アデルとビヨンセの一騎打ち、要注目なダークホースも? 変化の渦中にある『第65回グラミー賞』を池城美菜子が徹底予想

変わるグラミー賞

 今年で65回目を迎える世界最高峰の音楽の祭典、グラミー賞が変わろうとしている。ことの始まりは、2018年には理事長だったニール・ポートナウが「女性アーティストはもっとパフォーマンスを向上させるように」と発言して炎上したこと。続いて、辞任した彼の代わりに、女性として初の理事長に任命されたデボラ・デューガンが、2020年の授賞式の10日前に解任される事件が発生。彼女は内部のスキャンダルとともに、1万2000人の投票権を持つ選考委員が白人男性に偏っているうえ、委員のなかにはビジネスのつながりがあるアーティストをひいきする人もいる、と告発したのだ。

 2021年は、2020年最大のヒットのひとつ、ザ・ウィークエンド『After Hours』とシングル「Blinding Lights」が主要部門から無視された。必ずしもヒットチャートと連動しないのがグラミー賞のおもしろさではあるが、さすがにノミネートもされないのはおかしい、と本人を含めて多くから声が上がった。彼が同時期に開催された『スーパーボウル』のハーフタイムショーの出演を受けて、グラミー賞でのパフォーマンスを断ったから、という噂もまことしやかに囁かれた。

The Weeknd - Blinding Lights (Official Video)

 事態を重く見たグラミーの委員会は、投票の透明性を高めると公言、女性や有色人種の選考委員の割合を昨年から今年にかけて増やしている。私は、白人男性の優れた音楽評論家や編集者を知っているので、短絡的に悪者を決めるのは危険だと考える。だが、たとえば2010年代を通じて、ラップ部門の選考がチャートからもヒップホップメディアにおける評価からもズレ続けているのは事実だ。これは、肌の色よりも年齢層が偏っているからでは、とも思っている。2022年の11月に、自浄作用の結果が反映されているといいな、と願いながらノミネーションの結果発表を開いた。

2023年の傾向と対策

 受賞対象は、2021年10月1日から2022年9月末日までにリリースされた作品。パンデミックとの共存へ切り替わり、少しずつコンサートが再開された時期と重なる。勢い、アデル『30』、ケンドリック・ラマー『Mr. Morale & the Big Steppers』、ハリー・スタイルズ『Harry’s House』、そしてビヨンセ『RENAISSANCE』など、大物アーティストのリリースが相次ぎ、どれも複数のノミネーションを受けている。ノミネーションをめぐり、いくつかニュースがあった。まず、最優秀アルバム部門の有力候補になり得たSilk Sonicが辞退したのだ。シングル「Leave the Door Open」で昨年の最優秀レコード、最優秀楽曲部門を制した彼らのアルバム『An Evening With Silk Sonic』は、リリースが2021年の11月と期間内。楽器の音色を重視した、古き良き時代の音楽をモダンに仕立て直したサウンドはグラミー選考委員会の大好物だ。だが、2021年にユニット結成2週間半後の時点でパフォーマンスを披露し、祭典自体には参加していたため、収録曲が9曲(イントロ含め10曲)と少なめの1枚のアルバムで3年連続して目立つのはよくない、と判断したのだろう。

 グラミー賞の選考過程に懐疑的なザ・ウィークエンド、ドレイクといった超人気者はボイコットしている。勝ちすぎ、目立ちすぎてバックラッシュに遭うのも避けたいし、ストリーミングで記録的な再生回数を稼いでいるにもかかわらず、賞から洩れて恥をかかされるのも回避したい。理由はそれぞれだが、世界中が目立つニュースに一斉に飛びつくSNS時代、グラミー賞は世論の流れを見ながら戦略的に対応するべきイベントである、ということの証左だろう。

 昨年から主要4部門のノミネートを10枠に増やしたのは、英断だと思う。多すぎる、との反対意見もあるが、とくに最優秀新人賞はノミネートされること自体がひとつの勲章であり、その後のキャリアに弾みがつく。10枠に増えたことで、主要部門でもっとも多様性を体現しているのが最優秀新人賞だ。今年は、アメリカ勢はヒップホップのラトー、R&Bのマニー・ロング、メキシコ系で英語とスペイン語の両方で歌うオマー・アポロ、ジャズとヒップホップを融合させ、プロデューサーとしても活躍するDOMi and JD Beck、ジャズのサマラ・ジョイ、ナイジェリアのイボ族の血を引く、ラッパー兼俳優のトベ・ンウィーグウェ、ブルーグラスのモリー・タトル、イギリスのWet Leg、イタリアのMåneskinがノミネートされている。

 キャリアが長い「新人」もいるのが悩ましいところで、たとえばエントリーできれば最有力候補だったスティーヴ・レイシーは、彼がThe Internetのメンバーとしてすでにノミネートされているので、新人扱いにならない。もっとも予想が難しい部門だが、2022年の海外主要メディアの年間ベストアルバムで高評価を得たWet Legか、昨年、プレゼンターとしてだけ招いたのは失礼ではと物議をかもした、日本でも大人気のロックバンド Måneskinが受賞したらおもしろい。今世紀に入ってから、女性のソロアーティストが受賞しやすい傾向があるので、アメリカの音楽サイトではラトーを推す声が大きい。

Måneskin - GOSSIP ft. Tom Morello
Latto - Big Energy (Official Video)

主要3部門はアデルVSビヨンセ?

 最優秀レコード部門に目を向けよう。40年ぶりの再結成を果たしたABBA「Don’t Shut Me Down」とグラミー賞常連のブランディ・カーライルらもいるが、実質的にアデル「Easy On Me」とビヨンセ「Break My Soul」、リゾ「About Damn Time」、そしてハリー・スタイルズ「As It Was」の4曲で争われるだろう。今までのグラミーであれば、まず「Easy On Me」が安全牌。だが、パンデミックから脱却するタイミングで世の中を躍らせ、鼓舞しようとした社会的な意義を考えるとビヨンセとリゾが強い。ビヨンセとリゾで票が割れてしまうため、アデルが強いだろうという予測を、アメリカの音楽メディアで見かけた。私は、非常に高い水準で誰からも受け入れられる曲を作ったハリー・スタイルズ「As It Was」がダークホースだと思っている。

Harry Styles - As It Was (Official Video)

 最優秀楽曲部門は、最優秀レコード部門とどう違うのかわかりづらいカテゴリーかもしれない。作詞を含めたソングライティングとメロディに焦点を合わせるのが「楽曲」カテゴリーで、トラックの制作や録音技術を含めた総合的に評価するのが「レコード」と説明できるが、今年も10曲のうち6曲が被っている。TikTok人気の高いゲイル「abcdefu」が入っているのは、若者へのアピールか。やはり、アデル「Easy On Me」が強いが、テイラー・スウィフト「All Too Well (10 Minute Version)(Taylor’s Version)」という強敵がいる。筆者はメロディのキャッチーさと、1曲の間でめくるめく恋愛の展開を見せる、スティーヴ・レイシー「Bad Habit」をダークホースで推しておく。

All Too Well (10 Minute Version) (Taylor's Version) (From The Vault) (Lyric Video)
Steve Lacy - Bad Habit (Official Video)

 アデルは『19』でデビューしたときから、グラミーの選考委員会に高く評価されてきた。ソウルとジャズを敷いたバラードを、まっすぐ歌い上げる正統派だ。ジャンルの境界線が毎年書き換えられるなかで、『25』でアメリカのルーツミュージックを取り入れたり、4作目『30』ではルドウィグ・ゴランソンやインフローなど尖った才能を招いたりと進化してはいる。だが、個人的な経験、感情を詩的に表現する王道ポップからは外れない。『25』と『30』では1stアルバムと2ndアルバムほどのインパクトはないとの評はわからなくもないが、そもそも「安心できる」点が彼女の魅力なのだ。離婚の痛みを歌った「Easy On Me」の張り裂けるようなボーカルに文句をつけるのは、とても難しい。

Adele - Easy On Me (Official Video)

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