あっこゴリラが明かす、音楽活動と心の相関関係 揺れるアイデンティティの間で得るもの
ギャグラッパー、フェミニスト……ラベリングへの悩み
ーーあっこさんはそうやって、考えるより先に身体が動いてしまうわけですよね。それはやはり外から見た時のイメージにも関係していて、どうしてもその瞬発性と大胆さが目立ったりする。これまで、意に反したラベリングもされてきたかと思います。
あっこゴリラ:最初、ギャグラッパーから始まってますから。ゴリラキャラからフェミニストキャラに転向って言われてたし。そういったレッテル“だけ”で聴かれたりすることには悩んできているけど、その都度全開にぜんぶ書いて表現してる。そもそも業界でのポジション取りとかがめっちゃ苦手。自分の特定の一側面だけが大きく切り取られちゃっていて。
ーー音楽をきちんと聴けば、もっと様々なあっこさんの側面があることはすぐに分かるはずなんですけどね。
あっこゴリラ:フェミニズムについても、日本のヒップホップ業界にいる人間からしてみたら当たり前なことしか言ってないと思うけど、世の中はそうは見てくれないですよね。あぁそういう聴かれ方するのかぁって。一方でフェミニズムは学問でもあるので、アカデミックな方面から見る人もいるし。
ーーワードの強さもあるんじゃないでしょうか。あっこさんの選ぶ言葉は、メタファーも含め、やっぱり強さがあるので目立ちますよね。
あっこゴリラ:この前、バンドのメンバーに「『GRRRLISM』の頃の方が歌ってることが分かりやすかったしポップだったけど、ああいう曲はもう書かないの?」って言われて。めっちゃショック! と思ったんですよ。「新曲は何言ってるのかよく分かんない」って(笑)。でももうそこで描けたし、発信してみて気づいたことがたくさんある。そこで感じたズレや取りこぼしたもの、人間の不確かさに最近は興味があるんですよ。だから、言ってることはそんなに変わってないかもしれないけど、伝える表現というのは微妙に変わってきましたね。
ーー活動が長くなってくると、リスナーも色々な方が入ってきてますからね。
あっこゴリラ:自分はリスナーのことをコントロールしようとしないので。全裸でぶつかるしかしない。
ビートには下水道みたいな濁った要素が必要
ーービートやメロディについても変化が見られますね。あっこさんのルーツの一つとしてJ-POPがあると思うんですが、そのフィールが少しずつ減退してきている印象があります。J-POPのニュアンスを取り入れる女性ラッパーは昔から多いですが、そういう意味で、最近のあっこさんの脱・J-POPなムードはジェンダーレス化とも言える。
あっこゴリラ:さっきのバンドメンバーの指摘はそれもあったのかも! 確かに、私はJ-POPで育ってきた部分も大きいんですよ。「ヒップホップだったらこういうフックがカッコいいよね」というところで、ちょっとJ-POP的なサビを入れたり。でも、J-POPで好きなのは音色(おんしょく)やコード進行に関してではなくてメロディなんです。
ーーちなみに、好きなJ-POPのメロディってどのあたりだったんですか?
あっこゴリラ:歌姫は大好きでしたね。あと小室ファミリー、椎名林檎さん、大塚愛さん、aikoさん……王道のJ-POPが大好きでした。
ーーあっこさんの特異な身体性を最も感じるのは、そのビートですよね。アマピアノのパイオニアaudiot909さんとコラボした「RAT-TAT-TAT」をはじめ、多種多様なビートをさばいていくその身体感覚は唯一無二です。最新作の『マグマⅠ』は、どのようにビートを決めていったんでしょうか。
あっこゴリラ:ソングライティングキャンプで出会ったNobuaki Tanakaっていうミュージシャンのビートが好きで。今回は、彼とスタジオでセッションして作ったんですよ。これまでも色々な作り方をしてきましたけど、スタジオに一緒に入ってセッションしながら作っていくやり方が自分は一番合ってますね。私のビートについて、以前“猥雑”って書いてくださってたじゃないですか。まさにそんな感じで、私はビートに対しては下水道みたいな濁った要素が必要なんです。綺麗すぎる音は合わない。それは、色々チャレンジして分かってきました。
ーー『マグマⅠ』は、ラップが乗ってるからヒップホップに分類されるんでしょうけど、実際は非常にジャンルレスですよね。ところどころ70年代のユーロプログレロックっぽい印象すら受けたんですが(笑)。
あっこゴリラ:ヒップホップって、ワンループの音楽じゃないですか。私、実はワンループってそこまで自分にフィットしてなくて。もちろんワンループの美学も分かりますけど、こういったカオスな感じの方が今の自分にはしっくりくる。
ーーミックステープ『NINGEN GOKAKU』(2021年)は、動物的でスポーティなヒップホップという意味で、あっこさんのディスコグラフィにおいて一つの到達点に達した気がしました。その地点を超えて、『マグマⅠ』はまた別世界にいった気がします。
あっこゴリラ:『NINGEN GOKAKU』は、コロナ禍でライブがなさすぎて本当にしんどかったんですよね。けっこうメンタル的に危なくて、カウンセリングにも行ったりした。溜まってる色んなものを排出しないと死んじゃうと思って、それらをとにかく出しきったのがあのミックステープです。だから、出すだけは出したけど、山を登って作ったしんどさみたいなのはあまりなかったんです。その点、『マグマⅠ』は山を登って作りましたね。