BMSG TRAINEE ソロインタビュー Vol.16:RAIKI「生まれた時からアーティストを目指していた」 貫き続けるまっすぐな心
BE:FIRST、MAZZELに次ぐ、3つ目のボーイズグループを誕生させるべく行われた、BMSGによるオーディションプロジェクト『THE LAST PIECE』。その参加者でもあった面々が多く揃った今のBMSG TRAINEEは、最強の原石が揃っている。その強さとは、一体何なのか、どこからやってきたのか――。
リアルサウンドでは、3月18日、19日に行われる『BMSG TRAINEE SHOWCASE 2026 〜 Graduation Party for REN, YUTA, RAIKI, TAICHI, and ISANA 〜』を記念して、出演するBMSG TRAINEE 18名のソロインタビュー連載をスタートさせる。まっすぐに自分の理想を追い求めて、今この瞬間もひた走っているこの若き才能たちに、リアルサウンドは全力でベットしたいと思う。
連載第16回目に登場するのは、RAIKIだ。RAIKIは、憧れにまっすぐな人である。ひとつの“道”と呼ぶべきものを見つけ、そしてその道に挑み続けるという選択が導いたまっすぐさと正しさが、彼の佇まいには宿っている。それは、木の棒をマイクスタンドに見立てて歌っていたという幼少期から、ずっと絶えることなく貫かれているものなのだ。「自分は将来こうなる」という確信めいたものが当時からあったのだろう。もしくは、それ以外のものは見えなかったのかもしれない。18歳、BMSGが送り出す4番目のグループとしてのデビューが決まった今、ここから鍵になるのは、彼がどこまで衝動のままに解放できるのか、ということだと思う。その衝動と解放の先には、きっとRAIKIのなかにずっとずっと昔からある何かが、みんなの心に共鳴をもたらしてくれる。その“何か”とは、きっと私のなかにも、あなたのなかにも、誰のなかにもある、とても普遍的で尊いものだ。しかし、それはいつの日か忘れてしまったものでもある。それを呼び起こし、思い出させ、共鳴させる力が、彼のなかにはたしかに眠っていると思う。
きっと多くの人が、「ああ、これだ」「自分がRAIKIに惹かれる理由はこれなのかもしれない」と理解することができる、そんなインタビューになったのではないかと思う。言葉にできない説得力をRAIKIはたしかに手にしている。(編集部)
プロのアーティストになることしか最初から考えていなかった
――まずは生年月日から教えてください。
RAIKI:2007年5月13日生まれの18歳です。
――RAIKIさんのいちばん古い記憶というと、何ですか?
RAIKI:えーなんだろう……? 保育園にお母さんが迎えにきてくれた時の記憶かもしれないです。先生とお母さんが何か話しているような光景がパッと思い浮かびました。
――RAIKIさんは、どんな子どもでしたか?
RAIKI:それが結構問題児だったみたいで。お母さんと保育園の先生たちが仲よくて、今でもたまに挨拶しに行くことがあるんですけど、「RAIKIくんのことは忘れない」って言われます。お昼寝はしないし、スライディングしてドアを外しちゃったこともあるらしくて(笑)。
――(笑)。BMSG TRAINEEのなかでは面倒見のいいお兄さんのようなイメージがありますが、小さい頃はやんちゃだったんですね。
RAIKI:BMSG TRAINEEのなかだと僕は年齢が上のほうで年下が多いから、自然とそんな感じで振る舞っているのかなと自分では思っています。普段からお兄さんっぽい感じというわけじゃなくて。
――じゃあ、本来のRAIKIさんには今もやんちゃな一面もある?
RAIKI:かもしれないです。さすがにもうドアは外さないですけどね(笑)。
――最初に抱いた将来の夢は覚えていますか?
RAIKI:子どもの頃の写真に、木の棒をマイクスタンドにして歌っているものがあるんですよ。将来の夢とかまだ意識してなかったくらい小さな頃に撮られたものだと思います。だから、きっと覚えていないだけで、実は生まれた時からずっとアーティストを目指していたのかもしれないです。
――ほかの職業に興味を抱いたことは一度もないですか?
RAIKI:ないですね。プロのアーティストになることしか、最初から考えていなかったと思います。家族も音楽好きが多いので、車のなかでもアーティストのライブ映像が流れていたりして、小さい頃から音楽に触れる機会が多かったんですよね。そういう環境もあって、ほかの職業になる自分は思い描いていなかったです。
――人前に立つことはずっと好きでしたか?
RAIKI:好きでした。小学校、中学校時代と生徒会長をしていましたし、人前に立って何かをするのは得意でした。
――“アーティスト”という職業を本格的に目指し始めたのはいつ頃からですか?
RAIKI:保育園の年長からダンスを習い始めていたんですが、本格的にアーティストを目指そうと思ったのは中学1年生くらいだったと思います。その頃から歌も習い始めましたね。そのタイミングで、いろいろな会社からスカウトをいただいたこともあって、自然と芸能界に興味を持つようになりました。僕はもともとAAAさんが大好きで、“アーティスト=かっこいい”というイメージを強く持っていたので、すごく憧れていました。
――いろんなスカウトも受けていたなかで、BMSGを選んだ理由を教えてください。
RAIKI:過去にほかの会社でチャレンジしたこともあったんですが、「あなたの踊り方はうちの会社っぽくないから変えてほしい」とか「その歌い方じゃなくてこうしてほしい」みたいなことをよく言われてたんです。でも、自分の理想のアーティストであるAAA出身の日高(光啓)さんが代表のBMSGなら、自分らしくできるんじゃないかと思ったんです。
――実際BMSG TRAINEEになってみてどうでしたか?
RAIKI:やっぱり“Be My Self Group”を掲げている会社なので、何かを強制するような指導はまったくなかったです。本当にずっと自分がやりたいことをやらせてもらえているし、「こういうの好きなんだったら、こういう表現がいいんじゃない?」とか「こういう声だから、こういう曲も似合うと思うよ」とか、いろいろなことを教えていただいています。徐々に自分の目指すアーティスト像に近づけている実感もありますし。
――憧れの存在でもある日高さんに対する気持ちは変化しましたか?
RAIKI:実は、いまだに日高さんと喋っている時に、自分が今喋っているのが僕がずっと見てきた日高さんだっていう実感が湧かないんですよね。「本当にあの日高さんと話してるの?」って。日高さんの隣でごはんを食べたり、日高さんに相談の連絡したりする時も、「この状況、よくよく考えたらヤバい!」っていつも思ってます(笑)。当時の自分では想像できない、ありえない環境にいさせていただいているので、実感が追いついていないんですよ。
――『THE LAST PIECE』でも、日高さんから直接アドバイスいただく機会は多かったですよね。
RAIKI:オーディション中の数カ月間は、本当に毎日、僕たちとずっと一緒にいてくださったんですよ。『THE LAST PIECE』の1話が放送される前に、朝のニュース番組に日高さんが出演しているのを参加者のみんなで観ていたんですけど、「社長がテレビの人に戻っていった!」って騒いでました(笑)。日高さんって、社長として先頭に立って引っ張っていくとか、上に立つとかじゃなくて、横並びに立って一緒に頑張ってくれる人なんです。そんな大好きで信頼している社長が、テレビのなかで喋っている姿を見ると、どうしても現実味がなくなる瞬間がありますね。