栗原裕一郎の音楽本レビュー 番外編:『松尾潔のメロウな季節』著者インタビュー(前編)

松尾潔が明かす、R&Bの歴史を“メロウ”に語る理由「偶然見つけたその人の真実も尊重したい」

好きだからこそやれたこと

――松尾さんの書く仕事についてもう少しうかがいたいと思います。まず音楽ライターとしてスタートして成功されて、途中から音楽制作へ軸足を移しそちらでも成功された。

松尾:ありがたいことです。

――ひょんなきっかけから音楽プロデュースを始められたわけですが、制作に手を染めた当初はライターを辞めることは考えて……

松尾:考えていませんでした。具体的な数字を紹介すると少し嫌らしいですが、自分がプロデュースしたCDが200万枚、300万枚と売れてからも、イニシャル700枚くらいの音楽DVDの解説なんかも書いていました(笑)。10年前くらいまでは依頼があれば解説などを書かせていただいていましたね。

――でも依頼が減ってきた?

松尾:ぼく自身が周りから、文章を書く仕事をする人間とは思われなくなったということはあると思います。

 でも、自分としては、プロデュースの仕事は成り行きで始めたようなものだから、いまだにフリーライター気質というようなものはあるんです。昨日も某ライブ・レストラン用にコメント原稿を書いたんですが、執筆料がわりにライブにご招待しますと言われて大喜びしたり(笑)。

――ぼくは松尾さんのような立場じゃぜんぜんないですけど、安くても書く原稿というのはたしかにあります(笑)。「青メロウ」によると、ライター業から制作へ重心を移すきっかけになったのは『BRUTUS』で酷い目にあったことだったとか。

松尾:あくまできっかけのひとつではあるんですが、すごかったですね、あのときの脱力感は。だって、ブルックリンまで行って大変なスケジュールの中でスパイク・リーに取材をして、原稿も誌面に収まるよう苦労に苦労を重ねて仕上げたのに、出来上がった雑誌には自分の署名がどこにもないんですから! 栗原さんもそういう理不尽はいろいろご経験だと思いますが……

――ありますね(笑)。昔は「なぜこれをおれに?」というのも請けちゃってたのでよくありました。

松尾:ぼくは、エンターテインメントと経済の関係を常に意識しながらやってはきましたが、Jポップの記事のほうが儲かるからと勧められても、いや、こっちのほうが好きだからと洋楽の記事を書いていました。音楽の制作者という立場になっても、自分の好き嫌いで仕事をジャッジするということは変わってないと思います。

――ライター時代も、意に染まない仕事をやることはあまりなかった?

松尾:ないですね。たとえば、20年くらい前に首都圏のFM局で、ぼくの名前を冠したダンスミュージックの番組ということで請けた仕事があったんです。元MUTE BEATのDUB MASTER Xさんが番組専属DJという触れ込みで。ところが次第にJ-POPも増やしてくれとか、挙げ句にはお笑い芸人さんたちをレギュラーに加えて番組をトークバラエティ化して欲しいとか、その種の要望が局から出始めたので、区切りの3カ月で辞めさせてくださいとこちらから申し出ました。そういうことは昔から我慢できなくて。

 あまりに理不尽を感じるときは番組の中で来週からもう来ませんと宣言して一方的に辞めてしまったこともあります。番組関係者はぼくがいっとき感情的になってるだけだろうと思ったみたいですが、以後8年くらいその局には足を向けなかった。長い絶縁状態のあとに先方から詫びが入ったら、それまでの反動で以前より懇意になったという恋愛みたいな話です(笑)。

 自分ではわりと穏やかな人間だと思っていますが、好きなものを守ることに関しては頑固ですね。音楽プロデューサーになってからも、意に沿わない仕事のときはプロジェクトを降りますし。

――フリーランスにはなかなかできないんですよね。

松尾:そうなんですよ……。それでもプロジェクトを降りるときは自分なりに相当の覚悟を決めるわけですが、後になってみればそのジャッジは大抵間違っていなかったと思います。

――その踏ん切りを支えているのは、何かしら失うことになってもかまわないという気持ちなのか、何とかなるだろうという自信と読みなのか、どちらですかね。

松尾:両方ですね。強い意志もありますが、それを裏付けているのは根拠のない楽観なんですね。

――これまでの成功体験が決意を支えているというのはないですか。

松尾:それほど成功の実績がないときから肝は据わってました(笑)。

――ライターとしてもとんとん拍子で成功されてきましたよね。

松尾:少なくとも経済的には。先駆者と呼ばれる方が多くはいなかった業界でしたし、正しい言葉かどうかわかりませんが、90年代の日本ではR&Bという音楽ジャンル自体がベンチャービジネスのようなものだったのかもしれません。

――それも才能ですよね。そういう領域を選んだというか選ばれた運命やセンスというのも。

松尾:この6年ほどやらせていただいているNHK-FMの冠番組(『松尾潔のメロウな夜』)でも、好きなもんですからずっと構成や選曲を自分でやってるんです。CDやレコードも全部ひとりで用意して。四半世紀前からずっと同じことをえんえんと。

 好きなことを仕事にするのはリスキーなことでもあるんだよと、音楽とは関係なく、これから社会に出る若い人たちにも話します。好きだから冷静なジャッジができないことがあるかもしれませんし、趣味を仕事にすることで趣味を失うのでは、という恐怖が自分にもありました。でも、好きだからこそやれたことがあり、その積み重ねでだんだん大きくなってきたんだと感じます。それが今では揺るぎない気持ちですね。逆に言えば、好きだと言えなくなったらやめるというのも勇気だと思います。好きでないことをずっと続けて失敗したら、それこそ自己嫌悪の元になるでしょ。

 好きで続けていれば失敗したとしても、割と素直に反省できるんです。失敗しても、好きだったということだけで十分元は取れているじゃないかと思えるんですよ。

――うーん、難しいところですね。それも松尾さんが社会的成功者だから言えることだという面がありますから……。

松尾:もちろん経済的なことも関わってきます。もともと大好きなことでなくても、報酬が大きければ「オレ、これ好きかも!」と思えるくらいの軽さはあります。こう言うと人としての重みはないですが(笑)。

――まあ、魂を売りますよね(笑)。

松尾:売るというか、本当に好きになってしまうという、めでたいところもあります。

――売ると言っても、本当にまったく嫌いだとできないんですよね、これが。

松尾:できないのは無関心なときですね。嫌いというのは、好きの亜種でしょう? たとえば、自分は福山雅治という人に長らく関心がなかったんですが、2、3年前に「あれっ、この人って少しクセがあるな、苦手かも」という「発見」があり、彼の名前を口にすることが増えてきた。つまり好きになってきた。で、最近になって結婚というニュースがあったでしょう。結果、ぼくは今、躁状態なのです(笑)。少しでも好きになりそうな芽を見つけると本当に好きになってしまうのは、子供の頃から転校が多かったせいもあるかもしれません。

――能動的に働きかけると、大抵のものは何かしら美点が見つかりますからね。

松尾:そうなんです。美点を見つけられるくらいの目はあるんです(笑)。おもしろがりっていうのかな。

――本当にダメなものも、歳を食ってくると少なくなってきますよね。許容範囲が広がるというか。

 女性に関してもそうじゃないですか?(笑) 童貞の頃は、身の程も知らないで非常に狭いゾーンで選り好みしていたわけですが、この歳になると、もう大抵の女の子は可愛い(笑)。

松尾:おっ、色っぽい話に行きますか?(笑)

――いやいや(笑)。

松尾:でも、たしかにそうですね。若い頃は何に対しても確固とした理想像というものがありましたしね。

 音楽の話に戻すと、ぼくはR&Bの曲で嫌いなものはないんです。「好き」と「大好き」という区別しかない。「退屈」と言われる曲は、ぼくに言わせると「安定している」曲なんです。食べものに関しても、人に対する趣味も、たしかにそうなってきているかもしれない(笑)。

(取材・文=栗原裕一郎)

【後編「21世紀のR&Bバラードは90年代の余韻」松尾潔の考える、R&Bの変わらないスタイルと美学へ続く】

■書籍情報
『松尾潔のメロウな日々』
発売中
価格:¥1,944(税込)

『松尾潔のメロウな季節』
発売中
価格:¥1,944(税込)

松尾 潔
1968年生まれ。福岡県出身。音楽プロデューサー/作詞家/作曲家。
早稲田大学在学中からR&B/HIP HOPに関する文章を中心に、多数メディアにて執筆を行う。その後、久保田利伸との交流をきっかけに90年代中頃から音楽制作に携わり、平井堅やCHEMISTRYらをプロデュースし成功に導いた。2008年にEXILE「Ti Amo」(作詞/作曲/プロデュース)で第50回日本レコード大賞、2011年にJUJU「この夜を止めてよ」(作詞/プロデュース)で第53回同賞優秀作品賞を受賞するなど、ヒット曲、受賞歴多数。プロデューサー、ソングライターとして提供した楽曲の累計セールス枚数は3000万枚を超す。

2014年、初めての音楽エッセイ集『松尾潔のメロウな日々』を上梓。
2015年6月には続編となる『松尾潔のメロウな季節』を発刊した。
NHK-FMの人気番組『松尾潔のメロウな夜』は放送6年目を数える。
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