People In The Boxが10年貫いた“アート”と“ポップ”の共存 柴 那典の『Kodomo Rengou』評
People In The Boxが3年半ぶりのアルバム『Kodomo Rengou』をリリースした。
先日10周年を記念したツアーを終えたばかりの彼ら。そこで改めて実感したのは、唯一無二とも言えるバンドのスリリングな魅力だった。「存在感が~」とかそういうことじゃなくて、音楽の構造として、誰も真似できない表現をやっている。スリーピースという最小限の編成なのに、他のバンドでは聴いたことのない、味わったことのない音の快楽を繰り出してくる。
People In The Boxのバンドアンサンブルは、三つの楽器が点と点でつながって引っ張りあい、歌の言葉が持つリズムや抑揚とも絡み合う、いわばタイトロープのような関係性で成り立っている。
だから、山口大吾のドラムは、よくあるバンドのように「ビートを刻む」ことに徹することはほとんどない。曲の中でも決まったフレーズを繰り返してリズムを支える役割を担うことはほとんどなく、奔放に叩きまくる。
一方、ゴリゴリとした骨っぽい音を響かせる福井健太のベースは、ミニマルなリフを繰り返したり、鋭角的なフレーズを挟んだりと、こちらもいわゆる「ベースの役割」にとらわれないプレイを見せる。
さらに波多野裕文のギターが変幻自在な音色を響かせ、曲によってはピアノを弾き、歌う。
曲を聴けばすぐにわかるのだが、彼らのアンサンブルの構造は「歌の言葉が持つリズムや抑揚」が大きなキーになっている。ドラムのフレーズも奔放に見えて歌の抑揚にぴったりと寄り添い、ギターやベースも歌のリズムや抑揚とどう絡みあい、どう声を響かせるかという発想で組み立てられている。
そして、People In The Boxの楽曲はすべて日本語の歌詞で成り立っている。「楽器が点と点でつながって引っ張りあうタイプのアンサンブル」としては海外のポストロックやマスロックと共振する部分はあるのだが、やはり「音楽の構造として誰も真似できない表現」なのである。
新作の『Kodomo Rengou』も、まさにそういう彼らのスリリングな魅力を突き詰めた作品。一聴して「え?」と耳が持っていかれるのは3曲目に収録された「町A」だろう。サビの歌詞ではこんなフレーズが歌われる。
<巨大なショッピングモール、レストラン、図書館、うどん屋、書店
パン屋、団地、花屋に、ラーメン屋、神社、寺院、中古車センター>
この「中古車センター」という言葉が異様に耳に残る。数ある日本語のロックやポップスの曲の中でも、ここまで朗らかに「中古車センター」という言葉を歌い上げた楽曲は他にないだろう。山内マリコが小説『ここは退屈迎えに来て』で描いたような郊外の国道沿いの光景が浮かぶ。
5曲目「デヴィルズ&モンキーズ」も、情景の浮かぶ歌詞が印象的だ。ミドルテンポのファンタジックな曲調で歌われるのはこんな言葉。
<パンと見世物、ワインとタバコ
ビジネスに長けた子供
探偵、ヤンキー、ジャーナリスト
放たれた野犬たちも
電磁波が四方飛び交うどよめく大通りへ>
7曲目「泥棒」は、より警句、アフォリズムに近い言い回しの曲だ。不穏なフレーズと共にこんな言葉が歌われる。
<責任くんたち格好いいな
責任くんたちやたら強いな
退屈ちゃんと嫉妬は友達
退屈ちゃんとストレスはなかよし>
11曲目に収録されたリード曲の「かみさま」も刺激的だ。歪んだギターの轟音で幕を開ける曲は、こんなフレーズの繰り返しに帰着する。
<いってらっしゃい、みてらっしゃい
かみさまだけが嘘をつく>
こうやってピックアップした以外にも、思わずハッとさせられるような言葉が多く並ぶ。それも、一度聴いて、その後に歌詞カードで文字を見ながら聴くことで、何度も発見があるようなアルバムになっている。
歌詞の意味や指し示す内容については、受け取る人によって千差万別だろうし、あえて分析することは差し控える。むしろ前述したように、着目すべきは言葉とバンドアンサンブルとの密接な関係だ。言葉をどう響かせるかがPeople In The Boxの音楽の重要なポイントになっている。
メロディにしてもそうだ。口ずさみやすい自然なメロディと、どちらかと言えば器楽的な口ずさみにくい旋律を、おそらくあえて使い分けている。そのことによって、スッと脳に入ってくる言葉と、何度か聴き返したり文字を見ながら聴かないかぎり入ってこない言葉の、歌における濃淡の差を生み出している。たとえば、「無限会社」の<ようこそ間違いの国へ>や「あのひとのいうことには」の<ねぇ、きみはほんとうに知ってた?>は前者、「眼球都市」の<ノイローゼ/治療/処方 オレンジ/空はシアニド>は後者と言えるだろう。