香取慎吾、アートを通じて発信する東京パラリンピックの楽しみ方 NURIEdeARTやカツケン…独自の応援スタイル

 香取慎吾が、8月27日に東京・国立競技場で開催された東京パラリンピック、陸上のメダル授与式にプレゼンターとして登場した。男子400メートル(車椅子T52)で金メダルを獲得した佐藤友祈選手にメダルが乗ったトレーを差し出し「おめでとうございます」と祝福した香取。佐藤選手は、かつてインタビューで「子どもの頃はSMAPのメンバーに入りたいという夢を持ったこともある」と語っていたこともあり(※1)、憧れの香取からメダルを受け取ることができたことで、喜びがさらに増したようだった。

 香取は稲垣吾郎、草なぎ剛と共に、国際パラリンピック委員会(IPC)特別親善大使を務め、数年前よりパラスポーツの魅力を広める活動を続けてきた。筆者も、香取らがパラスポーツ選手たちと交流する姿を通じて競技の魅力を改めて知った1人。なかでも驚かされたのが、ボッチャという競技だ。

 ボッチャのルールは、白いジャックボールに6個のボールを交互に投げ、自分の色のボールを相手の色のボールよりも近づけたほうが勝ちというシンプルなもの(※2)。だが、それ以外は選手の状況に応じてかなり自由度が高いのだ。ボールは転がしても、蹴ってもOK。ボールを扱うのが難しい場合には、勾配具の「ランプ」を用いることも可能で、必要に応じてアシスタントにサポートしてもらえる。だが、コートを見て戦略を考えるのはあくまでも選手だけというから興味深い。

 そんなボッチャを直接観戦してみたいと、チケットを予約して自分ごととして東京パラリンピックを楽しみに待つことができたのも香取らの活動のおかげだ。残念ながら、数年前に想像していた大会とは違う形になってしまったものの、先述したメダル授与式へのサプライズ登場など、香取ならではの方法で盛り上げてくれる姿はきっと大きくは変わらない。

 なかでも、香取だからこそできた活動の一つにアートがある。2015年にパラサポ(日本財団パラリンピックサポートセンター)のオフィスに大きな壁画を描き、『パラ駅伝 in TOKYO 2018』の開会式ではレゴで再現したものをお披露目したこともあった。プロレゴビルダーの三井淳平氏と共に香取自身も制作に参加し、およそ3カ月かけて完成させたというレゴ壁画は、手で触れて絵を楽しむことも可能。壁に描いた絵で、多くの壁を取り払っていくような作品だった。

 東京パラリンピック開催直前には、NHKスペシャル『TOKYO カラフルワールド ~香取慎吾のパラリンピック教室~』にて、10代の若者たちと絵を通じて楽しく語り合う姿も披露してくれた。香取の描く絵は、キャンバスに直接絵の具を塗っていくライブ感あふれる作風が大きな魅力。まるでセッションをするように、若者たちが描いたモチーフを組み合わせ、想うがままに色を重ねていく。

[NHKスペシャル] 香取慎吾 カラフルワールドを描いてみた!| 番外編 TOKYOカラフルワールド パラリンピック教室 | NHK

 番組内で、香取は『カラフルワールド』について「なんか華やかで、最初はちょっとびっくりするかも知れないけど。でもとても居心地が良い。自分の色を持ちながらも、周りの人の色で自分の色が変化していけたりするような世界」と語っていた。

 「このモチーフにこの色を?」なんて驚きがあるほうが、面白いときもある。まるで香取が若者たちと一緒に描いた絵のように、東京パラリンピックを通じて、固定概念にとらわれずのびのびとそれぞれが個性を発揮できる世の中になっていってほしい。そんな願いを感じられる時間となった。そしてその一歩は、決して特別な活動ではないのだと、香取は手を差し伸べてくれる。

 それが「#NURIEdeART_パラ応援」だ。香取の描いた線画に、人々が思い思いの色をつけ、ぬりえを通じてパラリンピックに参加できるというもの。2020年4月にも「#NURIEdeART_うちで踊ろう」でステイホーム中の私たちを笑顔にしてくれたことを思いだすNAKAMAもきっといるはずだ。

 前回、ひさしぶりのぬりえを体験してワクワクした筆者は、今回家族と一緒に塗ってみることに。「こういうアートみたいなことは苦手」という家族も、恐る恐る一つひとつ色を塗り進めていくと次第に楽しくなっていった様子。「実は水色と黄色と白の組み合わせが好き」など、日常ではあまり話すきっかけのなかったような話題でも盛り上がった。

 もしかしたら「障がい」と診断されるものがない人にとっても、自分の活動範囲を狭めてしまうような「苦手意識」や「自分にはできない」と思ってしまう、何かしらの“障がい”はあるのかもしれない。そこに「上手にできなくてもいい」「enjoy!」と心を軽やかにしてくれるきっかけが、香取が広めようとしているパラ応援なのではないかと、ぬりえを通じて感じることができた。

筆者が家族と塗ったぬりえ

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