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関ジャニ∞、AKB48、リトグリら楽曲手がけた丸谷マナブのクリエイティブ術 「作曲、プロデュースは言葉を探す作業」
AKB48(「永遠プレッシャー」「ハート・エレキ」「ラブラドール・レトリバー」など)、Little Glee Monster(「好きだ。」「世界はあなたに笑いかけている」)、大原櫻子(「I am I」「Shine On Me」など)、三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE(「HAPPY」)、KAT-TUN(「UNLOCK」)など数多くのヒット曲を手がけてきたクリエイター、丸谷マナブ。ユニット「sunbrain」としてデビューし、ソロ活動を経て、作家への道に進んだ彼は、作詞・作曲・アレンジを含め、トータルで楽曲を作り上げるセンスと技術を持ち合わせている。アーティストのキャリアや状況、タイアップとのバランスを取り込みながら、オーダーメイド感覚で楽曲を生み出すスタイルこそが、彼の特徴と言えるだろう。
関ジャニ∞の新曲「ひとりにしないよ」を手がけたことでも注目を集めている丸谷に、自らのキャリアとクリエイターとしてのスタンスについて語ってもらった。(森朋之)
関ジャニ∞「ひとりにしないよ」制作の3つのポイント
ーー関ジャニ∞の「ひとりにしないよ」は、丸谷さんが作詞、作曲、編曲を手がけていますが、どんなコンセプトで制作された楽曲ですか?
丸谷マナブ(以下、丸谷):人気マンガ『コタローは1人暮らし』をドラマ化する。主演は横山裕さんで、関ジャニ∞が主題歌を歌う、というところからですね。ポイントは3つあって、まずは『コタローは1人暮らし』の世界観に沿っていること。2つ目は、新体制になってから関ジャニ∞が歩んできた道、特に前作の「キミトミタイセカイ」の流れを汲んでいること。もう一つは、これがいちばん大事だと思うんですけど、国民的なグループである彼らが、今どんなメッセージを伝えるのか? ということですね。
ーーその3つが重なることで、今、関ジャニ∞が歌うべき曲になると。まず1つめのポイントですが、丸谷さんご自身は『コタローは1人暮らし』のストーリーをどう捉えていますか?
丸谷:題名通り、コタローくんという5歳の子どもが一人暮らしをしているんですけど、その理由がなかなか重いんです。コタローくんは純粋で健気なんですけど、それゆえに切ないし、「がんばれ」という気持ちにもなって。さらに噛み砕くと、子どもが親に対して持つ「もっと見てほしい」とか「愛してほしい」という感情って、大人同士でも同じだと思うんです。大人になっても、大切な人に愛してほしいし、ちゃんと見てほしい。そういう渇望感はまったく同じだし、だからこそこのドラマも胸に刺さるんだろうなと。ただ、切ないバラードが似合うドラマではないんですよ。愛すべきキャラクターがたくさん登場するし、コメディタッチだったりするので。もちろんおちゃらけた歌も違うし、ミドルテンポのゆるい曲だとシングルらしくなくて。スタッフのみなさんとも「どうしましょうね?」って話し合ったんですけど、そこで大事になってくるのが、2つ目のポイントで。
ーー新体制後の関ジャニ∞の軌跡と、「キミトミタイセカイ」からの流れですね。
丸谷:『関ジャム 完全燃SHOW』でも特集されましたけど、「キミトミタイセカイ」は、シンガーとしてかなりチャレンジな楽曲だったんです。歌唱法やボーカルのレンジも広がって、メンバー全員の歌に対する意識が上がっていたし、「その流れを汲んでほしい」という依頼もあって。僕自身もメンバーのみなさんの意欲に応えたかったし、シンプルに「この曲を歌いたい」と思ってもらえる曲を作りたくて。軸になっているのは、メロディをグルーヴさせることですね。関ジャニ∞は8ビートのイメージもあると思いますけど、今回は少しゆったりしたBPMのなかで、メロディを16(ビート)で捉えられる曲を提案させてもらいました。耳心地もいいし、おそらく関ジャニ∞が歌ったことがないジャンルの曲じゃないかなと。
ーー楽曲に込めたメッセージについては?
丸谷:「がんばれ!」って押すだけじゃなくて、リスナーを包み込むようなメッセージを歌ってほしくて。「ひとりじゃないよ」という曲はいっぱいあると思うんですが、「ひとりにしないよ」と意思を込めた曲は少ないし、素晴らしく関ジャニ∞っぽいんじゃないかなと。もちろんマンガの世界観にも沿っているし、横山さんが演じる役を考えても、これ以上の言葉はないと思ったんですよね。メロディも一緒に思い付いて、「これはフックになる」と感じたし、あとは自分自身もワクワクしながら作ってました。
ーーいろいろな条件を取り入れながら、最終的にはひと言で表現できるところまでもっていく、と。
丸谷:作曲、プロデュースというのはつまり、その言葉を探す作業かもしれないですね。当然、コンペのシートには書いてないし(笑)、自分で探して、周りの人達を納得させて。「これだ」というフレーズが見つかるまでの不安はかなりヤバイですけど(笑)。
ーー作詞、作曲、編曲まで一人で完結できる丸谷さんだからこそ、楽曲全体を俯瞰しつつ、テーマを絞り込めるのかも。
丸谷:そうですね。毎回、1点モノをオーダーメイドで作っている感覚なんですよ。今はコライト全盛時代ですが、だからこそ、一人でやり切ることに価値があるのかなとも思っていて。コライトも楽しいですが、一人で作ることも突き詰めたいですね。
ーー丸谷さんが作る楽曲は、ギターロック、ソウルからエレクトロまで非常に幅が広くて。音楽的なルーツを教えてもらえますか?
丸谷:中学生のとき友達とハードロックのコピーバンドを組んだのが最初ですね。メンバーがパンク志向になって、ちょっと不良っぽくなっちゃったので(笑)、続かなかったんですけど。その頃にThe Beatlesに出会って、イギリス特有の曇った感じの音が好きになり、UKロック、トリップホップなどをずっと聴いてました。いちばん好きだったのはRadiohead。あとはOasis、The Verve、Travisとか。バンドの音楽に惹かれてたんですが、学生の頃から一人で宅録もやってました。
ーーその頃から曲作りに興味があったんですね。
丸谷:気付いたらやってたんですよね。ギターの練習をするよりも、口ずさんだメロディに合わせてコードを付けるのが好きだったし、録音するのも楽しくて。ちょうどMDのMTRが発売された時期だったんですよ。20万くらいしたんですけど、バイトしてお金を貯めて、震えながら振り込んだのを昨日のことのように覚えてます(笑)。プロになろうとかは思ってなくて、遊びみたいなものですけど。
ーーJ-POPは聴いてなかったんですか?
丸谷:CHAGE&ASKAが好きでした。中学生のときに「Say Yes」が流行って、『SUPER BEST Ⅱ』が爆発的にヒットして。友達とマネしてハモったりしてました(笑)。あと、小さい頃に姉の影響で光GENJIを聴いてたんですけど、それもASKAさんなんですよね。
ーー光GENJIの代表曲、ほとんどASKAさんが手がけてますからね。ポップな音楽も好きだった?
丸谷:そうですね。内向的な音楽が好きな時期もあったけど、結局は歌を聴いていたし、シンガーの声に惹かれて、バンドのファンになることが多かったので。マニアックなものも好きですけど、自分がアウトプットするのはずっとポップスだったと思います。
ーーなるほど。2005年に音楽ユニット・sunbrainのメンバーとしてデビューしますが、どんなスタイルの音楽を志向していたんでしょうか?
丸谷:sunbrainは自分が札幌で培ってきたもの、イギリスの音楽に影響を受けながら作った楽曲と、相方の南ヤスヒロさんの作風を合致させながら制作していて。自分らしさを無理に押し込もうとすると上手くいかないし、お互いに戦いながら作っていたところもありました。南さんとは世代も違っていたので、楽曲のなかで世代を飛び越えるような感覚もあって。ネジれたところもあったけど、やっぱりポップスだったんですよね。
ーーsunbrainは2009年に活動停止。丸谷さんはソロ活動を経て、2012年から作曲、プロデュースの道に進みますが、この間、医療事務の仕事に就いていたそうですね。
丸谷:はい。タイムラインとしては、25歳くらいでユニットとしてデビューして、30歳くらいで事務所もなくなって。普通はここで就職するケースが多いと思うんですが、僕は「ようやく自分の作風で曲が作れる」と思って、希望を持ってソロ活動をはじめたんです。下北沢、吉祥寺などの弾き語りのコミュニティーに飛び込んでライブを続けていたんですけど、何の後ろ盾もなかったし、完全に一人でやってたので、食べていけなかったんです。バイトしてる時間が圧倒的に長くて、どうしようかなと思ってるときに、縁があって、医療事務の仕事に就けて。病院のホームページを作ったり、宣伝みたいなこともやってたんですけど、経営が軌道に乗って、スタッフが増えてくると「どうして丸谷さんだけ優遇されてるのか」と言われるようになってしまったんです。リハとかライブのたびに休んでたから、「あの人、何?」みたいな(笑)。で、33歳のときに事務長に「夢を追うのか、音楽は趣味にして医療従事者になるのか、決断のタイミングだと思うよ」と言われて、迷うことなく病院を辞めました。
ーー迷うことなく?
丸谷:本当はだいぶ考えましたけど(笑)、「いま音楽をやめたら、後で絶対に後悔するだろうな」と思ったんですよね。(医療事務を続ければ)普通に生活していけたかもしれないけど、「自分の後悔を殺そう」と。作家というものに向き合ったこともなかったですからね、それまで。J-POPのど真ん中で活躍しているグループーーAKB48、SMAP、嵐のようなーーに曲を提供して、それがヒットすれば逆転できるなって。当時80万くらい貯金があったので、それがなくなるまでは作曲に向き合って、それでダメなら、すっきりした気持ちでハローワークに行けると思ってました。
ーー最後のチャンスに賭ける、と。作家としての初期の仕事は、多和田えみさんの「涙がでた」、福原美穂さんの「apologies(feat.sleepy.ab)」など、ソウルフルな女性シンガーの楽曲でした。
丸谷:そういえばそうですね(笑)。ソウルやブラックミュージックに関しては、今でこそ聴くし大好きなんですが、もともとルーツのなかにはないんですよ。ただ、メロディのグルーヴはすごく気にしていたし、それをソウルフルな歌唱の方に歌ってもらうことで、ソウルとJ-POPが上手く混ざっていたのかも。ただ、意図的にやっていたことではないですね。