太田省一『ジャニーズとテレビ史』第七回:SMAP・香取慎吾のタレント力

SMAP・香取慎吾はなぜ“キャラと素”の区別がないのか テレビ出演歴から人間的魅力を探る

 ただ、それ以前にも大きな出会いはあった。「欽ちゃん」こと萩本欽一との出会いである。1994年、17歳の香取は萩本の番組『よ!大将みっけ』(フジテレビ系)にレギュラー出演、バラエティでの才能を萩本に大きく認められることになる。共演者がお笑いの大先輩ばかりで“修行”のようだったが、萩本は「やりたいようにやってごらん」と言ってくれたと本人の弁にもあるように、よほど香取の笑いのセンスに光るものを感じていたのだろう(『SMAP Year Book 1994-1995』)。その後2002年、1979年から続く長寿番組『全日本仮装大賞』(日本テレビ系)で萩本とともにMCを務めるようになったのは、周知の通りだ。また、三谷幸喜作コメディの主役を数多く務めるようになっていくのも、元をただせば萩本との出会いによるところが大きかったようにも思う。

 以前『中居正広の怪しい噂の集まる図書館』(テレビ朝日系)に出演した際に語っていたことだが、萩本は、1970年代から80年代にかけての人気番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』をやっていたとき、テレビのことをずっと考えるためテレビ朝日のリハーサル室に組まれた番組の家のセットに半年住んでいたことがあったという。半分はシャレかもしれないが、いかに当時萩本がテレビの世界にのめり込んでいたかを物語るエピソードだ。

 だが小学生からSMAPであった香取には、わざわざそうする必要もなかった。あるインタビューで彼は、SMAPについて「100%仕事と思いながらも「香取慎吾」という個人もそこに同時に存在する不思議な感覚」があると吐露し、「自分が“この世界でしか生きられない生き物”である」という強い自覚を語っている(『SPA!』2014年7月22・29日合併号)。

 つまり香取にとって、芸能界、そしてテレビの世界が世界のすべてだ。そしてそんな自分を客観的に見つめ、「生き物」と表現する。香取には、他にもまだまだ語りきれないほどの魅力があるだろう。しかしこの「生き物」という一語からだけでも、そのたどってきた道のりと併せ、香取慎吾という人の持つ凄みが伝わってくるように思う。

■太田省一
1960年生まれ。社会学者。テレビとその周辺(アイドル、お笑いなど)に関することが現在の主な執筆テーマ。著書に『中居正広という生き方』『社会は笑う・増補版』(以上、青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』『アイドル進化論』(以上、筑摩書房)。WEBRONZAにて「ネット動画の風景」を連載中。

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