テレビドラマが映し出す“アイドルのあり方”の変化 『KBOYS』『マジすか学園』などから考察

 この現実との差異ばかり語られるのはアイドルに限らず、今のドラマ全般の傾向だ。

 同時に何をやってもアイドルを目指す少女たちのドキュメンタリーになってしまうというのがアイドルドラマの本質だと言えるのかもしれない。例えばAKB48のメンバーが総出演したドラマ『マジすか学園』(テレビ東京系)は、不良ばかりの高校で頂点を目指して女子高生がケンカしているという荒唐無稽な物語だが、登場人物の役柄と本人の個性を一致させたため、一種のドキュメンタリーにもなっていた。

 AKBは『DOCUMENTARY of AKB48』というドキュメンタリー映画を制作しており、そこでは実際に起きたスキャンダルや東日本大震災で慰問する姿やライブで過呼吸になる生々しい姿が映されていた。この二作が、AKBを中心とする2010年代のアイドルの本質にもっとも迫れた作品であることは間違いない。

 今の女性アイドルは、激しい競争の中で女の子たちがすり減っていく様を残酷ショー的に見せる一方で、そんな状況で健気に頑張る姿を感動的なドラマとして描くというマッチポンプ的な側面がある。

 その残酷ショーの中には恋愛スキャンダルも組み込まれている。刑事ドラマなどにアイドルが登場する時はだいたい恋愛やゴシップのエピソードだ。

 そのため、本来、女性アイドルが担っていたはずの、夢に向かって仲間と突き進むようなピュアでストレートな物語が仮託できなくなっている。

 そんな中、イケメン宇宙人が本気でトップアイドルを目指すというユニークな設定の『ドルメンX』(日本テレビ系)や『KBOYS』といった男性アイドルを題材にしたドラマを見ていると、今は男性アイドルの方がピュアな想いを仮託できるのだと感じる。

 女性アイドルシーンが落ち着きつつある中、同じ方法論を用いた男性アイドルシーンが現在、盛り上がりを見せつつある。その流れがどこにたどり着くかはわからないが、『KBOYS』に可能性があるとすれば、技術の習得による成長の可能性と、憧れの先としての海外を描いていることだ。この10年、アイドル業界は過去のサブカルチャーをどうやってアイドルで再現するかという内向きの実験がおこなわれ、ガラパゴス化を加速してきた。それはすごくユニークな試みだったが、そろそろ日本のアイドルは、国外を意識して少年少女の成長の可能性を模索する段階にきているのかもしれない。

■成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。

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