていて、どんなことを今感じていらっしゃいますか?
林響太朗(以下、林):たぶん、ジャケットが公開されたあたりから、実写MV化説は結構流れていたと思うんですけど、世のなかの人が思っていた以上に実写だったんじゃないかなとは思っていて。コメントにも書いたけど、Adoさんの覚悟を感じてもらえたんじゃないかな、と。それが再生数もすごく伸びたことに繋がって、いろんな人が観てくれている、「覚悟を見たい」と思ったということが、いちばんよかったところかなと思いますね。
――うんうん。大野さんはいかがですか?
大野瑞樹(以下、大野):反響はすごいですね。一緒にやっているスタッフとか、映像業界の方とか、音楽業界の方とかも観ていただいて、ご連絡をいただくことが多くて。「観ました」「いやあ、すごいですね」って。ランキングもグローバル3位になって。
Ado:そうですね。
大野:ね、いきましたよね。その時にいろんな人から連絡もらって、たぶんそこで観た人もたくさんいて、たくさんご連絡をいただきました。注目度も高いし、あの楽曲がAdoさんの覚悟も含めていろんな人に届いたのかなと思って。それがすごく嬉しかったです。
――楽曲自体もすごいし、もちろん実写というのもそうだし、映像自体も凄まじいものになっているっていう。全部が掛け合わさって、とんでもないものができましたよね。「ビバリウム」は、『ビバリウム Adoと私』に基づいて作られた曲であり、「初夏」に続くAdoさんの自作曲であり、これまで明かしてこなかった部分も含めて、Adoさん自身のことを赤裸々に明かして綴っていくものになりました。このタイミングでこういった挑戦をしようとAdoさんのなかで思った理由は、どういうところにあったんでしょうか。
Ado:小説は3年くらい前から制作が進んでいて、東京ドーム公演『よだか』の時に大方完成はしていて、細かな修正作業をしているのなかで……「ビバリウム」という曲を作っていました。最初のタイミングでジャケットやMVを実写にしようというふうに当初から考えていたわけではなかったです。でも、だんだん小説が(完成に向かって)進んでいって、何度も読み返したりして。そのたびに自分と向き合うわけでもありますから。まずは自分の気持ちだったり、自分の過去のことを歌にしてみたいなという気持ちを歌にしたいなという感情が、後書きを書きながら芽生えて。同時に、半分違う感情としては、やっぱり私はバーチャルな存在でもなければ、二次元やアニメーションでもない、皆さんと同じ三次元の人間で。でも、正体の部分は隠している歌い手という形をとっている。たくさんのファンの皆さんに、私の“Ado”という名前は支えられていますが、どんどん自分の思う自分と“Ado”という名前が乖離していく感覚を覚えた瞬間もありまして。このままAdoとして今のAdoに心を追いつかせてほしい、というか。求められるAdoとして進んでいくことも、きっと幸せで輝かしい、言ってしまえばスターダムのような選択だと思うのですが、やっぱり私は人間であり、泥臭さというか、人間としての拭えない部分ですとか、そういったものが“Ado”として形成されている要素の大きな部分かな、と。私は私の人生を振り返ってそう思っているので、あらためて「ビバリウム」のタイミングで「私は人間だ」ということを表したいなと思いました。
「私は人間なんです」「でも歌い手という形で歌を歌っているんです」ということをあらためて証明する、歌いたいなと思ったので、それがいちばん実写が伝わるなと思って。かつ、人間としての動きや肉体、肌の部分を見せながら同じ三次元という人間の次元を感じられるものでありつつも、すべてを見せすぎない形は、私がやってみたかったことであり、すごく叶えたかったことだなと思っていて。私にとっても貴重かつ自分がやりたかったことを叶えていただいたなと思っております。
――「Adoは私なんだ」ということをちゃんと伝える、そういう作品になった感じがしますよね。
Ado:そうですね。“Ado”というのは人間であり、命があっての私なんだということが、特にファンの皆さんに大きく伝えられたんじゃないかなと思っております。
――今までもAdoさんはこれまでも誰もやってこなかったことをずっとやってきたんですけど、実写のMVを作るというのは、大きな決断でもあるし、大きな挑戦じゃないですか。その部分は、スタッフやチームとはどういう会話をしながら進んでいったんですか?
Ado:はじめは資料とかを自分で作成して、「こういう形でやりたいです」「見せ方はこういう感じにしたいです」「あくまでも、すべての顔とか容姿を出したいわけではないです」ということをわかりやすい形で提示して。自分のなかではもうイメージができあがっていたので、それを叶えていただけるような方を見つけていただければ嬉しいですというふうにスタッフさんにお話ししましたね。
――なるほど。じゃあ、Adoさんのなかには本当に明確なイメージというか、ビジョンがあるって、それをどう作っていくかとなった時に、林さんと大野さんが入ってきてくださったということですね。
Ado:はい。
ただごとではないということを途中で理解した(林響太朗)
――大野さんはプロデューサーとして、楽曲がすでにあって、「こういうコンセプトでこういうMVを撮りたい」というお話を聞いた時に、最初にどういうことを感じました?
大野:いちばん最初は、やっぱりプレッシャーがすごかったです。自分のなかでも、ちょっとイメージが湧き切らないところもあって、「どうしたらいいんだろうな」と。レーベルの担当の方にも「僕、すごく悩んでます」とお話しして(笑)。そこで、僕が信用できる監督のおひとりである林さんの名前を挙げさせてもらったんですね。林さんは、ビジュアルを設計する力がすごく高いし、光の美しい感じとか華やかさも描けるし、楽曲とアーティストに寄り添えるというのが僕はいちばん信頼を置いているところで。響太朗さんにも電話して、「まだ僕のなかでもイメージ湧き切っていないんですけど、一緒に考えてやりませんか?」みたいな感じでオファーをさせていただきました。
――なるほど。林さんはそのオファーを受けて、どういうことを思いました?
林:まず、そのオファーを聞いて「珍しいことを言うな」と思いつつ、軽い気持ちで受けました。大野くんだし、面白いことになるだろうなという前提があるし、いつもやっていることも大体はいい意味で大事件になるので、それを楽しみにしつつ。楽曲を聴かせてもらって、小説も読ませてもらって、大野くんと同じプレッシャーをそこでやっと味わいましたね(笑)。
Ado:あははははは。
大野:(笑)。
林:入りは軽かったんですけど、ただごとではないということを途中で理解した。重さというか、世のなかへの発信の危険度というか、そういうものをだんだん感じていきましたね。
大野:ずっとふたりで話していたのは、世界ツアーが終わったタイミングでこの曲が出るっていうこともそうだし、Adoさんが「実写に挑戦してみたい」と思ったことも含めて、その覚悟を感じた時に、僕らも映像のプロとして「もう真っ向勝負するぞ」という話でしたね。楽曲を聴いた時に、僕らとしてはAdoが人間であって、これを歌い上げてる姿はどうやってでもいっぱい撮りたい、って。「誰に何を言われようが、僕らはその姿を撮りたいんです」みたいなことを、遠慮なく打ち合わせでも言わせていただいたのかな。
林:そうだね。
大野:それじゃないとこの熱量を届けられる自信もなかったところもあって。なので、今回のMVでは、体の表現とかにすごく感情が乗っている。そういう部分をたくさん詰め込んだMVにはなっているので、その熱量がビシバシ楽曲とともに伝わっていただけるのがすごく嬉しいなと思ってます。
――本当に肉体性みたいなものが散りばめられていて、カット数も非常に多い。4分半で300カットっていうのもちょっとすごいですよね。
林:そうですね。ちょっとやりすぎですね(笑)。
大野:やったよね(笑)。
林:いや、でも、デモをいちばん最初に聴いた時の衝撃が本当にすごくて。たぶん、今できあがったものの少し前の状態ではあったので、さらに剥き出しというか、イントロからとんでもないものがきたみたいな感じで、そのまま駆け抜けて終わっていくか。ただごとではない感じが、楽曲からも香ってきて。電圧が高すぎてショートしているような感じというか、なんかAdoさんの電圧が高すぎて、こちらの電圧が足りていないというか、ちょっと知らない領域な感じもあって。それを少しずつ聴き込んで、読み込んで、少しずつ自分たちをチューニングしていった結果が、フレームごとに編集するという方法だったという。Adoさんの声はなめらかで聴き心地が好いので、楽曲とアレンジの感じと、交じり合わないところがすごく気持ちいいなと思って。だから、(カットを)すごくいっぱい切ってはいるんだけど、なめらかにつながるように努力はしていて。逆に、カット点が強く出るところも意識しました。曲にどうやって合わせていくかをめちゃくちゃ考えていましたね。
――4分半というのは、曲として短いか長いかで言ったら、別に決して短い曲じゃないと思うんです。でも、MVは特にそうなんですけど、体感として曲を聴いてもあっという間なんですよね。一瞬で過ぎ去っていって、すごいものが通り過ぎていった感覚が残るっていう、独特の感覚がある。Adoさんは、ご自身のなかに「こういうことをやりたい」というイメージはあったにせよ、それが林さんと大野さんのフィルターを通して具体的なプランになっていった時に、どういうことを感じていきましたか?
Ado:楽曲に対して込めた想いですとか、小説ですとか、私自身のことをすごく大事に、一つひとつ汲み取ってくださって。もちろん、自分のなかで「こういう感じでやりたい!」という大きなイメージはあっても、具体的に「こういう見せ方で……」「こういうシーンで……」というところまでは考え切れていませんでしたし、考えたとしてもクリエイティブに関しては私も素人ですので、何がいちばん自分にふさわしいのかは、自分のなかでもどう表現するかを悩んでいたので。たとえば、クローゼットの場面だったり、必死さのなかに隠れた希望を掴むような……走り抜けていく感じを林さん、大野さん、スタッフの皆さんがすごく本当に丁寧に作って、再現してくださったので、私も撮影していてすごく安心しましたし、その前の打ち合わせのなかでも、「ああ、これは大丈夫だ」という確信がありましたし。そういった面でも感謝でいっぱいで、私自身、すごく安心して「ビバリウム」という作品を世に出せる、未来への安心感がありました。
――「やる」という覚悟はもちろんあったにせよ、実際に撮影するとなるとまた気持ちも新たになるというか。
Ado:一つひとつたくさんのシーンを撮っていただいて。実際のMVが完成した形で上がってきた時も、「なんだ、このカット数は!」と思って(笑)。普段からMVであったり、データの確認は行いますけど、こんなにコマ送りのように確認する機会は初めてだったので。だけど、そこに自分がいて、自分自身が演じているというのもあって、本当にすごく見応えがありました。それこそ、初めて世に公開する当日は、ファンの皆さんは衝撃を受けるだろうな、と。でも、プレミア公開は止められないので(笑)。それも含めて本当に面白いMVになったなと思っております。