コトリンゴが手がけた『この世界の片隅に』劇伴の特徴は? 映像音楽の専門家が紐解く
現在公開中のアニメーション映画『この世界の片隅に』は、広島県を舞台に少女の生活と戦争を描いた話題作だ。
映像本編における見所の多さはもちろんだが、その劇伴も音楽的完成度が高く、映像と劇伴との兼ね合いといった視点からみても非常に工夫されている。今回は、その劇伴について、キーポイントと思われる箇所をピックアップしながら考察していきたい。
声の要素が効果的に使用された劇伴
同作の音楽を担当したのが、シンガーソングライターであるコトリンゴということからも、ボーカルが入った楽曲に少し触れておきたい。
サントラ盤収録楽曲のうち「歌もの」として認識できる楽曲として挙げられるのは、サントラ盤 トラック2「悲しくてやりきれない」、トラック8「隣組」、トラック30「みぎてのうた」、トラック31「たんぽぽ」の4曲である。どの楽曲もアレンジの際のシンプルさを伴っているため、主張し過ぎず、一種の劇伴のような役割も担っている。
そして注目すべきは、いわゆる歌ものではない他の劇伴の一部にコトリンゴ自身のボイスが挿入されているという点である。サントラ盤 トラック12「ごはんの支度」では、スキャットでボイスパーカッション的なフレーズを加えている。楽しげな雰囲気と、シンガーソングライターである作曲者自身による「声を使用した大人の遊び心」が感じ取れた。
アニメーション作品にしては劇伴の使用が少ない
また、同作では、後半部分まで劇伴の使用時間が少ない傾向にある。
アニメーションでは、映像表現の面からも、一般的に多くの音楽や効果音が必要となるケースが多いが、(参考、筆者執筆記事:アニメーションの劇伴にはどんな特徴がある?)同作で上記のような傾向がみられる理由としては、主に以下の2点が挙げられるだろう。
1.シーンの移り変わりが非常に多いため、一曲を長く使用しにくい
2.「時間帯を感じさせる音声」「時代を感じさせる音声」などが聴覚的に補佐しているため
同作では、シーンの移り変わりがかなり頻繁に行われている。様々な場面が秒単位で切り替わりながら映し出される箇所が多く、日付の変化をテロップで何度も表示するなど、時間をまたいだシーンの移り変わりも多く表現されている。こういった幾つもの場面を大きく捉え、一曲の劇伴を付加するといった方法も可能ではあるが、「メリハリを表現する」「劇伴が不用意にシーンを跨ぐことによる時間経過の誤認識を防ぐ」という観点から考えて、一曲を長く使用することを避けたのではないかと考えられる。
また、音声面の視野を広げてみると、「時間帯を感じさせる音声」「時代を感じさせる音声」が非常に多く使用されているのも同作の特徴だ。
実際に劇中で使用された時間帯を感じさせる音声とは、「ニワトリの鳴き声(朝を想起)」、「セミの鳴き声(主に夏の昼を想起)」、「鈴虫の鳴き声(主に夏の夜を想起)」などであり、また、実際に使用された時代を感じさせる音声は、「鉛筆を刃物を使って手作業で削る音」、「振り子時計の音」、「レコードの音」、「ラジオから出るJOFKの雑音」など、多数が確認できる。これらの音声は、それぞれ「具体的なイメージを想起させる」という点でも非常に印象的なサウンドであり、こういった音声が多く使用されていることによる「聴覚的な補佐」も、音楽の使用箇所の少なさに繋がっていると考えられる。
ちなみに、実際に使用された曲数を数えてみたり、同アニメーション映画のサウンドトラック盤『劇場アニメ「この世界の片隅に」オリジナルサウンドトラック』(以下、「サントラ盤」で統一する)を参照してみると確認できるのだが、本編で使用された「楽曲数」自体は一般的なアニメーション映画と比べて少ないわけではない。しかし、曲尺が短い楽曲が多いということと、長い時間劇伴を入れない箇所や数曲まとめて使用する箇所との対比がはっきりしているために、聴感上、全体的な劇伴の使用が少なく感じる。