Snail Mail、ジュリアン・ベイカー、Soccer Mommy…若き女性アーティストの躍進とその歴史的背景
ハーヴェイ・ワインスタイン事件に端を発するセクハラ告発「#MeToo」や、「Time's Up」などのムーブメントが象徴するように、いまフェミニズム運動は新たな局面を迎えている。
「フェミニズム」とは、男女同権と性差別のない社会を目指し、女性の社会的・政治的・経済的地位の向上と性差別の払拭を主張する論調(from 大辞林)のことだが、音楽シーンにおけるフェミニズムといえば、1990年代初頭に米オリンピアで勃興した「Riot Grrrl(ライオット・ガール)」のムーブメントをご存知の読者も多いかもしれない。彼女たちはあくまで「排他的な男性や価値観」に対して怒りをぶつけていたにも関わらず、単なる男性嫌悪だとバッシングされてしまう不遇の時代ではあったが、Bikini Kill、Sleater-Kinney、L7、Bratmobileといったグランジとも共鳴する素晴らしいロックバンドを数多く輩出したこともまた事実である。
あれから四半世紀。少しずつではあるが、着実に音楽業界におけるジェンダーギャップは改善しつつある。イギリス最大の音楽財団PRS Foundationは「Keychange」と呼ばれる提案を発表し、2022年までに音楽フェスに出演するアーティストの男女比を50:50のバランスにすることを目標に掲げ話題になったが、多様性や異なる価値観を受け入れた現在の音楽シーンにおいて、女性アーティストはますます強く輝き、自分たちだけのサウンドや表現を突き詰めるようになった。ロックにおいてはRolo Tomassi、Goat Girl、Cherry Glazerr、Sheer Mag、Starcrawler、Skating Polly、Big Thief、Hop Along、Wye Oakといった実力派バンドのすべてが女性をボーカルに据えているし、長年女性アーティスト……特にシンガーソングライター(以下、SSW)を追ってきた筆者にとっても、これほど層が厚くて面白いと思える時代は初めてのことだ。
まず、間違いなく2018年の「顔」と呼べるのが、Snail Mailことリンジー・ジョーダンである。弱冠18歳にして名門マタドールとサインしたこの神童は、少しぶっきらぼうだけど胸を打つ切ない歌声と、90年代のUSオルタナ直系のローファイでささくれ立ったギターサウンドが魅力。6月にリリースしたデビューアルバム『Lush』は米音楽メディア『ピッチフォーク』で10点満点中8.7の高得点をマークしただけでなく、『ステレオガム』の上半期ベストアルバム企画ではなんと3位に選出、ここ日本でもアナログ盤が入荷直後に即完するほどの人気だ。リンジーのギターの師匠はHeliumやWild Flag(Sleater-Kinneyのメンバー2名が参加)、さらにEx Hexといったバンドを渡り歩いてきたメアリー・ティモニーで、「こんなところにもRiot Grrrlの蒔いた種が……」なんて妄想していたのだが、リンジーがソングライティングに開眼したのは、姉に連れられて行ったParamoreのライブがきっかけだったという。(参考:STEREOGUM / The 50 Best Albums Of 2018 So Far)
Paramoreといえば、今年1月に東京・大阪での初来日公演をソールドアウトさせた米メンフィスの才媛、ジュリアン・ベイカーもParamoreのファンを公言するひとり。彼女はもともとThe Star Killers(後にForristerと改名)というエモ/パンクバンドでボーカルを務めた経験があり、LA出身のTouché Amoréとのコラボ楽曲「Skyscraper」を発表するなど、エモ/ハードコアと積極的に関わりを持つSSWとしても高く評価されている。Fall Out BoyやMy Chemical Romanceを筆頭に白人男性が大半を占めた「エモ」のシーンにおいて、Paramoreの紅一点であるヘイリー・ウィリアムスが後進の女性アーティストたちに与えた影響は計り知れないものがあるが、彼女たちが昨年リリースした最新アルバム『After Laughter』は、シンディー・ローパーやTom Tom Clubさえ彷彿とさせるカラフルな野心作。周囲の反発や批判を恐れないチャレンジング精神は、ジュリアンやリンジーもいちミュージシャンとして勇気づけられたはずだ。
そして、カトリック信者で同性愛者という複雑なアイデンティティーもジュリアンの音楽が特別であることを裏付けているが、リンジーもまた「私はLGBTだと公表しているし、表舞台に立つ人間としては、私と同じような人たちの象徴みたいな存在になれたらいいな」(日本盤オフィシャルインタビューより)とコメントしており、こうして女性アーティストが自らのセクシャリティやジェンダーについて包み隠さず語ることができるようになったのは、セイント・ヴィンセントやコートニー・バーネットらの世界的な成功も一助になったのだろう。前者はカーラ・デルヴィーニュやクリステン・スチュワートといったセレブリティと浮き名を流し、後者は下積み時代からコートニーを支えてきたメルボルン・シーンの姉御肌=ジェン・クロアーと結婚(オーストラリアでは昨年12月に同性婚が合法化された)と、世代も生きる世界も恋愛に対する考え方も異なる両者だが、もはやカミングアウトするまでもなければ、LGBTをことさら強調するわけでもなく、「たまたま好きになった相手が女性だっただけ」とでも言いたげなあの自然体のスタンスには、後進のLGBTのアーティストも大いに感銘を受けたであろうことは想像に難くない。