連載『シティポップ(再)入門』:山下達郎『FOR YOU』
シティポップ(再)入門:山下達郎『FOR YOU』 揺るぎない最高傑作、シティポップのアイコンとして位置づけられる所以
ただ興味深いのが、『FOR YOU』はアルバムこそヒットしたが、シングルカットされた楽曲がひとつもないことだ。先行シングルがあってアルバムを発売し、場合によってはアルバムからさらにシングルカットするのが当時の定番の流れ。しかし、『FOR YOU』に関してはその手法は取らず、あくまでもアルバムのみで勝負しているのである。この背景には、下手にシングルを切って売れなければアルバムの出荷に響くという営業的なリスクの回避や、そもそもアルバムアーティストとして売りたいという制作者サイドの思惑もあったようだが、様々な要因でシングル曲を収めていないことが、かえって『FOR YOU』を楽曲単位ではなくアルバムというフォーマットでの評価を高める一助となったといえる。
アルバムの完成度は言わずもがなであるが、『FOR YOU』がシティポップのアイコンとされるのにはそれ以外の要素もいくつかある。そのひとつがアートワークを手掛けた鈴木英人の存在だ。彼が描く独特のイラストは、『FOR YOU』で起用した時点ではまだそれほど浸透していなかったが、その後、音楽好きなら誰もが読んでいたといわれる雑誌『FM STATION』の表紙でも知られるようになり、80年代を代表するイラストレーターとなった。こういったイラストを使いたいというアイデアは、山下達郎本人からのものであり、サウンドと西海岸風の鮮やかなアートワークがうまく合致したのもヒットの大きな要因だろう。
鈴木英人のイラスト効果もあり、『FOR YOU』は一種のファッションアイテムとしても評価されたことも大きいだろう。サーフィンやドライブといった若者文化がもてはやされたタイミングとも絶妙に重なり、カーステレオで『FOR YOU』を聴きながら海に行くという図式ができあがったのである。もちろんこれには、単なる音楽的な成熟だけでなく、リゾートサウンドとしても対応できるポップな感覚に溢れた作品だったことも非常に大きい。実際、さらに規模が大きくなったコンサート会場には、サーファーのカップルなどおしゃれなファンが急増したという。
そうしたヒットの渦中で、山下達郎自身はさらに新しい道を歩み始めていく。レコード会社を移籍し、翌1983年に発表したアルバム『MELODIES』では、リゾートのイメージから脱却。さらには1986年の『POCKET MUSIC』からは徐々にバンドに頼りきらず、プログラミングへと移行していく。こういった傾向は、アーティストの成長という意味においては当然のことではあるだろうが、それまでに築き上げた躍動感のあるリゾートポップというイメージ、いわゆるシティポップの王道からは少しずつ逸れていったのである。
そういった観点から考えても、豪快かつ爽快なバンドサウンドを完成させ、究極のリゾートポップに仕立て上げた『FOR YOU』こそ、山下達郎流シティポップの頂点だといえる。そして、彼の頂点であるということは、シティポップというカテゴリの中でも最高峰であるのは明白だ。まさに『FOR YOU』は、日本のシティポップにおける、揺るぎない最高傑作なのである。