ホイットニー・ヒューストン、人種やジャンルの壁を打ち破った圧倒的な歌声 ゴシップに苛まれつつも数多く残した偉大な功績

 「ザ・ヴォイス」。20世紀最高の歌声とも言われる、ホイットニー・エリザベス・ヒューストンのニックネームだ。1963年8月9日、ニュージャージー州ニューアーク生まれ、2012年2月11日死没。マイケル・ジャクソン(1958-2009)、プリンス(1958-2016)と並ぶ、80年代のMTV全盛時代に人種の壁を突き破った黒人アーティストである。マイケル・ジャクソンとプリンスに比べると、日本での知名度が世代によってバラつきがあるのは、スターダムに駆け上がってから君臨した期間が短いからだろう。それでも、映画のサウンドトラックとして史上最高の売り上げを記録した『ボディガード』の主題歌「I Will Always Love You」のコーラス、「エンダァァァアァァァ」の歌唱は誰もが耳にしたことがあるはず。

Whitney Houston - I Will Always Love You (Official 4K Video)

 10周忌にあたる2022年の暮れ、彼女の功績を讃えるいくつかのプロジェクトが用意された。まず、12月21日には『ホイットニー・ヒューストン「ジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ-」』がリリース。日本で発売されたシングルを集めた人気シリーズのホイットニー版だ。12月23日にはナオミ・アッキーがホイットニーを演じた、伝記映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』が公開された。これに先駆け、35曲を紡いだサウンドトラックもデジタルリリースされた。そんな中で本稿は一連のプロジェクトを理解するための、いわば「ホイットニー・ヒューストン入門」だ。

映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』予告1 12月23日(金)全国の映画館にて公開

 彼女はR&Bファンの間でよく知られていたシンガー、シシー・ヒューストンの娘であり、バート・バカラックとの名曲で知られるディオンヌ・ワーウィックを従姉にもつサラブレッドだ。高校時代に黒人モデルとして初めて雑誌『Seventeen』の表紙を飾った抜群のスタイルと美貌で、天から贔屓されたように見える。だが、その歌唱力は、母・シシーのスパルタな訓練と、教会の聖歌隊で幼い頃から鍛え上げて身につけたものだ。ゴスペル出身のシシーはコーラスグループ The Sweet Inspirationsの一員として、アレサ・フランクリンやエルヴィス・プレスリーのバックコーラスを担当した実力の持ち主。プレスリーは彼女たちの歌声を気に入り、ラスベガスのレジデンシー公演のコーラスにも起用した。ホイットニーは、軍隊を退いたあと職を転々としていた父ジョンと兄マイケルと、家で母の帰りを待つ子ども時代を過ごす。彼女にはNBAのデンバー・ナゲッツで1シーズンだけ活躍した異父兄のゲイリーもいる。

 生来、お転婆だった“ニッピー(ホイットニーの愛称)”を世界的な歌姫に仕上げたのは、<Arista Records>の社長、クライヴ・デイヴィスである。弁護士の資格と、黄金の耳の両方を持っていたクライヴは、ナイトクラブでシシーのコーラスを務めていたホイットニーと1983年に契約。2年の月日をかけ、入念に準備してホイットニーを売り出した。1985年のバレンタインデーに発売されたセルフタイトルのデビュー作(邦題『そよ風の贈り物』)はじわじわとチャートを上り、「Saving All My Love for You」(マリリン・マックー&ビリー・デイヴィス・ジュニアのカバー曲)、「How Will I Know」、「The Greatest Love of All」(ジョージ・ベンソンのカバー曲)の3曲がチャートのトップを飾った。ホイットニーの成功は予測されていたが、デビュー作で1枚のアルバムから3曲続けてNo.1ヒットを生んだ初めての女性アーティストとなり、あっという間にその声が世界に届いたのは予想以上だった。

Whitney Houston - Saving All My Love For You (Official HD Video)
Whitney Houston - How Will I Know (Official Video)

 2年後の2ndアルバム『Whitney』には1枚目と同じプロデューサー陣、ナラダ・マイケル・ウォルデン、マイケル・マッサー、カシーフらが参加。伸びやかな歌声とポップ寄りのプロダクションという、同じフォーミュラでヒットを連発していく。アップテンポの「I Wanna Dance with Somebody (Who Loves Me)」、「Didn’t We Almost Have It All」、「So Emotional」、「Where Do Broken Hearts Go」と、アップテンポのダンスナンバーとバラードを交互にシングルカットし、7曲続けて初登場1位の記録を打ち立て、The BeatlesとBee Geesの記録を破った。

Whitney Houston - I Wanna Dance With Somebody (Official 4K Video)
Whitney Houston - Where Do Broken Hearts Go (Official Video)

 1988年のソウルオリンピックのアメリカでのテーマ曲「One Moment in Time」を歌うなど国民的シンガーとして認知されていた一方で、「ポップすぎて黒人らしくない」といった反発もあり、1989年の『ソウル・トレイン・ミュージック・アワード』でブーイングを受ける。最初の2枚を今聴くと、ホイットニーの歌唱はゴスペルベースであるため、R&Bとポップの要素の両方を聴き取れるだろう。当時、「黒人らしくない」と揶揄された彼女のサウンドは、30年以上の月日を経てR&Bの定義が広がった現在、充分にブラックミュージックを核に持っているように響くのだ。つまり、記録的な売れ方をしたホイットニー・ヒューストンこそがジャンルの幅を広げた1人であり、そこが歴史のおもしろい点だと思う。

Whitney Houston - One Moment In Time (Official HD Video)

 1990年の3rdアルバム『I’m Your Baby Tonight』では、アトランタの新進気鋭だったプロデューサーデュオ、ベイビーフェイスとL.A.リードを起用して、もっとR&Bに寄り、スティーヴィー・ワンダー、ルーサー・ヴァンドロスとも共演。湾岸戦争が勃発した1991年、『第25回スーパーボウル』では、史上最高と語り継がれる国歌斉唱を披露。時代の気運にはまって大反響を起こし、2週間後にシングルカットされ、売上を戦争に赴いた兵士とその家族への基金に寄付した。90年代は映画でも活躍した。前述した、ケビン・コスナーの相手役を演じた『ボディガード』(1992年)がサウンドトラックとともに記録的なヒットとなる。30年が経った現在でももっとも売れたサントラであり、恐らくこの記録は破られないだろう。1996年には、ホイットニーのゴスペルが聴けるデンゼル・ワシントンとの映画『天使の贈りもの』もあった。

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