冨田勲は最期まで「これからのこと」に目を輝かせていたーー柴那典の追悼コラム
以前インタビューで、『イーハトーブ交響曲』において初音ミクをプリマとして捉えていたということに込めた意味合いを尋ねたところ、冨田勲さんは、こんな風に仰っていた。
「僕が思うのは、あれは日本のお家芸ですね。つまり、人形浄瑠璃にしても、辻村寿三郎さんの人形舞にしてもそうですけれども、人間が生で演ずるよりもすごいものがあるんですよね。人形作家ホリ・ヒロシさんの『源氏物語』にしてもそうだと思います。(中略)人形だからこそ、人間以上のものが出てくる。そういう文化が日本には脈々とあって、初音ミクはそれの電子版だと思うんですね」(拙著『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』より引用)
そこでも「人形」という言葉は、一つのキーワードになっていた。
きっと、冨田勲さんのアーティストとしての精神性には変わらぬ一本の軸が通っていたのではないかと思う。それは、テクノロジーはネイチャーを超えることができる、ということ。人の手によって精巧に作られたアートは、現実と虚構の境目を超えて、生身の表現を超えることができる。
そういう大きな視点、言い換えれば「希望」という言葉でも表現できるフィロソフィーを持っていたから、冨田勲さんの作品は、単に「電子音楽」という言葉におさまらない大きな射程を持っていたのではないだろうか。最先端のテクノロジーとクラシカルな芸術や芸能を融合させる。それはドビュッシーの音楽世界をシンセサイザーで表現した1974年の『月の光』から変わらない視座だ。
巨大な才能だったと思う。冥福をお祈りいたします。
■柴 那典
1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。出版社ロッキング・オンを経て独立。ブログ「日々の音色とことば:」/Twitter