ボカロシーンの先駆者を徹底解剖 第2回(後編):はるまきごはんが向き合う初音ミクの存在、そして見据える未来

はるまきごはんにとっての初音ミク「何かに替えることができない存在」

ーー一方、この10年でボカロシーンの空気は変わってきましたよね。さらに一般的な存在になって、ランキングの上位にボカロPや歌い手の曲が入ってくるようにもなりましたし、そこからシンガーソングライターやコンポーザーとして活躍する道も開けています。今の状況に関してはいかがですか?

はるまきごはん:すごく楽しいですね。同世代の人たちがいろんなフィールドに行って、いろんな音楽を作って広まっていったりして。周りの人たちが音楽を作り続けていること自体が嬉しいですし、その結果としてさまざまな場所を見ることができているのも面白いと思います。自分と同じボカロシーンに居続ける人も含めて、どこにいても音楽を続けてくれているのは嬉しいです。僕としては、自分が作り続けている以上、友達も何かを作っていてくれたら楽しいので。そういう意味では、みんながそれぞれのかたちで音楽を続けていけるようなフィールドになってよかったなという気持ちはありますね。

ーーボカロを出発点として、選択肢がいろいろと広がっているのがいいですよね。それぞれの道をみなさんが選んでいるイメージがあります。

はるまきごはん:そうですね。僕も、作る側が自分のやりたいことをやれるのがいちばんいいと思っているタイプなので。

ーー今でも、同世代のクリエイターから刺激を受けることはありますか。

はるまきごはん:みんながめちゃくちゃ本気で音楽を作っているのを見ると、自分も頑張ろうという気持ちになります。まわりの人たちが頑張っているからこそ刺激を受けられるという感覚はすごくあるし、自分の活動形態とは違う形で活躍した結果、辿り着いた場所を僕も見に行かせてもらったり、そういう面白さもありますよね。

ーーボカロコンピレーションアルバム『キメラ』を主宰したり、シーンを盛り上げていきたいという気持ちは強いですか?

はるまきごはん:僕は今もボカロを使っているし、ボカロのフィールドで聴いてくれている人たちが楽しいと思うことをやりたいんです。基本的に何かを企画する時も、根本には自分が見たいもの、作りたいものという気持ちがあるので。『キメラ』も、こういうコンピレーションアルバムが聴きたいという気持ちが始まりでした。それをきっかけに、自分がお世話になった界隈の人たちに楽しんでもらえたら嬉しいなって。

ーーだんだん「ボカロシーンを引っ張っていく」みたいな気持ちも芽生えたり?

はるまきごはん:いや、僕は引っ張っていく役回りではないと思うんですよ(笑)。それこそ、DECO*27さんとかは引っ張ってくださる感じがあるじゃないですか。自分はそういう方たちの恩恵に預かりながら、先人たちが用意してくれたフィールドで、自分を含めて面白いと思えることを作るのが好きです。ボカロシーンを引っ張るとしたら、僕はまわりを見てなさすぎなんですよね(笑)。

ーー自分のなかから出てくるものを形にしたいというのがモチベーションなんですね。

はるまきごはん:それはずっとそうだったし、この先も変わることはないです。自分が好きなものを追求していったとしても、周りの人みんながそれを好きになってくれれば、世界中の人が聴く音楽になるわけじゃないですか。それは極論かもしれませんけど(笑)、有名になるかそうじゃないかというものさしに関しては、自分の好きなものを追求したからと言って諦めなきゃいけない未来ではないと思っています。どちらかと言うと、そういうところにこそ面白さを感じていて。みんなが好きなものに合わせていくんじゃなくて、もともと興味がなかった人に「これ面白いよ」「めっちゃいいよね」とプレゼンして、そのよさをわかってもらう楽しさを目指していきたいですね。

ーー素敵ですね。これからも初音ミクに託して歌ってもらうことがメインになりますか?

はるまきごはん:そうですね。自分の歌はひとつの表現でしかないと思うので、作品はやっぱり初音ミクやほかのボーカロイドに任せていきたいと思っているし、少なくとも今僕が作っているものはその前提で作っています。

ーーあらためて、ボーカロイドの魅力をどういうふうに感じていますか?

はるまきごはん:めちゃめちゃたくさんあるんですけど――今回のインタビューの文脈で言うなら、やっぱり懐の深さだと思います。自分のようなタイプの物作りをしたい人も受け入れてくれるし、逆にミュージシャンとしていちばん有名になりたいという野望を持っているタイプの人も受け入れてくれる。誰とでも仲良くできちゃうヤツ、みたいな(笑)、懐の深さがありつつ、そこにはまったく嫌味がないんですよね。ボーカロイドが自分から何かを押しつけてきたりすることはない安心感。僕はひとりでいることが好きだという話をしましたけどーー初音ミクがボーカルの曲の「聴く側はひとりだけど孤独じゃない」みたいなところがいいなと思うんです。歌モノや歌詞がある曲を聴く時、基本的には歌っているアーティストと聴き手のふたりの空間になると思うんですけど、初音ミクの曲は考えようによってはひとりじゃないですか。

ーーたしかに。

はるまきごはん:もちろん、初音ミクと自分だったり、ボカロPと自分だったりもするんだけど。考えようによっては聴いている人だけがいるような状況ですよね。だけど、歌詞や思想というエモーショナルな部分はある。そこが合成音声にしかない独特な部分だと思っていて。僕はひとりでいるのがすごく好きだからこそ、初音ミクのそういうところが唯一無二なんです。初音ミクを使わないとそういう気持ちにはなれない。そういう存在がいるってすごくないですか? めっちゃいいヤツなんですよ(笑)。

ーー(笑)。いい意味で肉体性がないということですよね。みんなが初音ミクを創造することで存在するというか。

はるまきごはん:そうですね。初音ミクは概念でもあるし、遡ると宗教的な――存在としては、崇拝されている神みたいなところに繋がっていくと思っていて。何かに替えることができない存在なんですよね。自分の声では絶対できないし、誰かボーカルを立てて歌ってもらってもできないのかなと思います。

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