太田省一『ジャニーズとテレビ史』第一回:「ミュージックステーション」

『Mステ』はなぜ生き残れたのか? 光GENJIやSMAPなどジャニーズ出演陣から読み解く

 開始当初の『Mステ』は、視聴率的に苦戦していた。そこでとられた打開策が、1987年のデビュー以来爆発的なブームを巻き起こしていた光GENJIを毎週レギュラー出演させることだった。1988年のことである(これについては、番組スタッフだった山本たかおの証言がある。https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/07jasrac/kouki/12/kouki12.htm)。

 それは、毎週ランキング形式をとっている『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』ではできないことだったし、演歌からアイドルまで多彩なジャンルの歌手が出ることが売りだった『夜のヒットスタジオ』でもできないことだった。結局光GENJIのレギュラー出演は1992年まで続き、『Mステ』は若者向けの歌番組という独自色を打ち出すことに成功する。

 それ以降、現在までその流れは続いている。『Mステ』と言えば、毎回ジャニーズグループが出演するというイメージはすっかり定着した。実際、光GENJIを筆頭にTOKIO、SMAP、V6、嵐、KinKi Kidsと出演回数ランキングの上位にはずらりとジャニーズグループが並ぶ。

 しかし、その時の旬のジャニーズアイドルが出演していれば番組はそれで安泰というわけではない。そこでクローズアップされるのが、やはりMCのタモリの存在と、そこから生まれるバラエティ的な側面だろう。

 タモリが『Mステ』のMCになったのは、1987年4月である。同じ生放送の『笑っていいとも!』(『いいとも』)のMCとしてすでにその地位を確立していたころだ。ただ当時『Mステ』での司会ぶりが、『笑っていいとも!』(『いいとも』)のときとは違うと感じる人も多かった。

 確かに『いいとも』でやっていたような出演者いじりをタモリが『Mステ』ですることは基本的にない。同じ芸人のダウンタウンや石橋貴明が、1990年代に始まった『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)や『うたばん』(TBS系)でMCとして自分たちのやり方を変えることなく出演する歌手を積極的にいじっていたのとは対照的だ。

 だが私の見るところ、根本的なところでは、『いいとも』と『Mステ』でタモリのMCに違いはない。それは、“仕切らない仕切り”と言えるようなものだ。MCとして積極的に場を仕切るというよりは、出演者のキャラクターを尊重しつつ全体の雰囲気を見ながら番組を盛り上げていく。それは『いいとも』のようなバラエティでも『Mステ』のような歌番組でも同じである。

 だから、歌番組としての本分は守りながらも、『Mステ』では時々バラエティ的な面が顔をのぞかせ、それが番組のいいスパイスになっている。一方、SMAPをはじめとして1990年代以降ジャニーズのグループは皆それぞれの冠番組を持ち、バラエティでの本格的経験を積むようになった。その結果ジャニーズは、『Mステ』が歌だけでなく時には笑いもあるテレビ的娯楽番組としてクオリティを保つためにも、今や欠かせない存在になっている。冒頭にふれた場面での中居正広と番組の阿吽の呼吸に、私はそれを感じ取ったのである。

■太田省一
1960年生まれ。社会学者。テレビとその周辺(アイドル、お笑いなど)に関することが現在の主な執筆テーマ。著書に『中居正広という生き方』『社会は笑う・増補版』(以上、青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』『アイドル進化論』(以上、筑摩書房)。WEBRONZAにて「ネット動画の風景」を連載中。

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