【EXPG STUDIO対談 Vol.02】NOB×GENERATIONS 中務裕太、育成における“自由度と対話”の大切さ

「伸び伸び育てつつ、ちゃんと理解できるまで話すようにしていた」(NOB)

――その頃の生徒の中には、他にどんな方がいたんですか?

NOB:(三代目JSBの山下)健二郎はもういなくて、ギリギリ(THE RAMPAGEの岩谷)翔吾がいましたね。僕が就任してすぐに、上京が決まって東京校に移っちゃったんですけど。

中務:THE RAMPAGEだったら、陣、(川村)壱馬。あと(後藤)拓磨もいましたよね?

NOB:(武知)海青もそうだ! 海青は裕太と在籍時期被ってたっけ?

中務:ギリ被ってないですね。あと、PSYCHIC FEVERの剣と(中西)椋雅。KIDSクラスには、BALLISTIK BOYZの(奥田)力也と(砂田)将宏もいました。

NOB:彼らは小3とか小4くらいだったから、すっごい小さかった(笑)。

中務:こうやって挙げてみると、大阪校はアーティストになった生徒が多いですよね。特にNOBさんが来てから急激に増えたなっていう印象があるので、NOBさんが大阪校に新しい風を吹き込んでくれたんだと思います。

NOB:そう?(照)

中務:だって、NOBさんが大阪に来るまで、みんなめっちゃ暗かったですもん。

NOB:確かに、初めはイントラの目を見ない子ばっかりだったなぁ……。あの子たちが悪いんじゃなくて、環境が良くなかったから、信用されてないんだなって思いました。だから「とにかく校内の雰囲気を良くしないと!」っていう使命感を持って、生徒に接するようにしていて。逐一厳しく指導するというよりは、最低限のルールを教えて守らせるようにしてましたね。

中務:それがよかったんでしょうね。生徒が羽根を伸ばせるようになったんだと思います。

NOB:自由奔放に育てすぎたみたいで、ツアーに行った時にも切り替えできない子がいたりして、「大阪の子、うるさくない?」って怒られることもありましたけど(笑)。個人的には、元気で明るい雰囲気が大阪校の売りになればいいなと思っていましたし、今ではそれが定着しているんじゃないかなって思います。あと、裕太みたいな子には伸び伸び育てるのが合っていましたけど、中には厳しく教えないと理解できない子もいるので、そういう子に対しては、ちゃんと理解できるまで話すようにしていました。

――大阪校に新しい風を吹き込むために、インストラクターや生徒を積極的にスカウトすることもあったんでしょうか。

NOB:自らクラブに足を運んで、若いイントラをスカウトしたりしましたね。僕の信条として、大阪校ではリズムダンスを上達させたいという想いがあって、そういうダンスを得意とする先生を増やしたかったんです。それで入ったのが、CONEYとかTATSUMIです。すでに外部で活躍している元生徒に声をかけて、イントラをやってもらうこともありました。

――裕太さんはインストラクターをするにあたり、どんなことを心がけていましたか?

中務:当時の大阪校では、僕やNOBさん以外に最先端のダンスを教えられるイントラがいなかったので、極力新しいスタイルのダンスを教えるようにしてましたね。例えば、ジャークとかドギーとか。

――ジャークといえば三代目JSB「STARS」のサビのダンス(※1)、ドギーはRIEHATAさんが得意としているダンスですよね。

中務:RIEさんが世界的に有名になる前から、僕は教えてましたけどね(笑)。そのくらい最先端のものにアンテナを伸ばすようにしていて、僕が踊る姿を見て、KIDS時代の力也が真似したりしてました。

――ちなみに、裕太さんは結構人見知りだと思うんですけど、初めて教える生徒に対してはどうなるんですか?

中務:それが、レッスン中は人見知りじゃなくなるんですよね。踊る時だけは、僕の別人格・裕太Bが出てくるんで、意外と大丈夫なんです。ただ、レッスンが終わった途端に人見知りが発動しちゃうから。生徒が「今日レッスンした曲教えてください」とか話しかけてくれるんですけど、その時はめっちゃ恥ずかしかったです(笑)。

――その別人格の存在が、裕太さんがホラー映画『ミンナのウタ』での演技を絶賛されている一因かもしれませんね(笑)。

中務:あはははは!

「女の子が目指す新たな場所を僕が作ろう」(中務)

――また近年は、裕太さん以外にも、俳優として活躍するLDHアーティストが続々登場していて。それと共にEXPGも、さまざまな表現者を育てる総合エンタテインメントスクールへと形を変えました。NOBさんはその変化をどのように見守ってきましたか?

NOB:僕がEXPGに入社する前から、ダンスと歌は基本のカリキュラムとしてあったんですけど、LDH本体が劇団EXILEを作ったりする中で、最初は東京校限定で演技クラスができたんですよ。でも、総合エンタテインメントスクールを名乗るからには、大阪校も演技クラスに力を入れていこうと。今も全校に演技クラスを設けているわけではなく、東京・名古屋・京都・大阪という一部の校舎のみでやっているんですが、いずれは規模を広げていきたいなと思っています。

――これからは、歌・ダンスと演技、全て当たり前にできる次世代アーティストがどんどん現れるんでしょうね。

中務:そうですね。とりあえず、活躍しつつある子は上から叩き潰していかないと……(真剣な表情)。

一同:あはははは!

中務:っていうのは冗談で(笑)。後輩が活躍する姿は、見ていて素直に嬉しいです。それこそTHE RAMPAGEの陣は、ずっと僕の後ろにくっついて「裕太さん、裕太さん~!」って懐いてくれてたので、陣のアーティストデビューが決まった時は自分のことのように嬉しかったですし。壱馬も冴えなかった時期を知ってるだけに「こんなにカッコよくなっちゃって~!」みたいな感覚で見てますね(笑)。他にも大阪校出身の後輩はたくさんいるので、先輩として誇らしいです。

――そして現在、裕太さんはEXPGのスーパーバイザーも務めていらっしゃいます。就任されたのは?

NOB:2019年ですね。裕太自らHIROさんに志願して、ウチに入ってきてくれました。ただ、今やっている『ナカツ会』とか『Girls Dance Project』といった企画も、その頃から考えていたんですけど、就任してすぐにコロナ禍に入ってしまったので、全ての企画が延期になってしまったんです。それでも何かやりたいと、GENERATIONSの楽曲「EXPerience Greatness」を全校のEXPG生が踊り、動画でコラボするという企画をやってくれて。そのおかげで、コロナ禍であっても生徒が大幅に減ることなく今に至るので、裕太がスーパーバイザーを務めてくれてよかったなと感じています。と言っても現役プレイヤーなので、僕としては、あくまでも裕太ができる範囲で、アーティスト目線でEXPG生に伝えてくれたり、裕太がやりたいことをEXPGで実現してくれたらいいなと思っているんですが、最近は特に相当アグレッシブに動いてくれていますね(笑)。

――今年7月には、佐藤晴美さんと共にディレクターを務める『Girls Dance Project』も動き始め、9月には裕太さんが担当する「Street部門」の新グループ“I AM ME.”が始動しました。そこにはどんな想いがありますか?

中務:LDHって、根性のある男の子に関しては、夢を掴むチャンスが多く用意されていると思うんですよ。僕もGENERATIONSとしてデビューする前は、GENERATIONSのサポートメンバーとして下積みをしていましたし、やる気があれば、一度チャンスを逃しても再び夢を掴む機会が巡ってくるというのを、身を以て感じました。でも女の子に関しては、みんなが目指すための明確な場所がなくなっちゃったなと思っていたんですよね。それで才能のある女の子たちが続々とEXPGを辞めていって、中には別の形で夢を叶える子もいたので、EXPG卒業生としては、今の状況をなんとかして食い止めたいなと思ったんです。だったら、女の子が目指す新たな場所を僕が作ろうと。今は“I AM ME.”というグループのディレクターを務めているんですが、今後も女の子の活躍の場を作っていけたらいいなと思っています。

――次世代の彼女たちに対して、裕太さんはどのように指導しているんですか?

中務:NOBさんが僕にしてくれたのと同じで、各々がやりたいことを自由にやらせてあげて、何かターニングポイントがあれば、僕からもひと言かけるようにしています。髪型とかビジュアル面も、みんなの好きなようにしてますね。ただ、アーティストとしての心構えとか、プロならではのパフォーマンスの仕方というのは、僕も10年以上メジャーシーンでやってきているので、僕なりの表現で伝えています。

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