草なぎ剛『ミッドナイトスワン』で見せた“映し出す”演技 『日本アカデミー賞』受賞を機に振り返る、必然だった役との出会い

 草なぎ剛が、『第44回日本アカデミー賞』で優秀主演男優賞を受賞した。もちろん、主演映画『ミッドナイトスワン』での演技を評価されてのこと。草なぎ自身が宣言していた通り、まさに「俳優・草なぎの代表作」となった。そこで今回は改めて『ミッドナイトスワン』で見せた、草なぎの演技は何がすごかったのかを振り返りたい。

語られにくい事情と観客を近づける存在感

 草なぎが『ミッドナイトスワン』で演じたのは、広島を離れ東京で生きるトランスジェンダーの凪沙。いつか心の性自認と同じ身体にしたいと願いながら、苦しいホルモン治療にも耐える日々を懸命に生きていた。そんなとき、親戚の少女・一果が訪ねてくる。ネグレクトを受けていた一果を仕方なく引き取ることになった凪沙だが、共同生活を続けていくうちに“母性”と呼びたくなるような愛情が芽生えていく。

 一果に出会う前の哀しみと憂いに満ちた表情。一果を愛しく感じ始めた頃の温かな眼差し。そして、絶望で暗く影を落とした瞳……。草なぎが凪沙を通じて見せてくれたのは、人が事情を抱えて生きていく辛さと、そこに差し込む一筋の幸せな光だったように思う。声にならない叫びを噛み締めながら生きている人は少なくない。凪沙のように性別の認識が一致しないこともある。一果のように虐待や貧困で夢を追うことが難しいことも。

 また、そうした事情はデリケートな上に、一人ひとり異なるため一般化して語られにくい。それゆえに、ドラマや映画のテーマとして扱うのも難しい。しかし語られないからといって「ない」わけではないのだ。フィクションだからこそ描くことができる現実の痛みもある。その上で、事情を解決していく新しい糸口が見つかるかもしれないと信じて。

 この作品は、鑑賞後から別の物語が始まる映画といってもいいかもしれない。となると、草なぎが主演俳優として求められたのは、語られにくかった事情と多くの人との橋渡しのような演技だったのではないか。「知らなかった」という人にも関心を持ってもらい、同じように心を動かされるような人間性を見せていくことだ。表面的に取り繕ったキャラクターではなく、人として深く知りたいと思わせる何かがにじみ出ている必要があった。

映画『ミッドナイトスワン』925秒(15分25秒)予告映像

人生の影の部分を「まっすぐ見下ろし受け入れる勇気を持つ」天才

 本作に関するインタビューで、草なぎは「役作りはしなかった」と話している(参考記事)。実際にトランスジェンダーの方と会って話した際に「こうじゃくちゃいけない」や「女らしさとは」を考えないほうがいいのではないかと感じたという。

「トランスジェンダーの方でも1人ひとり違うし、だから本当に役作りをしなくていいと思って、自由に演じることにしたんです。異性を越えたところの人間らしさとか、そういうのが大事だなと思っていたし、より今回、思えたので、構えることなく、飛び込んでいけたというのがありましたね」(NHK WEB特集「草なぎ剛“エピソードゼロ“~役がくれた再出発の勇気~」より

 かつて、草なぎを「大天才」と評した劇作家・演出家のつかこうへいは、「穏やかな笑顔の奥に哀しみが隠れ、静かなたたずまいの身中には秘やかにケモノが眠る。ひとたび台詞を発すればケモノは目覚め暴れだし、彼の内部は鋭い牙に切り裂かれる。その痛みを、絶望的な孤独を、まっすぐ見下ろし受け入れる勇気を持つ」と語っていた。

 草なぎ剛の演技が、人々の心を掴むのは、誰もが抱く孤独、絶望、葛藤、痛みをまっすぐに掴むから。その姿はむしろ「演じている」というよりも「映し出す」といったほうがしっくりくる。見聞きして感じたものを、そのまま反射的に表情や仕草に取り入れているかのような。普段の穏やかなパーソナルイメージからは、到底結びつかないような役柄にも扮することができるのは、そんなスクリーンのような人だから。