今なお愛され続けるNujabes作品ーーポップアップ「World Tour」主宰 日高良太郎が語る、瀬葉淳とのエピソードから企画背景まで

 ぐっと心を鷲掴みにされるような流麗なピアノのメロディ。洗練された美しさと都会的なグルーヴを持ち合わせながらも、望郷の念を抱かせるような言葉では的確に言い表せないサウンドスケープ。2010年に不慮の事故で亡くなったNujabesの音楽は、いまだに多くの人々の心に住みついている。彼が1stアルバム『Metaphorical Music』を発表したのは2003年のことだったが、今や、生前の活動を知らない若い世代までもがストリーミングサービスなどを介してNujabesの才能に触れ、新たなムーブメントを呼び起こしている。今回、Nujabesの楽曲の管理などを行うonepeaceの主導により、「World Tour」と銘打ったNujabesのマーチャンダイズアイテムが発表されることとなった。今回、同社の代表であり、生前よりNujabesとも交流があった日高良太郎氏に、故人とのエピソードから今回の企画の趣旨までを伺った。(渡辺志保)

「これはヒップホップなのか」っていう問いもあって

ーーまずは今回の企画が実現した経緯を教えていただけますか?

日高良太郎(以下、日高):企画そのものは3年くらい前から「こういうことをやったらどうかな?」というアイデアがあって。もともと、瀬葉さん(註:Nujabesは元々、瀬葉淳というアーティスト名を名乗っていた)が亡くなった後、お父さんといろいろやり取りしながら、Nujabesの作品をより多くの人に知ってもらう企画はどんどんやっていこうということになって。確認事項が多かったので、やっとこのタイミングで落ち着いたってところですかね。

ーーそもそも、日高さんとNujabesさんのご関係性から伺ってもいいですか?

日高:僕がやっているonepeaceという会社で、Nujabesの音源のデジタル配信や著作権、出版の管理をしているんです。楽曲の原盤自体はNujabesのお父さんが持っています。

ーーNujabesさんとも、生前から交流があったということですよね。

日高:かつて、僕はVIEW RECORDSという中古レコード屋で働いていたんです。渋谷の宇田川交番の近くにあって、同じく中古のレコ屋だったMr.Bongo Tokyoとかが入っていたビルの3階にあったお店で。そこって、いわゆるフリーソウルなどのムーブメントが生まれたようなレコード屋で、元ネタ系のレコードがたくさんあって、僕は山下洋さんと一緒に働いていたんです。そこでふとしたきっかけで瀬葉さんと会ったんですよね。当時、僕も19歳、20歳くらいで若かったんですけど、元ネタになっているような曲をよく知ってるということで意気投合して、そこからいろいろ話し始めて仲良くなった。一緒に仕事をしていたわけではないですが、ビジネスの関係じゃないからこそ仲良くなれたんだと思います。何度か「ウチ(Hydeout Productions)にA&Rとして来い」と言われたこともあったんですが、「いやいや、瀬葉さんと働いたら大変そうだしな」と思っていて(笑)。 “音楽の趣味があう友人”、というフラットな関係性だったと思います。

日高良太郎

ーーNujabesさんと接しながら、彼がプロのミュージシャンとして成功した様子を間近で見てきた立場だと思うのですが、当時、Nujabesさんの楽曲をどのように捉えていましたか?

日高:僕も、元々は90’sや80’sのヒップホップをメインに聴いていて、「あれこそがヒップホップだ」という感覚があった。なので、瀬葉さんの音楽を良しとするかしないかって、自分の中でも結構葛藤がありました。彼の音楽は自分の本心に突き刺さるメロディラインがあって、好きだと言う感覚は明確にある。でも、一方で「これはヒップホップなのか」っていう問いもあって。大手を振って聴いていたというより、最初はこっそり聴いていましたね。だけど、「Luv(sic)pt2」がヒットし始めて、みんながNujabesというアーティストを認知し始めた時に「あ、いい音楽って認められるんだな」と思いました。やっぱり「Luv(sic)pt2」で大きく風向きが変わったんじゃないですかね。

ーー「Luv(sic)」シリーズや1stアルバム『Metaphorical Music』の爆発的なヒットを経て、Nujabesさんが変化した様子はありましたか?

日高:いや、全くないかな。最初も最後も”我が道を行く”みたいな人だったし。最後はジャジーヒップホップというものに飽きていて、ハウスにトライしたりいろんなことをしたりしてもがいていた感じはあるんですけど、常に“自分のなかにあるもの、自分がいいと思うものしかやらない”という感じだったので、一貫してただの音楽好き、という感じでした。

『Metaphorical Music』

ーー2010年の交通事故から10年経ち、今年は没後10年となるわけですが、日高さんがNujabesさんの訃報を知ったのはどんなタイミングだったのでしょうか。

日高:知らない電話番号から電話が掛かってきて、出てみたら、当時のマネージャーの方からの電話だったんです。「まだ、公表していないんですが、実は交通事故で亡くなって」と。実は僕は3日前まで、スクウェア・エニックスのプロジェクトーー『ファイナルファンタジー』だったと思いますーーを瀬葉さんとやろうかという話を進めていて、亡くなる3日前まで電話で話していたんです。なので、びっくりというか「本当なのかな」ってずっと思っていました。例えば毎日会っている人が突然亡くなったということであれば、すごく実感が湧くのかもしれないですけど、僕と瀬葉さんは1カ月に1回くらいしか会っていなかった。だから、それが3カ月会わなかったとしても「最近、ちょっと会ってないな」くらいの感覚で。だから、数カ月経つくらいまではあまり受け入れられなかったですね。

ーーそして、先ほどの話に戻りますが、Nujabesさんの死後にも、さらにご遺族の方との関係性が深まっていくわけですよね。時代としても、ちょうど配信が主流になりつつあったり大きなレコードストアが閉店するタイミングでもあって、音楽ソフトを扱う環境が大きく変化し始めた時期だったのかなと思います。

日高:当時から瀬葉さんに「楽曲をデジタル配信させてほしい」とは言っていたんですよ。でも、「いやあ、配信はなあ」という感じで、瀬葉さん自身が配信というものにピンときていなくて。彼はレコードが好きでしたし、テクノロジーによる時代の流れを感じつつ、自分としては(アナログに)留まりたい、みたいな狭間にいて。でも、デジタル配信に興味がなかったわけではなかったので、「配信するときはお前のところでやってあげるよ」と、交わされている感じでした。瀬葉さんが亡くなって時間が経ってから、お父さんといろんな会話を持つようになって。その時に、僕が持っていた「日本人として世界的に認められたアーティストだから、できるだけ多くの人に聴いてほしい。作品をそのままにしておくと忘れられてしまう」という思いを3年くらいかけて説明していました。そこで、ようやく「配信しよう」という話が結実した。そのタイミングで、錦織圭選手にセレクトしてもらったコンピ(『KEI NISHIKORI meets Nujabes』)を出してフックを作ったりもしましたね。

『KEI NISHIKORI meets Nujabes』

ーー故人の音源を扱うことに対して、気をつけていらっしゃることはありますか?

日高:当たり前ですが、瀬葉さん自身がもういないので、変なことはできないですよね。扱える音源もあれば、もちろんそうでないものもあるので、タッチできるところを慎重に扱いながら進めているという感じです。

onepeaceにて配信を担当する小川氏:本人の意思を尊重していきたいというのがあったので、お父さんの他にも実際にNujabesさんの近くで仕事をしていた方にもお話を伺ったりとか、アー写も基本的には出さないスタイルでいきます、というのがあったので、そういう点は尊重したりとか。あと、配信のプラットフォーム上に無断でアップロードされた音源がたくさんあったり、勝手にNujabesの名前をかたった架空の音源まであったりして、実際に配信を開始するまでの整地作業みたいなものも大変でしたね。

ーー実際にお父さんや、周りの方の理解も得ながら細かく進めていったという経緯があるのですね。

日高:お父さんがたどり着いた考えとしては「親族としてどのようにNujabesの音楽と向き合っていくのか」というところだったんです。だったら、配信やストリーミングで長く、よりたくさんの人に聴き続けてもらおう、ということに落ち着いた。実際、今も海外から反響があったり若いリスナーが聴いてくれたりすることに関しては嬉しいと思っていらっしゃるみたいです。やはり誰よりもNujabesを背負って、彼のことを誇っているのはお父さんなので。

ーーストリーミング配信に踏み出した結果として、海外でもかなり再生回数が多いと伺いました。

日高:なかでも、アメリカでの再生回数が抜きん出ていますね。2018年はアメリカ国内で聴かれた邦楽アーティスト1位でした。世界全体のグローバルチャートだと3位なんですけど。

ーー1stアルバム『Metaphorical Music』は2003年の作品で、Nujabesの音楽が使用された海外でも人気があるアニメ『サムライチャンプルー』のOSTは2004年の作品ですよね。すでに発売から17年が経過している。Nujabesのサウンドの、一体何がそんなにフレッシュなんだと思われますか?

日高:やっぱり、メロディラインじゃないですかね。ああいうセンスって、日本人特有のものなんじゃないかと思います。Nujabesのメロディには哀愁が漂っていて、それは全世界共通して響くものなんじゃないかな、と。音楽って、例えばハッピーな時にダンスミュージックを聴くのも一つの在り方だと思いますが、それよりも辛くて大変な時に必要になるものだと思うし、Nujabesのサウンドはそこにもってこいなのでは。”何かにすがりたい時に寄りそってくれる音楽”のような気がします。あと、日本人って、基本的にメロディで音楽を聴くんですよね。そこは、ベースやドラムのグルーヴとは違うところで。そういうところも、Nujabesの音楽が海外でも幅広く支持される理由になっているのかもしれない。ある意味、(海外の流行りと)逆走しているものの方が、ある意味ユニークに見えるのかもしれない。

ーー現在、それこそストリーミングのシーンを中心にローファイ・ヒップホップブームも世界に根を張るようにして盛り上がっているという背景もありますよね。そうしたムーブメントはどう捉えていますか?

日高:デジタルミュージックが進化することへの反動だと思っています。デジタルに行けば行くほど、生音、いわゆるローファイ的なものがほしいという傾向は、明確にあると思うんです。そこに、オーガニックなNujabesの音楽がすごくハマっているんじゃないですかね。実際にオンライン上でのいろんな呟きを見ることはありますし、意外に普通の若い子が聴いているなという印象があって、それが一番嬉しいですね。僕たちがやったことってそこにあるんだなって思うし。これだけ時間が経ってもまだ彼の作品が人々のライフスタイルの中に入っていくっていうのは、やはり瀬葉さんの才能だなと思います。

小川:実際にSpotifyの実績などを見ると、20代のリスナーが非常に多いんですよ。だから、リアルタイムではきっと(Nujabesのことを)知らないんですよね。それは、どの地域においてもそうで、アメリカもコアなリスナーが20代なんです。だから、リアルタイムで知っていた人ももちろん、新しいファンの人たちがたくさん来てくださっているという感じです。

ーー今のリスナーの中には、Nujabesさんが日本人で、かつ、すでにこの世にはいないということを知らない方もいるのでは? と思うんです。

日高:そうですね。知らない人も十分いると思います。

ーー私も、以前、ラップユニットの舐達麻にインタビューした際に、Nujabesのビートが大好きだと言っていたことに少なからず驚いて。先ほど、日高さんも「Nujabesの音楽をヒップホップ的に良しとするか葛藤があった」とおっしゃってましたが、まさに私は、Nujabesのビートにハードコアなラッパーのリリックが乗ることが全く想像できなかったんです。

日高:Nujabesの音楽ってどちらかというとクラシックというか、どの時代も変わらず聴かれるもの、という位置付けになっていくんじゃないかなと思うんです。そういう意味で、彼らも昔のソウルミュージックを聴いているような感覚で聴いているような気がします。さっきも言ったように、あのメロディラインは切なさや哀愁的だから、みんな共通してどこかに持ち合わせているものなんですよね。だから、ハードコアだろうがなんだろうが、ああいう気分になる時もあるんだなって。

ーー彼らのリリックも、まさに哀愁を込めたものやブルージーな部分を表現したものが多いので、まさにそういう“イズム”と共鳴するのかなと腑に落ちます。