細野晴臣をリスペクトしてやまないアーティストたちの集い 『細野さん みんな集まりました』レポート

■Day3「細野さんで踊ろう」

 「細野さんで踊ろう」は、タイトル通り、「細野さん」をテーマにしたDJイベント。スカート、水原佑果、TOWA TEI、ジム・オルーク(台風の影響で来場できなかったため、本人がセレクトした楽曲をプレイ)、Kenmochi Hidefumi(水曜日のカンパネラ)、砂原良徳、小西康晴、OL Killer、そして細野自身がDJとして登場した。

 最先端のエレクトロ、テクノを軸にしたTOWA TEI(ラストはイモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」でブチ上がり!)、繊細なエレクトロニカをつなげ、知的にして快楽的なプレイを繰り広げた砂原、7インチシングルをスピンし、細野の“歌モノ”の良さを改めて体感させてくれた小西(ピチカートファイヴがカバーした「パーティ」では野宮真貴が登場!)、F.O.Eのナンバーからスタートさせ、強靭なエレクトロファンクビートで攻めまくったOL Killer。そこから伝わってきたのは、細野晴臣という音楽家の驚異的な幅広さと多彩な音楽性だった。

 最後に登場した細野は、「チルっぽい感じで30分やります。といっても、最近聴いてる曲をかけるだけなんだけど。DJなんてやったことないから」という挨拶(?)からスタート。「I Might」(HONNE)、「The Weight」(Tok Tok Tok)、「Attention Tokyo」(Sketch Show)、「Produzione」(Piero Umiliani)などをプレイし、オーディエンスをゆったりと躍らせた。最後は映画『No Smoking』のテーマ曲、そして、アン・サリーの歌唱による「Smile」(アレンジは細野)。約6時間に渡り細野さん関連の楽曲で踊れる、超レアなイベントとなった。

■Day4 「細野さんと語ろう」

 ステージの上には2台のソファとテーブル、BGMはもちろん細野晴臣の楽曲。開演時間を少し過ぎた頃、細野が一人で姿を見せ、「番組の収録を兼ねて、ゲストを3組お招きしてます」と挨拶。最初のゲスト、川添象郎を呼び込む。

 川添はYMOのプロデューサーであり、アメリカでのデビューをきっかけにした世界進出のキーパーソン。60年代から音楽、ミュージカル、ファッションなどの多方面で活躍してきた伝説的人物だ。トークには台本がなく、完全にフリー。「シャーリー・マクレーンの夫と一緒にラスベガスに行って、舞台の舞台監督をつとめた」「ニューヨークでフラメンコギタリストとして活動していた」と驚くようなエピソードが披露される。

 もっとも興味を引かれたのは、やはりYMOに関すること。YMOのアメリカデビューのきっけは、A&Mレコードのトミー・リピューマが1978年12月に行われた紀伊国屋ホールのライブを観たこと。その際、川添はトミーが宿泊しているホテルを訪ね、「シャンパンをしこたま飲まして、ライブに連れていった」のだとか。これには細野も「そうか、酔っぱらってたんですね」と苦笑い。

 1979年8月に実現したロサンゼルスのグリーク・シアターでの初のアメリカライブの際も川添が活躍。このときのライブはアメリカのバンド・The Tubesのオープニングアクトだったのだが、「前座だと、音量を下げられちゃう」(細野)というのが当時の慣習。川添は舞台監督に金を渡し、さらにA&Mレコードの幹部の名前を出し、「きちんと音を出さないと、あなたは2度とこの仕事ができなくなる」と言ったとか言わなかったとか。細野は「川添さんがいなければ、YMOの成功はなかった」と語った。

 続いてのゲストは原田知世。シックな花柄のワンピース姿で登場した彼女は「50周年おめでとうございます。呼んでいただき嬉しいです」と挨拶。細野が「(50周年は)最初は他人事だったんですけどね」と照れたように答えた。

 原田知世の最新アルバム『Candle Lights』(バラードセレクションアルバム/10月16日発売)に収録された「Love Me Tender-Haruomi Hosono Rework」を手がけた細野。原田は「オリジナルも好きだったんですけど、細野さんにお願いしたら、ぜんぜん違うものになって。歌の表情がぜんぜん違っていたし、鳥肌が立つほど感激して、何度も聴きました」と語った。

 その後は原田のデビュー当時のこと、「いつかの誕生会で写真を撮ったら、光の天使のようなものが写っていた」という話などをゆるやかに展開。まるで家のリビングでお茶を飲んでいるような雰囲気によって、会場も穏やかな空気に包まれた。

 休憩を挟み、後半はいとうせいこうとの対話。「このイベントがあることをメディアで知って、“出たい”って自分で言ったんです」いとうは刺激的なトークを繰り広げる。「社会的になるために抑圧してきたものが、ある年齢になると回帰してくる」「病気を治さない、でも、楽しく暮らせる病院がある」という話の後、話題は“ここ数年の細野の多作ぶりについて”へ。

 「この変化はどこから来てるんですか」(いとう)という質問に対して、「限られた時間しかないから、加速しているんですよね。やりたいことが次から次に来ていて、隠して起きない」(細野)と回答。さらに20世紀の名曲をカバーし続けることについて言及し、「20世紀を忘れちゃいけないよという気持ちがあって。こんないい曲があるのに、誰もやらないの? とも思うし、だったら自分でやろうと。オリジナル信仰というのは、僕にはなくなってきた」と語った。

 また、「最近は1年に1枚作ってるから、あと10年やるとしたら10枚か。いけるかな」「いまは映像も簡単に発表できるでしょ。これから音楽じゃなくて、映画やろうかな」(細野)とも。ここ数年の細野の創作意欲の高さが感じられるトークだったと思う。

 さらにサプライズゲストとして、細野の孫でベーシストの細野悠太とギタリストの福原音が登場。福原は中学生の頃から20世紀半ばのブギウギに傾倒し、「ブギウギについて聞きたいことがあるんです」と細野のスタジオを訪ねたという19才。ブギウギに関するマニアックなトークの後、「楽器もあるし、やってみる?」(細野)と3人でセッション。細野がドラムを叩き、「Sleep Walk」(Santo&Johnny)を演奏するという超貴重な場面が実現した。

■Day2「細野さんと観よう!」振替公演

 大の映画好きとして知られ、映画『銀河鉄道の夜』から映画『万引き家族』まで、数多くのサウンドトラックを手がけてきた細野。この日はゲストにリリー・フランキーを迎え、映画と音楽に関する興味深いトークが展開された。

 また、50周年を記念して制作されたドキュメント映画『NO SMOKING(編集版)』の最速上映も。『WE ARE Perfume -WORLD TOUR 3rd DOCUMENT』の佐渡岳利が監督したこの映画は、幼少期の音楽との出会いから、はっぴいえんど、YMO、そしてソロでの活動といった細野の足跡をたどっていく作品。細野の音楽遍歴を追体験できると同時に、第二次大戦後の日本のポップス史を体感できる作品となっている。

(取材・文=森朋之/写真=東 美樹)

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