森山直太朗、人間としての“初心”へ立ち帰る 100本越え20周年ツアーで迎えた変革の季節

永積タカシは僕にとって恩人みたいな人

ーー僕もまったく同じことを思いました。いい意味で「あれ?」って。それこそ女性性や少女感を、飾ることなく本音で表現するタイプの作家だとずっと思っていたので。

森山:やっぱりそうですよね。どっちかというと、エネルギッシュなイメージだったから、「え?何、何?」みたいな、「ちょっとキュンとするじゃん」みたいな感じになって。だから、その女性性や少女感みたいなものを、也哉子さんにリンクしてもらえれば、僕はいくらでもメロディが書けるだろうな、歌えるだろうなと。そしたら、この言葉たちが返って来て、「最高じゃん!」と。実はどこかで、「どうやってこれを曲にしよう」というドキドキもあったんですけど、その言葉たちをみた時に「これは大丈夫だ」というか、言葉が音符に見える瞬間があったんですよね。 たとえば〈春は桜よ〉〈夏は睡蓮さ〉の“さ”とか、〈冬の日は梅かな〉の“かな”とか。

ーー俳句で言えば字余りかもしれないですけど。むしろ、それがメロディを呼び起こす。

森山:詞先のものだと、「Aメロはこれで、Bメロはこうで、サビはこういう感じで大きく」みたいな、自分の型にはめて作ろうという、僕はそういうタイプなので。でもそれだと、万全なものはできるけど、モヨコさんの『オチビサン』という作品自体がそもそも、形式とか、制度とか、しきたりとか、ルールから解き放たれた場所に行こうとしている作品なので。のちにスタッフの方に聞いたら、彼女がとても疲れていた時期に、自分のためにずっと描き続けていた漫画だったらしいんですよ。あのエネルギッシュな世界の裏側には、ある一定の影があって、その向こう側にはこういう静寂があったんだという、そういった作品だったので。

ーー今、その話を聞いて、すごく納得しました。

森山:だから僕自身も、「こういうものを作ろう」というイメージは一度捨てて、どんどん人に預けていって、永積タカシ(ハナレグミ)、アイちゃん(OLAibi)とか、ただ気の合う友達と会う口実として曲を作っていく、そういう感じでした。だからたぶん、みんな自由。言葉は自由、メロディも自由、演奏も自由。ただピアノのリフだけがみんなにとってのルールで、「この中でどうぞお好きにやってください」と。

ーーアニメの中で、オチビサンと仲間たちが遊んでいる絵と、重なる気がします。遊び場ですね。

森山:そうでしたね。本当におっしゃる通り。

ーーちなみにですけど、僕、直太朗さんと也哉子さんが司会をされている、母の日にちなんで開催される『母に感謝のコンサート』を、毎年見ているんですけども、あそこで也哉子さん、詩を朗読されるじゃないですか。「私たちはみんな母親の子供です」という、あれが本当に素晴らしくて。

森山:すごいですよね。僕、あの朗読を聞いて、今回の詞を頼んだし、あの朗読の彼女の発音を聞いて、音楽として参加してほしいと思ったんですね。本当に素晴らしかったです。一つ前の取材でも、二人で話していて、大きくは同世代なんですけども、性を超えた大きな母性みたいな、本当に大きい人ですよね。でも、あのコンサートを毎年見てくださっているのは貴重ですね。

ーーたまたま、なんですけどね。レポートのお仕事をいただいていたので。

森山:今年も一応、もくろんではいるので。ぜひ来てください。

ーーはい。それはさておき、ギターとコーラスの永積タカシさんですけど、永積さんとは古いですよね。

森山:タカシくんは、デビューぐらいから知っていて、共通の知人はいっぱいいたんだけど、急接近しだしたのはこの5年ぐらいかな。今回の『素晴らしい世界』というツアーの中で、弾き語りを何本かやらせてもらったんですけど、遡ること4年ぐらい前、ライブを観てくれたあとに「直太朗は、もっと小さい場所で歌った方がいいかもね」って。バンドを従えて、照明バンバン焚いて、舞台美術をしっかり作って、ということもあなたはできちゃうけど、「でも自分たちの表現の大きさって、もっと小さいところにあるよね」という話をしてくれて。

 一方で僕は、自分の弾き語りをあまり信用していなかったというか、どうしても一枚羽織ってしまう、みたいなマインドだったんだけど、脱いでいく楽しさみたいなものに気づかされて、多少ギターがへたっぴでも、アラがあっても、それも含めてそこにいられる心地良さと、それを許容してくれる空間と人との関係性があれば、それでいいんじゃないか? と。要するに、自分のストロングポイントを「いいね」と言ってくれる人も大切な存在だけど、自分のウィークポイントとかダークサイドに対して、「そのままでいいよ」と言ってくれる人の存在も大事じゃないですか。逆に、そういう人のほうが心を開けたりもするし。だから、さっきの、最初の質問の時にポッと浮かんでいたんだけど、もともとライブ空間というものは、もっと苦しい場所だったんですね。僕にとっては。

ーーああ。そうでしたか。

森山:ダメ出しされたり、評価されたり、戦いの場所みたいな感じだったので。でもその前に、自分にとって一番純度の高い空気で、そこにいることが一番心地いいという感覚になれたのが、『素晴らしい世界』のツアーだったし、その一つのきっかけを作ってくれたのが永積タカシだったから、僕にとっては恩人みたいな人なんです。世代もちょっと上だし。だから、なんか、かまやつひろしさんを思い出すんですよね。いつも一緒にベタベタはしないけど、大事な時に大事なことを言ってくれる人なんですよ。しかも、也哉子ちゃんと、OLAibiと、ズミくん(永積)は、年末に3人でライブをやったりとか、横の繋がりがあったから、「ちょっと胸を借りようかな」みたいな思いもありました。

ーーコーラスと、ギターは全部永積さん?

森山:僕がアコースティックで、彼がエレクトリックです。当日まで何をやるか全然決めてなくて、本当にみんなで遊んでいるみたいな感じでした。アイちゃんのパーカッションも、あれ、実は打ち込みなんですよ。おもちゃみたいな楽器を持って来て、パッドを叩いている、それが面白いんですよね。本当に、中学生の頃に友達の家で遊んでいるみたいな、そういう時間でした。

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